四百六十二 志七郎、武学の館で試験受ける事
基本的に手合わせと社交の場である練武館とは違い、志学館の方には学年とでも言うべき概念が有り、年度中に進級試験を突破しなければ落第留年と言う事も有る。
俺は同年代の子供達と違って勉強する事の大切さや、効率よく学ぶ骨を色々と理解しているので、基本的に勉学の方は楽勝……と言う訳でもない。
いや、歴史やら論語の暗唱やらの『暗記科目』は向こうでの経験は当然役に立つし、算術なんかも計算方法や公式なんかの考え方の部分はそのまま使う事が出来るので然程苦労はしない。
問題は桁の大きな計算だ、算盤が現役最先端の計算機と言ってもほぼ間違っていない此方の世界の子供達は、皆幼い頃から算盤に慣れ親しんでおり、その結果多くの者は暗算が半端じゃなく早いのだ。
ぱっと即座に暗算出来る程度の桁以上の数字と成ると、電卓を使うのが当たり前に成って居た身としては、当初此方の子供達の計算速度に着いていくのは無理だった。
と言うか家では、事務仕事をしている家臣達やその確かめ算をする兄上や父上は兎も角、俺がそんなに大きな数字を勘定する様な事は無かったので、俺にそんな弱点が有る事に誰も気が付かなかった。
進級試験は年度中ならば何時でも受けられるので、初年度は此方に帰って来てから受けてサクッと突破出来たのだが、二年目の年度頭に受けた試験では算術で合格点に届かないと言う結果と相成ったのだ。
その後、特訓に特訓を重ね、何とか試験は突破したのだが……残念ながら算術に限り俺は比較的『劣等生』に分類される事に相成った。
「と言う訳で何時京から戻れるか解らないので、年度前では有りますが前倒しで進級試験を受けさせてください。まぁ……算術は今の段階で即突破は難しいかも知れませんが」
来年度には八算と呼ばれる『割り算九九』とでも言うべき山が待ち受けていたりするので、実の所算術の授業だけは受けたいのだが……。
「あー、うん、上からも話は来てるから構わない。が、計算は反復で身に着けるしか無いからな、旅の途中でも時間を作って練習するんだぞ。算盤一つくらいなら、大して大きな荷物には成らんからなー、後は八算も覚えろよー」
俺の願いを聞いた安藤先生は此方をちらりと一目見て、そう言いながら文机の上に雪崩が起きないのが不思議な程に積み上がった書類の山に向き直る。
コレは別に彼が片付けられない人だから……と言う訳では無い、単純に今が年度末近い時期で駆け込み的に試験突破を目指す生徒が多いからの事だ。
「なんか、すみません……仕事増やして……」
「いや、お前さんの所為じゃぁ無いだろ。宮仕えで有る以上、上からの命令は絶対だ。まぁ今回は本来の命令系統の外からの話だが、幕府が承認したんだから、まぁ仕様が無いわな……但し試験結果に下駄履かせる様な事はせんからなー」
……結果、算術以外は無事突破、うん旅の道中も時間を見つけてきっちり勉強しよう。
「志七郎殿は、算術だけで無く筆使いももうちくと頑張った方が良いと某は思うでござる」
「だのー、武の腕前で敵うとは決して言えぬが、書の腕前では拙の方がまだ上手ですからのぅ」
試験を終え練武館の方にも顔を出した俺に、そんな台詞を投げ掛けたのは顔と名前が一致する比較的少ない同期生だ。
前者は森本家の獅子丸殿、後者は飯伏家の影千代殿と言う、双方ともに決して裕福とは言えない御家人の家の子である。
顔見知りが少ないのは、別に俺が仁一郎兄上の様なコミュ障だからと言う訳では無い。
高学年は兎も角として、低学年の内は進級試験の内容も決して難しいと言う程では無いので、年度頭にさっさと進級を決めてしまえば、授業には出なくても良い。
家格が高い家の子程、家庭学習にも力を入れているので、授業に出るのは家格が低い家の子が多いと言う事に成るのだ。
そして練武館での修練は手合わせが主なので、武芸では突出してしまっている俺はどうしても同期とは接点が少ない為、俺同様に算術が余り得意とは言えず、試験を突破したのが年明けに成った仲間の二人と、比較的仲良くなったと言う訳である。
