四百六十四 志七郎、荷を積み上げ第一歩踏み出す事
何時もの鬼切り同様に鎧兜を身に纏い、聞いた通り集めた一通りの旅荷物を背負う。
四煌戌の背に乗せた鞍には、万が一迷子にでも成った時に食べれる様、干し飯――炊いた米を乾かした物――や変わり味噌玉――鰹節や野菜等と味噌を丸めた味噌汁の元――それと山盛りの干し肉――主に四煌戌用の非常食――を結構な量を括り付けた。
自動印籠の中には十分な量と種類の霊薬が詰まっているし、即死しかねない攻撃を一回だけ強制回避してくれる空蝉地蔵に、攻撃系の妖術を無効化してくれる防呪札なんてのも用意してある。
普段の鬼切りでは、目的の戦場にどんな鬼や妖怪が出るのかを事前に調べ、ソレに対応出来る様に準備をするが、今回の様な長旅ではいつ何時どの様な危機に陥るか解らない以上、出来るだけの準備をする必要が有るのだ。
とは言え、江戸と京を結ぶのはよく整備された東海道で、その周辺地域には定期的に大規模な鬼切りが行われている為、早々危険な状態に成る事は無いらしいが、それでも稀に街道まで鬼が出てくる事も有るらしいので油断は禁物である。
「志七郎、準備は整った様だの。済まんな、幾ら過去世持ちとは言え、未だ九に成ったばかりの御主に、護衛の一人も付けずに長旅に出す様な事に成って。大丈夫だとは思うが無茶だけはするでないぞ」
身に纏った荷物と、四煌戌に括った物を確認し、後はその背に跨れば出立の準備は完了する、と言う所で俺の背に父上が普段の威厳に満ちた様子とは少し違う、少々申し訳無さそうな語り口でそんな言葉投げ掛けた。
帝からの呼び出しと言う『公的行事』だ、藩を上げて護衛団を仕立てて行列組んで行くのが本来なのだ。
にも関わらず、俺が四煌戌だけをお供に一人で旅立つのには当然訳が有る。
猪山藩に隣接したとある藩で、酷い圧政が行われおり何時一揆が起こるか解らない様な情勢なのだと言う。
ソレがそのまま猪山に飛び火する訳では無いが、一揆が懸念される様な碌でも無い統治をしている領地では、まともに鬼切りが成されては居ないだろう事は容易に想像が付く。
そして本当に一揆が起きて人死にが増えると……世界の壁は薄くなり、鬼や妖怪が爆発的に増えるのだ。
何時そうなるか解らぬ以上、必要最低限を超える様な動員をして、国許を手薄にする訳には行かない……と言う事らしい。
「何処かの馬鹿の様に街道を外れて下手に近道をしよう、などと考えては成らんぞ。幾ら天下の往来とは言え、道を外れてしまえば化け蛙だの大蛇だの、危険な妖怪はいくらでも居るからな。ソレさえ守れば然程困難な道行きでは無い」
以前同じ道を旅した事の有る仁一郎兄上に拠れば、護衛として共に出掛けた義二郎兄上が余計な事を言わず、真っ直ぐ道なりに旅をしたならば、道中見舞われた困難は何一つ起きなかっただろう……と、そう言った。
猪山藩の身内から護衛が出せないならば、幕府から……と言う話も有ったらしいが、ソレを受けてしまうのは、やっぱり『家の恥』と言う事に成るので断らざるを得なかったのだそうだ。
勿論、道中で俺に何か有って京まで辿り着けないなんて事に成れば、それはソレでやっぱり恥な訳で……。
確定の恥と万が一の恥を天秤に掛けた結果、そうそう酷い事には成らないだろう、と父上と兄上達は判断したらしい。
「急ぎの旅と言う訳では無いのですから、道中無理はしては行けませんよ。日が落ちる前に次の宿場に付けないと思ったなら、少し早くても宿を取って休むのですよ。多少旅費が嵩んでも命には代えられないのですからね」
二度、三度と火打ち石を打ち付け火花を散らす、火切と呼ばれる魔除けの作法を行いながら母上がそう言った。
幕府から出る事に成っている旅費は、現物の金銭で先払いと言う訳では無く、道中の両替商に『手形』提示する事で、必要に応じて引き出せる様に成っているらしい。
流石に無制限で自由に遊び銭を……と言う訳では無いが、天気や事故で多少旅程が伸びる程度では問題には成らないそうだ。
