四百六十九 志七郎、不意を突かれ宿を決める事
左手に広がるは遥か遥か彼方まで空の青と大海原の蒼、所々に見える白さは浮かぶ雲と弾ける波。
右手に見えるは火元国でも一頭高い霊峰『武士山』……純白の雪帽子に青い岩肌のその姿は、概ねに於いて前世の富士山に良く似ている。
「おぉ……アレが武士山。江戸城から遠目に見るのとは流石に雄大さが違うな」
山を良く知る者なら何合目位まで雪を被っているかを見れば、大体の標高を推測出来るらしいが、残念ながら俺にはその辺の知識が無い。
見た目が似ているからその高さも同じくらいか……と言えば決してそんな事も無く、郷土富士なんて言葉も有った位には、日本全国至る所に『似てる』山は有ったらしい。
まぁ見た目云々では無く、単純にその地域で一番高い山が『〇〇富士』と称される……なんて事も少なからず有ったらしいが……。
少なくとも火元国を象徴すると言われるその山は、前世の世界の日本の象徴ともされたあの山との差異を俺の目から見つける事が出来なかった。
それでも此方の方が美しく見える気がするのは、多分無機質な灰色のコンクリートが視界の何処にも見当たらない事と、大気汚染なんて言葉も未だ無い程に空気が綺麗だからだろう。
もう暫くすれば日が傾いて、赤く染まった武士山が見えるだろうが、流石に道端でソレを待つ訳には行かないが……。
「うん、一寸早いかも知れないが、次の宿場で宿を取る事にしようか。何処か景色が良くて飯の美味い宿が有れば良いんだが」
四煌戌にゆっくりと進んで貰い風景を楽しみながら、今後の旅程を一寸考える。
「わふ?」
「くん?」
「ぬぁ?」
と、その時だ、四煌戌達が唐突にそんな声を上げると足を止めて空を見上げたのだ。
釣られる様にして同じ様に見上げると、物凄い速さで巨大な何かが頭上を飛び抜けていった。
咄嗟に氣を高め、何が起こっても良い様に備えつつ、その姿を見極める。
ソレは首が、いや胴体まで含めて二頭分有るにも関わらず、翼が一組しか無い奇妙な鳥――恐らくは鷹だった。
四煌戌達の索敵範囲の外から物凄い速さで近づき飛んでいくソレは、もしも此方に敵対する存在だったならば、先手を打たれていたのは間違いない。
景色に見とれて気が抜けて居たのは確かだが、だがだからと言って最低限度の警戒すら失う程では無かった。
にも関わらずあの巨体に此処まで近づかれるまで気が付かなかったと言うのは、多分奴
にそう言う能力が有るのだろう。
どうやら運良く奴の狙いは俺では無く、武士山麓に広がる森の中に居た様で、木々を揺らしながら飛び込み、再び飛び上がった時にはその四つ足の内三本に紫色の大きな茄子の妖怪を掴んでいた。
……アレ、猛禽の癖に野菜食うのか。
「いやー、ソレは『比翼の鷹』と『奈良漬け入道』でしょうな。この辺りですと他にも『死扇興』に『忤い煙草』と言う厄介な妖怪が出ますが……街道の上を歩いていて妖怪に出会すのは極めて稀な事でございます故、むしろ良い物を見たかも知れませんなぁ」
香ばしい香りを立てる玄米茶を急須から湯呑に注ぎながら、今夜の宿を取った見世の手代だと言う男性がそう教えてくれる。
比翼の鷹と言うのは雄雌それぞれが一眼一翼しか持たぬ鳥の妖怪で、二羽の番が揃わなければ飛べない鳥なのだと言う。
勿論、ただそれだけの妖怪と言う訳も無く、風を操る事で音も無く物凄い速さで飛び回り、鋭い爪と嘴に依る息の合った攻撃を、一呼吸の内に四連続で叩き込まれれば、そこそこ腕の立つ鬼切り者でも致命傷に成りかねない鋭さなのだそうだ。
