四百五十六『無d……手前ぇグラサイ使ってやがんな!?』
何処から鬼が出るか、妖怪が襲って来るかも解らぬ山道を、只管登らされる事はや三日……、ようやっと道の一番高い所を乗り越えて木々の切れ目へと到着出来た。
その道中を鑑みてみれば、流石は並み居る武士達を差し置いて、武勇に長けしと謳われる兵達の名産地だ、何か用事が有ってこの険しい道を行き来するだけでも、十分以上に厳しい鍛錬と言えるだろう。
「それにしても、流石は陰陽寮の術師様だ。真逆本当に山を越えるまで一度も襲われねぇんですからね。コレなら護衛代と道案内料を相殺するどころの利益じゃぁ無ぇですわな」
と、同道した現地商家の荷駄隊を率いる商人が手を揉みながら、そんな台詞を口にした。
「いや……幾ら『追儺』の呪があろうと、この山道を拙一人で超えるのは無理でしたな。多分何処かで迷うかして、食い物なり水なりが尽きて野垂れ死ぬのが関の山。此方こそ此処まで道らしい道が無いと言うのが、真逆でしたからな」
鬼や妖との遭遇を抑える陽の術である追儺は、陰陽術師にとって基本中の基本とも言える物で、術者の格を大きく超える化物には効果が薄い。
幸い今回通った南側の山道は、この山塊で最も討伐難度の低い化物しか出ないとの事だったが、その分と言う事か地形は碌な整備もされておらず、地元の道に明るい案内人が居らねば普通に遭難していただろう事は想像に難くは無かった。
かと言って、碌に街道の整備も出来ぬのか……とは間違っても口にする事は出来やしない。
なにせこの土地は、四方を囲む他の領地全てから戦場を押し付けられていると言っても過言では無い立地なのだ。
もしもその戦場に道一本分でも結界なぞ貼ろう物ならば、折角安定している戦場がどの様な変化を見せるか読み解く事等、それこそ神々にすら出来ぬ事で、下手な真似をすればその神々に余計な仕事をさせた、と一族郎党根絶やしにされかねない。
神々と直に接する事の無い、江戸の侍達にはこの辺が理解出来ないかも知れないが、神を祭りその温情に依って生きる者が大半の、京の公家には神の怒りを買うのは、絶対に避けねば成らない事なのだ。
「しかし御公家様も大変ですなぁ、幾ら主命とは言えたった一人でこの難所を越えて手紙を届けねば成らないとは……」
普通手紙ならば、陰陽寮でも上から数えた方が早い地位に居る自分が、文を届ける等と言う誰にでも出来る――それこそ下男に任せる様な仕事をする訳が無い。
「これが普通の手紙であれば、それこそお前達の様にこの地に出入りする商人にでも銭を渡して届けさせる事も出来ようが、流石に帝の勅を認めた物とあらば、おいそれと下々の者に預ける訳には行かぬからな」
今回のコレは帝からこの地の領主に宛てた勅なのだ。
無論、領主は武士で有り禿河の臣である以上、幾ら帝とは言え頭越しに直接命令する権利は無い。
にも関わらず、先ずは江戸の禿河将軍家へ……では無く、こうして直接国元の君主へと届ける様命じられたのは、その内容に先方の承認が下りているからと聞いている。
まぁ自分に命じられたのは飽く迄も、この地居る君主へと直接届けると言う事だけで、その後の政治的な云々に関与する事では無い。
しかも文を届けた後はこの地に留まり、敬愛すべき主君の愛姫の元へと婿養子に入る予定に成っている、云わば未来の主君を来るべき婿入りの日まで、陰陽術師として鍛える様言われているのだ。
今現在、彼がどの程度の技量を持つか、はっきりとは聞かされては居ないが、姫が婿を取るであろう御年を迎えるまでは、大体六年程の猶予しか無く、ソレまでにその者を一人前に育て上げる事こそが自分に与えられた本当の使命なのである。
恐らくその過程で自分も江戸へと下る事も有るのだろうが……まぁ暫くはこれ以上無いだろうド田舎での生活を楽しむとしよう……。
そう自分に言い聞かせながら、集落と呼ぶには広大過ぎるその盆地を見下ろし、ため息を噛み殺すのだった。
「勅、確かに承った。合わせて義兄殿から遣わされた息子の指導者着任も誠忝のう御座る。御方の滞在中、可能な限りに融通を効かせる故、息子を一廉の術者として頂く様ご指導御鞭撻宜しくお頼み申す」
