四百六十六 志七郎、渋滞を回避し江戸を出る事
江戸市中を東西に横切る青白大路から遥遠く、京の都へと繋がる東街道を、四煌戌に乗ってゆったりと自転車程度の速さで走る事約半刻、江戸州とその外部を隔てている白虎の関へとやって来た。
確かこの関所と江戸市街外周部の大名屋敷街からは三里ほどしか離れておらず、江戸州と呼ばれる場所がかなり狭い様にも思えるが、実の所は只単に市街地の外は東と北に広いと言うだけの事である。
ちなみに南側は湾を抱き込む様な形で市街地が海岸線に張り付いて居るので、郊外と呼べるような場所は無い。
兎角、西側は然程広く無く、郊外に広がる農村風景も実際には各藩の下屋敷とそれに付随する畑だったりする訳だ。
「おー、今日も随分と混んでるなぁ……」
四煌戌の背から降り、居並ぶ者達を見回して俺は思わずそうつぶやいた。
俺が関所に着いたのは朝の開門よりも少しだけ早い時間だったが、既に其処には大行列が出来ていたのだ。
その大半は昨夜の内に江戸を発ち、此処から少しだけ山側に入った所にある日向温泉郷で一泊した者達だろう。
中には今朝出発したばかりの者も居るかも知れないが、江戸市街地から徒歩で此処まで来ると二、三時間は歩いた上で、更に此処で何時間待たされるかも解らないと言う状況に成る……うん、少なくとも俺は勘弁して欲しい。
基本的に江戸州と呼ばれる地域から出ようと思えば、西か北の関所を越えるか、南側に有る湊からの船に乗るかの何れかの方法しか無いと言える。
江戸市街地だけで百万人もの人が住んでいるのだ、それに比して小さな……小さすぎる出入り口しか用意されていないのだから、一部が出掛けようとするだけでも大渋滞が起こるのは当然の話である。
それが解っていても此処を大きく出来ないのには当然理由が有る、江戸州内にご禁制の品々を持ち込ませない為と、大名の妻子が勝手に逃亡する様な事が無い様にする為だ。
今でこそ天下泰平の世と言われて久しいこの火元国にも、未だ倒幕を企む輩は決して少なくないらしい。
そう言う連中は大抵何処かの大名と結び付き、その藩邸を足掛かりにテロ行為に勤しむのが定番なのだと、御祖父様が言っていた。
まぁ当代の上様が就任してからは、何処ぞの悪意に満ちた御人が徹底的にその芽を潰して回ったらしいので、暫くは大丈夫だろう……と言う話だ。
が、だからと言って治安維持にも関わる事柄を緩めると、今度は破落戸達が無用な力を付ける原因にも成りかねない。
江戸州内の銃火器が統制されているのは、倒幕活動だけで無く、盗賊等の被害を減らす目的でも有るのだ。
鬼切りが奨励され一般町民であっても重武装が許されるこの世界でも、個人の武勇に関わらず誰が持っても一定の攻撃力を有する『銃』が簡単に手に入れば、ソレを己の『能力』と勘違いした馬鹿が『出来心』を起こす事は容易に想像が付く。
飛んでくる鉛玉を素肌で弾く様な真似が出来るのは、一朗翁やお祖父様の様な『超』が付く達人だけで、普通の人間に銃弾を叩き込めば簡単に命を奪う事が出来る凶器なのだ。
だが同時に、凶悪な鬼や妖怪を相手取るには心許ない程度の攻撃力でしか無いのもまた事実で、どっちの意味でも規制をせざるを得ない訳である。
とは言え、銃器を持つのは武士の特権と言う訳でも無く、氣を纏う事の出来ない町民の、その中でも特に女子供が鬼切りに出ざるを得ない場合に、奉行所の許可と監督の下で使われていたりはするが、弾薬代が嵩むので然程使い手は多くは無い。
にも関わらず『抜荷』で持ち込まれた未登録の銃器類が毎年一定数は摘発されるのは、まぁそう言う事なのだろう。
なお此処で摘発されず持ち込まれてから問題に成りやすいのは、銃器よりも麻薬や毒薬等の材料にも成る『素材』の類だそうで、武具材料等に偽装されていたり、他の霊薬の材料と偽って取引されていたり……と一筋縄では行かない厄介な物なのだそうだ。
