四十六 志七郎の大江戸観光記 その一
「何処か行きたい所などあり申すか?」
兄上と連れ立って屋敷を出るとそう問いかけられた。
今までも何度か街へと出かけた事はあるが、それらは常に同行者の目的地があり、真っ直ぐそこを目指していたので、俺が主導で何処かへ行くというのは初めてだ。
だがそう言われても、何処に何が有るのかも解らない今の状況では、それに対する答えを持ってはいない。
考えてみれば前世でも余暇は殆ど本やWeb小説を読んでいるばかりで、何処かへと主体的に出かけること等殆ど無かった。
『飲む打つ買う』なんて言葉が有ったが、酒は付き合い程度、博打と売買春は取り締まる側の人間として対応する案件、という意識が強く、公営ギャンブルなんかも個人としては興味が無かった。
気の合う友人とあてもなく遊び歩く様な事もしたことが無く、思い返してみれば随分と寂しい人生だったように思える。
そんな取り留めのない事ばかりを考え、問いに答えることが出来ないでいると、
「まぁ、右も左もわからぬ……とは言い過ぎであろうが、そのような土地では何処に行きたいと聞かれても、困るのが当然でござるな」
と、苦笑交じりにそんな言葉が降ってきた。
「行くあてもなくふらりと散策……と言うのもまた乙な物でござるよ」
兄上はそう言うと、ひょいっと音がするくらい簡単に俺を持ち上げ、その肩に座らせるように担ぎあげると、その言葉通りゆったりと歩き出した。
180cm少々の前世の世界でも大きい方と言える兄上は、この世界に置いてはやはり大男の様で、道を行く他の人達よりも明らかに頭一つ分以上大きい。
その肩に座る俺は当然それらを見下ろす高さであり、遠くまでが悠々と見渡すことが出来た。
泰然自若とした足取りで進んでいく先は、何度か通ったことの有る大通りの方向の様だ。
俺の足ならばその通りに出るまで二、三十分はかかる道程だが、流石にコンパスが違いすぎる。兄上は十分少々で大通りに出る事ができた。
武家屋敷でも時折足を止め、家路を辿る際の目印となる場所や、付き合いのある屋敷を指し示したりしてくれていたので、本気で急ぐならば5分とかからずここまで来ることが出来るのでは無いだろうか?
「この道が江戸の南北を分ける白青大路でござる、此処を西に行けば白虎の関があり、それを超えて道なりにずっと行くと京がある。東は見ての通り江戸城があり、それを超えてずっと行けば青龍海へと抜けることが出来る」
そう言って道の先を指し示すが、幅こそ大路の名にふさわしく大きく取られている物の、曲がりくねり真っ直ぐに見通す事は出来ない。
兄上に拠ると、地形もあるがそれ以上に万が一戦となった時、城まで一直線に駆け抜けられるのを避ける為に、わざとこういう作りに成っているのだという。
江戸の街はこの東西に走る白青大路と、南北を抜ける朱玄川――通称、江戸川によって大きく4つの区画に分かれて居おり、うちは江戸城から見て北西側の区画に有るのだそうだ。
そんな大路は当然メインストリートであり多くの商家や見世が軒を連ねており、道行く人々も老若男女問わず、と言う感じである。
大路に出て歩き出し然程経たず、兄上がとある見世の前で足を止めた。
そこは、どうやら前世でいうところの浮世絵を扱う見世らしく、雄々しい武者絵や艶やかな美人画などが、店先に無数に張られていた。
「そら志七郎、あれを見よ」
楽しそうな笑い混ざりの声で兄上が指し示したのは一枚の武者絵……だがそこに描かれているのは明らかに猛々しい侍のそれではなく、幼い子供が大鬼と対峙しているという、構図のものだった。
「……もしかして、あれ俺ですか?」
「であろう。其方には『鬼斬り童子』の字が付いておる、あの絵は『鬼斬童子図』と言う題らしいから、他に居るまい」