勅を認めた書と、主君からの文の双方を恭しく受け取り一読した後、猪山殿が頭を下げる事無くそう言った。
小なりとは言え君主であり、その立場上簡単に頭を下げる訳には行かないと言う事は理解しているが、それでも侍風情が貴族である自身に礼を取らぬ事に苛つきの様な物を覚えるが、陰湿な公家社会で育った者としてソレを顔に出すような事はしない。
「いえ、主命とあらば……それに未来の陰陽頭の師と成るのであらば、これ以上の名誉は早々御座いませぬ。ただ、そのお立場に相応しき術者と成って頂きます様、指導は決して生易しい物には成らぬ事、予めご容赦願いたい」
本音を言えば、婿養子に迎える成らば、同じ主家の親戚筋であっても、もっと尊い血に近しい者が居るだろう……とは思うが、主家と禿河将軍家そして帝までもが是とした縁談に、一家臣に過ぎない自分が嘴を突っ込む訳にも行かないのである。
「無論、其処らの馬鹿親の様に厳しい指導に物申す様な事はせぬ。修行の過程で命を落とそうと、ソレはソレで彼奴の天運が無かったと言うだけの話じゃ。まぁ流石に謀殺する様な真似をされれば、家の者達が黙っては居らんだろうがの」
牽制とも取れるその言葉は、本当であれば刃にも似た鋭さを持って叩きつけられる物の筈なのだが、先方には自身の子が謀殺されても仕様が無い……と思える所が有るらしく、むしろその言葉は此方への気遣いすら感じさせる温度の物だった。
万が一、自分が息子を謀殺したとしても、自分は咎めませんよ……只、流石に家臣達まで抑える事は出来ないので気を付けろ、とそう言っている様に思えたのだ。
相手が箸にも棒にも掛からない様な愚物であれば、為政者としてそう言う物言いが出るのも解らなくは無い。
だが先達て、主君やお姫様が江戸へと下った際の話を聞けば、彼の者が碌でも無い愚か者と言う事は考えられかった。
一体何故、猪山殿はこんなにも後ろめたい物を隠している様な口ぶりなのか……
「父上、お呼びと聴きまして参上したでおじゃる。言われた通り、鬼娘達も連れて来たでおじゃるが……」
その答えは、然程の時間も置かぬ内に理解する事が出来た。
主家のお姫様を娶る予定の男が、四人もの見目麗しい娘を連れて姿を表したのだ。
しかもその言葉に間違いが無いのであれば、打倒した鬼の娘……即ち既に懇ろの関係に有るであろう娘達と言う事なのだろう。
自分も男である以上姫が良い年に成るまで、禁欲せよと言うのがどれほどの無茶であるかは理解出来る故、女遊びをするな等とは口が裂けても言えやしない。
自身にだって身に覚えの一つや二つ無い訳では無く、むしろ若者が童貞だと言うのであれば、お姫様との初夜を無事越えれる様、適当な宛てがい女を用意する様言う事すらしただろう。
だがコレは其処らの商売女や、行きずりの遊び女を相手にするのとは訳が違う。
鬼や妖の娘は情が深く、一度コレと決めた男に忠愛を尽くすと言うのは有名な話なのだ。
これがお姫様が嫁入りする……と言うのであればまだ良い、お姫様が嫁入りするに当たって正室の地位を開けさせるだけで済む。
しかし今回はそう言う話では無い、婿養子と成る以上、お姫様を蔑ろにしたと自分達家臣が感じた時点で、彼に忠義を尽くそうと言う者は居なくなるだろう。
「矢部野殿……察してくだされ。女鬼との会敵は好き好んで起こる事体では無い。コレも運命だと言う事で御座ろう……。牡丹殿、柏殿、紅葉殿、桜殿、そして信三郎、此方は京よりいらした矢部野彦麻呂殿じゃ、挨拶を……」
胃が痛むのか腹を擦りながら書を読んでいた猪山殿が、それぞれを指し示し名を口にする。
……その流れだと我がお姫様は、差し詰め『月夜』とでも言う事だろうか。
誰が上手い事を言えと言ったのか……そんな事を思いながら、そう言えば武士の家系は皆、性豪で知られる禿河初代の血を多かれ少なかれ引いているんだったな、と碌でも無い事を思い出すのだった。
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