四百六十七 志七郎、駆け抜け通行止めにあたる事
「わふわふわふ!」
「はっはっはっ!」
「あおあおーん!」
遙か東へと真っ直ぐに伸びる街道を、四煌戌がひた走る。
関所を超えたから好きに走って良いと言ったら、全力全開で大爆走である。
多分、遠くから見ると漫画の様に盛大な土煙が巻き上がってるのではないだろうか?
残念ながら俺は白バイ隊員の様に、速度計を見ずに、ほぼ正確な時速を言い当てる様な訓練は受けていなかったので、四煌戌達がどれほどの速さで走っているのかは解らない。
それでもまぁ、交番勤務時代にパトロールで使っていた自転車を全力で漕げば時速50km位は出ていた筈なので、体感では大凡ソレに近い速度が出ている様には思う。
関所を超えてこの辺りまでは、見渡す限りの田畑の中に街道が伸びており、途中幾つかの小さな宿場町?……村? とでも言う様な集落が有るだけだったが、それなりに人の往来は有るように見えた。
そんな中を人を轢く事無く爆走出来るのは、街道が六車線道路程の広さで整備されて居るお陰である。
車線が明確に分けられている訳では無いが、それでも徒歩の者は街道の端を騎乗の者は中央よりにそれぞれ左側通行、と言うのが一般にも浸透しているようで、旅人達をガンガン追い越していっても、ニアミス程度のヒヤリハットすら今の所は無い。
散歩の時は勿論、鬼切りでも中々全力で只管走ると言う機会は無いし、此奴等も気持ちが良いのだろう。
うん、帰ったら今度からは偶には仁一郎兄上の馬が走る運動場を借りて走らせてやる事にしよう。
それにしてもこの速さで此奴等は何処まで走り続けるんだろうか? もしかしてコレが全力疾走じゃなくて巡航速度なのか? そろそろ尻が痛くなって来たんで、何処かで一休みしたいんだが……。
「「「わんわんお! わんわんお!」」」
楽しそうな声を上げながら、足を緩める事なく走り続ける四煌戌の鞍の上で、俺はそろそろ止めようか、それとも満足するまで走らせるかを迷い、只々ため息を吐くのだった。
「「止まれー! 止まれー!」」
「何処のご家中かは存じ上げぬが、この先は今は通れぬ! 迂回するか暫し待たれよ!」
「ぬ!? その三首巨犬に四色の亀甲鎧……もしや猪山の志七郎様に御座らぬか?」
そろそろ昼飯を食う所を探そうか……そう思った頃だ。
街道上に居た三人の若い侍が人参の様な赤い棒を大きく振りながら、大声を張り上げそんな台詞を口にした。
俺の名を言い当てた者の顔には見覚えが有った。
確か野菜討伐戦にも参加していた浅雀藩士だった筈だ。
聞けばこの先には、国許へと帰還する浅雀藩の行列が居るとの事、そりゃぁ止められる訳である。
指し示された道の先には、確かに沢山の旗指物を担いだ者達が見える。
でも俺の記憶が確かなら、野火の叔父上が江戸を発ったのは四日も前の事じゃぁ無かったか?
「大名行列と言うのは随分と時間が掛かるのだな、俺は今朝江戸を発ったばかりだと言うのに……」
騎乗のまま返答を返せば、如何に友好藩の家臣と言えども、喧嘩を売っていると思われても仕方がない、四煌戌の背から飛び降り、そう問いかけた。
「徒歩の者が大半で、中には重い荷物を背負った者も居りまして、そうそう早駆けなぞ出来はしませぬ」
「騎獣での単騎駆けとは比べる方が無理と言う物で御座る」
「とは言え、普段ならば此処まではまぁ二日と言った所ですが、今回は一寸騒動が有りましてな」
俺の言葉に一度顔を見合わせた彼らは、軽く笑い声を上げてからそう応える。
「騒動? 街道に鬼でも出たか?」
「いえ、斯様な物騒な話では御座らぬ、行列の前を地元の産婆が通ったのです」
前世の記憶だと、大名行列が通ると成れば皆が土下座で見送る物……と言う感覚が有るが、少なくとも此方の世界では地元の大名が通るのでも無ければ、普通に団子でも食いながら見物しても全く問題は無い。
ただ流石に行列の行先を遮ったり、中を横断したり、追い越したりなどすれば『無礼討ち』とされても仕様が無いとはされている。
だがソレにも幾つか例外が有り、『産婆』『医者』『薬師』等の命に関わる様な職業の者が、誰かの危急に駆けつける様な時には、むしろ行列を止めてでも彼らを患者の元に行かせる事に成っているのだ。
その他にも、『飛脚』や『早馬』辺りの伝令に関わる者が行列を追い越す事も、特例として認められている。
だが、幾ら産婆が通る為に行進を止めたと言ってもそれだけで二日も日程が遅れるというのはどう言う事だろう?