「最悪、上から引き出せる額面を超える様な事が有れば、ちゃんとお母さんが何とかしてあげるから、本当に無理だけはしないのですよ」
……その場合、多分何処かの賭場がまた一つ潰される事に成るんだろうな。
「余計な騒動に首を突っ込む様な事はしちゃ駄目よ? 世の中、何でも最後は叩き切れば済む……って程、簡単には出来てないなんて事は、わたくしが今更言わなくてもしーちゃんならよく知ってるでしょうけどね」
国許に居る伏虎の両親に挨拶を済ませた礼子姉上は、今年中に此方で祝言を済ませ、来年父上が国許へ帰る時に向こうへと行ったら、後はもう余程の事が無い限りは猪山から出る事は無いらしい。
うん、結納の時には居合わせる事が出来なかったが、今度の祝言には俺も参列出来る様にしたいな。
「道中、道の端は良く見て歩くの。普通に人通りの有る道でも、ちゃんと探せば薬草の類は幾らでも見つかるの。霊薬の材料は幾ら有っても困らないの、志七郎君が作れる程度でも田舎なら十分高価な物になるのよ」
俺が作る事が出来るのは本当に簡単な霊薬だけだが、薬師が常駐している様な大きな街ならば兎も角、普通の農村や小さな宿場では、そんな物ですら引く手数多と成り得るらしい。
智香子姉上の言では、銭が足りなければ、ソレを売れば当座の資金とするには十分なのだと言う。
自分で使う分を作る事が出来れば十分かと思ってたけれども、母上の被害を減らす事を考えると、金策の手段として考えて置くのは悪く無いかも知れないな。
「余計な荷物を増やして済まぬでおじゃるな。本当ならば麻呂も一緒に京へと行きたい所なのだが、修行の日程が詰まっておじゃる故な……宇佐美殿にはくれぐれも宜しく伝えておじゃれ」
余計な荷物と言うのは、信三郎兄上から安倍家の宇佐美姫に宛てた贈り物だ。
中身は国許で手に入れた素材を加工した装飾品の類らしいが、うん……結婚前から四人も妾を抱える様な事に成ってるんだから、ご機嫌取りの一つや二つは必要だろう。
まぁ然程大きく無い葛籠一つ四煌戌にぶら下げるだけなので、大きな負担と言う程では無い、問題が有るとすればそれなりに高価と言える品なので、盗人の標的に成る可能性が有る事位が、変に見せびらかす様な事をしなければ大丈夫の筈だ。
「はい、ししちろー、お弁当にゃー。食事は旅の楽しみだけど、景色を見ながらお弁当食べるのも良い物だにゃー」
睦姉上から渡されたのは、竹の皮に包まれたそれなりに大きな『何か』だった。
前世の世界でも売っていた『おにぎりが二つ入ったソレ』よりは間違い無く大きな包なので、多分他におかずも包まれている……と言った所だろうか……昼に成るのが楽しみだ。
「兄者……済まぬ、余がもう少し大きければ、余も護衛として付いていく事が許されたのであろうが……」
ぎりりと歯ぎしりの音を響かせながら、顔一杯に悔しさを滲ませそう言ったのは武光だ。
練武志学両館で既に頭角を現し、小遣い稼ぎの鬼切りでも、俺より年下とは思えぬ額面を稼ぐ様には成ったが、だからと言って上様直系の子がそうほいほいと江戸州外へと出掛ける訳には行かない。
それこそ武光も一緒に行くので有れば、俺の護衛に行くと言う話では無く、彼の護衛を別に用意する必要が有ると言う話に成ってくるのだ。
「俺が帰ってくるまで、お前はもう一寸色々と自重する事を覚えろよ、さっきの礼子姉上の言葉じゃないが、お前は揉め事に首を突っ込む度に余計な枝葉が増えていくんだからな」
「いやいや余など信三郎兄上とは比べ物にも成らぬかと、兄上は確かに助けを求める者を救う為にならば何でもするが、兄上の様にその度に妾が増える……なんて事はしておりませんからな」
「麻呂とて女児が欲しいから、暴れる訳ではおじゃらぬぞ……とまぁ、今はその話は良い。志七郎、今度こそ準備に手抜かりは無いのでおじゃるな?」
「勿論、では皆さん、行ってきます!」
多分、ここいらで切を付けなければ、何時までも出立は難しい。
一寸無理やり気味では有るが、そう言い放ち四煌戌の背中に飛び乗ると、背中越しに片手を振りつつ、四煌戌にだく足、それから除々に歩速を上げていくのだった。