『入り鉄砲に出女』が関所に張り出される標語と成っているのは此方の世界でも同じな訳だが、『手形』を確認すれば確実に本人確認が出来る辺り、向こうの世界の様に裸に剥いて人相書きに書かれた黒子を探す……なんて手間が無い分、恐らく処理は早いのだろう。
それでも開門前の時点で既に四、五時間は待たされるだろうと想像の付く行列が出来ているのだから、列の先頭は日が出るよりも早い時点で並んでいるに違いない。
では、そうなるだろう事が事前に想像が付いているにも関わらず、どうして俺は四煌戌を全力で走らせて少しでも前の方を確保しようとしなかったのかといえば……
「各方、開門に御座る! 列を乱さず順に手形と荷物を提出召されよ!」
「公儀の要件を持つ者は此方! 飛脚、早馬も此方! 其れ等の者が列に居れば此方の窓口に移動召されよ!」
と言う訳で、俺は行列に並ぶ事無く、別窓口を通る事が出来るからだ。
飛脚と一口に言っても幾つか種類があり、その中には朝夕の開門閉門に関わらず通る事が出来る者も居るのだが、態々開門を待って通る者はその特権を持たない『町飛脚』と呼ばれる、要は一般企業の飛脚だろう。
つまり階級として武士である可能性は限りなく低い訳で……
「御免、猪山藩主猪河四十郎が七子、猪河志七郎。お上の命により罷り越した。見た所、公儀の早馬等は居らぬ様子、先ずは某を通して頂きたい」
こういう武士としての特権行使が許される訳だ。
「お役目ご苦労様に御座る、職務故失礼ながら手形と命令状、それと荷物を改めさせて頂きたい」
鎧兜は兎も角として、一目で子供と解る俺が相手でも先方の対応が丁寧なのは、猪山藩猪河家の看板と言うよりは、此方が公儀の用を背負って来ているからだろう。
前に仁一郎兄上とお花さんを迎えに言った時や、此処では無く北の関所を通って刃牙狼を狩りに言った時には、普通に並んで役人の方も対応に気を使っていた様子は無かった。
手形は窓口に設置された水晶球で真贋を確認され、書状は捧げ持つ様に一礼した後、包を開き中身を改め、それと平行して数人の役人が四煌戌の鞍に積んだ荷物と、俺の振り分け荷物の中身を軽く確認していく。
此方としても見られて困る様な物は何一つ無いので、抵抗する事無くソレに協力する。
幕府が信用を担保した形である俺に対してでも、相応に時間を掛けた手続きが必要なのだから、一般枠で並んでいる者達に時間が掛かるのは仕方が無い事なのだろう。
なお、飛脚がどんなに寒い時期でも褌一丁か、それに腹掛を足した程度の極めて薄着なのは、この荷物検査の時間を出来るだけ減らす為なのだとは後から聞いた話である。
「確認致した。道中の御無事をお祈り申す」
「いえ、御方こそお役目ご苦労様です」
荷物を纏め直し、門扉を潜った所で再び四煌戌の背に飛び乗る。
「あ、そうそう、噂に名高い鬼斬童子殿には無用の忠告かも知れませぬが……近頃関所を越えた辺りで、狐か狸にでも化かされたのか、気が付いたら街道から離れた場所に出て、荷物をごっそり奪われていた……と言う様な事件が起きておるそうです、お気を付けて」
と、その背中に、役人の一人がそんな台詞を投げ掛けた。
……此処を一歩出れば、其処から先は戦場以外は概ね安全な江戸とは違い、街道沿いでも気を抜く事は出来ない場所なのだと、そう言う事なのだろう。
「お気遣い誠に有り難く。京までの旅路、油断する事無く、一歩一歩慎重に歩を進めて参ります」
勝って兜の緒を締めよ、褌を締め直して物事に当たる……うん、一寸気を引き締めて行こう。
そう心に刻み込みつつ、四煌戌に走り出す様、腹を軽く蹴って合図するのだった。