「ただ産婆を通すだけで無く、若い衆に命じ彼女と道具を背負わせ、全力で走らせたのです。それだけならば、まぁよく有る……とまでは申しませぬが、偶には聞く話。成れど我が殿のご配慮はソレだけに留まりませんでした」
足の遅い産婆を少しでも早く現場に送り届ける為に若い侍を走らせたならば、ソレだけで銭も命も掛ける事無く仁徳に厚い大名として名を上げる事が出来、ついでに地元の領主に恩も売れる……と良い事尽くめで有り、一般的と言える対応なのだそうだ。
しかし叔父上はそれだけに留まらず、行列を止めたまま近くの宿場に使いを遣って餅米を買ってこさせ、地元の庄屋から杵と臼を借り出し、餅を搗かせたのだと言う。
「無事生まれればソレは吉兆、振る舞い餅をするには十分な理由。もしも死産だったとしてもソレは通りかかった我が藩と幕府、そして地元の藩の厄を背負って逝ってくれたのだから、弔いに餅を献ずるのに十分な理由に成るだろう……と」
態々行列を止めさせ、出産が終わるまでその場で待機として、なんと叔父上自身が杵を振るって大量の餅を搗いたらしい。
結果、出産は無事終わり、餅と酒を偶々通りかかった旅人にまでも振る舞い、その子の父親に請われて名付け親にまで成ってやったのだそうだ。
人気取り……と言ってしまえばソレまでだが、大藩を治める大名として名声は幾ら有っても足りる物では無い。
他の貧しい中、小藩からは常に黙っていても入ってくる膨大な田租に、街道沿いを抑えている事で入ってくる商業周りの税など、圧倒的な収入を妬まれているのだ。
使うべき時に大盤振る舞いをせず、吝嗇な野郎とでも陰口を叩かれようものならば、直接的な被害は無くとも家名を落とす事に繋がり兼ねないだろう。
……とは言え、その為に領民から税を絞る様な真似をすれば、一揆が勃発したり、他藩や幕府から攻められる口実を与える様な事にも成るので、結局の所『地力』が無けりゃ出来ない事では有るが。
「それで先程行進を再開したばかり……と言う訳で御座る。志七郎様が如何なる故にてこの街道を進んでおられるかは存じ上げませぬが、流石に他藩の者を殿の許可無く近付ける訳には参りませぬ。今、知らせに走りますので暫しこの場にてお待ち下さい」
そう言うと、浅雀藩士の一人が前方へと駆けて行く、残りの二人は引き続き交通整理を続ける様だ。
「そう言う事なら仕方ないな。うん、丁度良いや、昼飯にしよう」
四煌戌の食事は朝晩二食で昼飯は食わせてないが、荷物に積んできた干し肉をおやつにやる位は良いだろう。
さて……睦姉上が用意してくれた弁当は何だろうな?
「四煌、あの木の下に行こうか、半ば通行止めとは言え道の真中で……ってのは周りに迷惑だからな」
「わふ!」
「おん!」
「くぅ……」
そう言って俺は、弁当と干し肉を荷物から取り出しつつ、街道沿いに植えられた松の下に腰掛けるのだった。