此奴等、言うだけ有って字は間違い無く俺より上手い。
俺も大分毛筆に慣れたとは思うのだが、彼らのソレが『書道』と呼ぶに相応しい物なのに対して、俺の字は未だに『お習字』と言う感じなのだ。
せめて文字の優雅さを競う様な所までは行かずとも、最低限恥を掻かない程度には修練したい所である。
「それにしても、界渡りなんて御伽噺でしか聞いた事の無い様な旅から帰ってきたばかりだと言うのに、今度は京でござるか……加護持ちは生まれついて技能を授かる故人生安泰かと思えば、ソレ以上に苦労するようでござるな」
「然り然り、拙等が命懸けで学んだ武芸も加護持ちにとっては生まれ持つ物と聞き、嫉妬に狂いそうに成ったが、話半分だとしても拙が同様の人生歩んで無事には済んで居らぬでしょうのぅ」
同じ御家人でも比較的裕福な家の子は、相応の育成技術を持つ家庭教師を雇うが、余り余裕の無い家では父や兄等の家族が自身の経験だけに基づいた指導をする事が多い……問題は極めて一部な例外を除き、武士の多くは脳筋族根性派だと言う事だ。
俺にとって比較的身近と言えるのが、鬼切り奉行の桂家である、彼処は十分に裕福と言える家にも関わらず、出来過ぎた長男を基準とした無茶な修練で七男三女の十人中、六人を夭逝させてしまっている。
流石に其処まで酷い例は稀では有るが、師範免状を持たない者が稽古を付け怪我をしたり、半端な腕を過信させ初陣で命を落としたりする子供は江戸だけでも両手の指に余る程出る。
彼らも十歳に成った今年、初陣を経験する事に成るが、絶対に生きて帰ってくる保証が有る訳では無い。
とは言え、此処に通う事の出来る直臣の子等は、師範達が間違い無いと判断出来る程度までは鍛えてから送り出すので、俺の時の様に大鬼と遭遇する様な事故さえ無ければ、大した被害も無く帰ってくるらしいが……。
まぁ彼らは、勉学で遅れを取っている分……と言う訳では無いが、同期の中では比較的腕の立つ方なので、大丈夫だとは思う。
それでも極めて稀な話では有るが、自分で自分の首を撥ねてしまう様な事故が無い訳では無いらしいので、油断をしては行けないのだろう。
俺が此方に居る時で有れば、りーちや歌の時の様に初陣の介添をしても良いのだが、此方に戻ってくるのが何時に成るか解らない以上、下手な約束をする訳にも行かないのだ。
ちなみに彼らは共に剣術流派としては同門で、天狗が家安公に授けた剣術に後世の者達が創意工夫を加えた事で生まれた鳴朧千糸流の使い手である。
幕府開陳の祖である家安公が使っていた流派である鳴朧流の流れを汲む幾つかの流派を幼少期から修行している者が多い。
剣以外でも破令武流槍術や那手保流柔術等、やはり家安公が使っていたとされる流派に傾倒する者が大半である。
此処で同じ様な謂れの無い流派を使うのは、俺の様に生まれながらに別流派の技術を持つ加護持ちか、国許発祥の流派を修練する大名家の師弟くらいなのだ。
一つの道場で稽古をするこの環境だと『どの流派が強い』と言う様な論争が出る物だと思ったのが、此処ではソレを云々する者は居ない。
結局の所『どの流派が』では無く『誰が使うか』『どの程度習熟しているか』の方が絶対的に重要だと言う事を誰もが知っているからである。
当然、特定の流派に対してメタを貼った様な流派を創設する者も居るが、鬼切りと言う実戦が社会の直ぐ隣に有るこの世界、そんな半端な真似をした所であっさり死ぬのがオチなのだ。
「おっと、場が開いたでござるな。今日こそは某が勝ち越させて貰うでござる、では之にて」
「なんの、拙も負けぬからのぅ。では志七郎殿、土産をとは言わぬ、無事帰って良い土産話を期待して居るからのぅ」
だからこそ、彼らは此処で修練に精を出す。
「ああ、そっちこそ初陣で転けるなよ」
……同期って、全部で何人居たっけか? うん、出発前に先生に確認しておくか……