そして奈良漬け入道は、その身に強力な酒精を宿しており、並の酒豪程度の者ならば吐き出す息を吹きかけられただけでも前後不覚に陥り、運良く撃退出来ても二日酔いは確定と言う、下戸の義二郎兄上には天敵の様な妖怪らしい。
……逆に上戸と言うか完全にアル中の仁一郎兄上ならば積極的に狩りに行くであろう妖怪かも知れない。
死扇興は古びた扇子の変化で肌も露わな美しい娘の姿で現れて、色香に惑わされた者が近づくと、生半可な鎧では真っ二つにされる程の鋭さを持つ扇子を手裏剣の様に投げつけ、その死体を啄むのだそうだ。
忤い煙草は普通に旅をしていては出会う事の無い特殊な妖怪で、結界から離れた場所で煙草を吸うとその煙が化けて出て、首に纏わりついて絞め殺すのだと言う。
実体を持たない煙の妖怪の為か、物理攻撃の効果が極めて薄く、膨大な氣を叩き付けるか、術や魔法の類を使わなければ倒せない厄介な妖怪らしい。
倒す事が出来るなら、極めて稀な確率で『煙水晶』と呼ばれる強い霊力を秘めた『秘石』が手に入る事が有るそうで、ソレを狙う鬼切り者は後を絶たず、この宿場の客の何割かはその手の者なのだそうだ。
なおその確率は一説に拠れば五千匹に一個位と言われているそうで、煙草を吸えば必ず現れると言う訳でも無い為、石を手に入れるのが先か、煙草の吸い過ぎで身体を壊すのが先か、意見が分かれる所なのだと言う。
「この辺で銭を稼ぐ為に鬼切りを為さるのでしたら、奈良漬け入道が狙い目ですな。連中を絞ると味気なくは有りますが強い酒精の酒が絞れますから、ソレで梅酒や柿酒を漬けるですよ。季節外れでもまぁ酒は腐りませぬからな、年中儲かりますな」
倒せば確実に『無味焼酎』相場の安定している素材が手に入る奈良漬け入道と、低確率ながらも秘石が手に入れば一攫千金の忤い煙草の二種がこの辺での主な狩り対象で、比翼の鷹と死扇興は余り銭には成らないお邪魔キャラ的な物の様だ。
「ささ……どうぞ茶が冷めぬ内に、お茶菓子に黒砂糖饅頭も御座いますぞ。この辺では六砂糖饅頭とも呼びますがの」
香ばしい香りの湯気を上げる茶碗と共に差し出されたのは、その名の通り六の焼印が押された焦げ茶色の饅頭。
「へぇ……何か謂れが有るんですか?」
そう問い掛けつつ、饅頭を一齧り……うわ!? 激甘!!
流石に吐き出す様な無作法はせず、茶を啜る事で甘さを洗い流す事を試みる。
熱々の玄米茶の香ばしさが、くどいまでの甘さを包み込む様に消し去る辺り、コレはセットで飲食する前提で供されているのだろう。
「一つの饅頭を作るのに六掴みの黒砂糖が使われている……と言われておりますなぁ。上戸の方には不評ですが、下戸の方々には癖に成る味と中々に好評の品でして。阿呆程砂糖を使っている所為か腐り辛い故、土産にも宜しゅう御座いますよ」
地元の土産物を宿屋で茶請けに出す……前世でも旅館なんかに泊まると部屋には同様の用意がしてあったけれども、コレも向こうから来た人間が広めた風習なのだろうか?
「では、ご夕食までごゆっくりお休み下さいませ。夕日に赤く染まった武士山をご覧に成るのでしたら、外に展望楼も御座いますよ……有料ですが」
流石は商売人と言う事か、ガメつい雰囲気がプンプンと漂う笑みを浮かべそう言った手代は、薬缶やら急須やらが乗った御盆を手に一礼して部屋を出ていく。
展望楼とやらの入場料もこの見世の利益に成るのかな? もしかしたら紹介料のキックバックなんかが有るのかも知れない。
うん、取り敢えずこの食いかけの饅頭を始末したら、四煌戌の飯を買いに出るかな。
ついでに時間と値段が許すなら展望楼に登ってみよう。
流石にその料金は自分の小遣いから出さないとな……。
と、そんな事を思いながら、俺は激甘の饅頭を口の中に押し込み、直ぐ様茶を流し込むのだった。