その絵は、俺? らしき幼児が腹掛一枚に身の丈に合わない大刀を片手で振り上げ、サイズ比から考えても、兄上よりも遥かに大きな赤ら顔の大鬼に挑みかかる様が描かれている。
「事実無根も良い所ではないですか? どう見ても俺にもあの大鬼にも見えませんよ?」
「なに、実物を見ていない絵師が描いているのだ、似る方が稀というものでござる」
その言葉と共に指し示した絵には『鬼二郎鬼熊斬図』と題が付けられているが、そこに描かれている武者は巨漢であるという事以外に兄上との共通点は見受けられない。
写真が当たり前に出回る世界に居た俺にはちょっと理解し難い物が有るが、上野の西郷隆盛像も全く似ていなかったと言うし、そんなものなのだろう。
それより気になるのは、それぞれの絵に添えられた値段である。
俺の絵が四八文、兄上の絵が二十文と書かれているのだが、どちらも然程大きさに違いもなく値段の差がいまいちよく分からない。
所謂、芸術性による値段の差だとすれば理解できない事も無いが、それにしてはそもそもの値段が小さすぎる気がする。
「この絵の値段はどういう基準なんでしょう?」
と、素直に疑問をに感じたことを兄上に問いかける。
「それがしは商いには明るくは無いでござるから、欲しがる者が多ければ高くても売れ、少なければ安くなければ売れぬ、そのくらいしか解らぬ」
需要と供給の関係、それくらいは経済を学んだことがない俺でも知っているが、兄上ではそれ以上突っ込んだ事は解らないらしい。
よくよく見回してみれば、殆どの絵が二十文程度であり、俺の絵に付いている値段は一段高目の様だ。
察するに二十文と言うのが浮世絵の相場であり、新作である俺の絵は高いといった所だろうか?
「ところで何か買うのですか?」
「いや瓦版ならば兎も角、この手の物には興味はござらん」
と、ばっさり言った所で俺達は見世の中へと入る事は無く、軒先を冷やかしただけで、その場を離れることにした。
浮世絵屋以外にも反物屋や蕎麦屋など、看板を見れば何を扱っているのかひと目で分かる見世もあれば、四文屋とか萬屋と屋号なのか扱っている物の名前なのかわからない見世もある。
そういう解らない見世について兄上に聞いてみれば、四文屋は商品すべてが四文ぽっきりという『百円ショップ』の様な物らしく主に惣菜等を扱っており、萬屋は『よろずや』と読み、割高ながら大概のものは手に入るという『コンビニ』の様な所らしい。
そうして大路の見世を眺めながら歩いていると、ふと一つ気になる点があった。
銃刀法の様に武器を持つことが規制されていない世界の筈なのに武器屋の様な物を見かけないのだ。
向こうの江戸時代の様に武器を持つこと自体が武士の特権であるというならば兎も角、町人出身でも鬼斬り者ならば武器を持っていて当たり前なのだ、彼らは何処で武具を買うのだろう? まさか以前行った自由市場でしか手に入らないと言う事はあるまい。
「兄上、武具は何処で売っているのですか? 武器屋の様な物は見かけませんが……」
と、問いかけると、
「ん? 武具は基本的に受注生産だ。質屋や自由市場で中古品を手に入れる以外、新品ならば付き合いのある商家に頼み、その商家が抱えている職人が作るのだ。まぁ安物の木刀位ならばその辺の萬屋で売ってるがな」
という回答が返って来た。
「と言う事は、俺の装備を作ったのも別に特注という訳ではないのですか?」
「うむ。基本的に装備が欲しければ、素材を手に入れて注文するのだ。故に身に着けている物で鬼斬り者の強さはある程度測れるのだ」
子供用の装備と言うのが市販品では無いのでわざわざ誂えた、と思っていたのだがどうやらそう言う訳では無いらしい。
「無論、金や身内が得た素材で装備を拵えている者も居るから、必ずしもという訳ではないがな」
兄上は他意なく言ったのだろうが、その言葉はそのまま自分に当てはまるような気がして、俺は思わず言葉を飲んだ。




