四百五十五 志七郎、思い巡らせ現実から目を逸らす事
考え過ぎの類だとは思うものの、どうにも嫌な思いが拭えず、折角の料理の味も解らない……そんな状態に陥ったその時だった。
「なぁに変な顔で大根齧っとるんじゃお前は? 子供の癖に酒が欲しくなったのか?」
と、飲み会でノリノリで説教をして気持ち良く成っている御老人――いやまぁ御老人なんだが――状態だったお祖父様が、目敏く俺の異変を察知しそう声を掛けてきたのだ。
「いえ……酒はキライじゃぁ無いですが、そんなに好んで呑んで居た訳でもないので」
むしろ飲みたい物と言うのであれば赤白青のコーラが飲みたい、多分また微妙なフレーバーの期間限定品とか売られているんだろうし。
「それじゃぁ何をそんなに難しい顔をして居るのだ? 野菜ばかりでは無く肉も食いたいと言う話であらば、余も大いに賛同する所だが……」
家の事情で比較的粗食で育った割に大柄な体格を持つ武光は、猪山屋敷に来て食神の加護を持つ者が調理した料理に文句を言う様な事は無いのだが、やはり野菜よりは魚、魚より肉とその味覚はまだ子供らしい物である。
故に出た台詞なのだろうが、残念ながら俺はどちらかと言えば肉より魚派だ。
……いやいや、そう言う話では無い。
「お祖父様が言っていた、樹護操機というのがどう言う物なのかと思いまして……」
武光の言葉を完全無視して、俺はお祖父様にそう切り出し、自身が思い至った不安に付いて順繰りに打ち明けた。
すると……
「「「いやいや、考え過ぎだから」」」
大人連中は皆声を揃えてそう返し、ドッと笑い声を上げる。
「世界樹を護る操られし機械と書いて樹護操機、その名の通り世界樹の神々が作りし世界樹を護る武具……いや、兵器じゃ。其処まではまぁ御主の推測どおりと言えるが、ありゃぁ攻める戦で使える類の物じゃぁねぇ」
お祖父様の話に拠れば、樹護操機は鬼切手形と同じく世界樹の枝から削り出した部品を使い作られた一種の『自在置物』の様な構造の物で、聖歌使いが乗り込み神々の力を借り受ける事で動く兵器なのだと言う。
その動力は世界樹そのものから発せられる膨大な氣で、ソレが届く範囲でしか動く事が出来ない為、基本的に世界の中央に聳え立つ世界樹を護る為だけにしか使う事が出来ないのだそうだ。
だが例外と言える物も何体か存在しており、この火元国にも神無月に神々が集まると言う高天御殿と言う場所と、京の都に有る帝が住まう御所の二箇所に数体ずつが配備されているらしい。
しかもそもそもそれら樹護操機を作る事が出来る神は火元国に居るそうで、今更技術を盗んで云々と言うのは考え辛いのだと言う。
「中央の神々も、この地の神々も、そもそもが一枚板では無い事は誰しもが知る事実じゃしの。貞淑の女神と多産の女神や、弱者の守護神と強食の神など、司る価値が相容れぬ神々など幾らでも居るしの」
複数の『神』が存在している事でも解る通り、この世界の神々は所謂『全知全能』の存在では無い。
それぞれの神が、それぞれ司る物事に対して持ちうる『権限』が違い、その職分の被る部分などを巡って時には神々同士で対立し争う事も有るのだと言う。
だがソレも飽く迄『世界樹』の管理権限を持つ故に、この世界で神として振る舞えると言うだけで、万が一にでも他所の神々からの侵略に対して『世界樹』が陥落する様な事が有れば、彼等は神としての権能の多くを失う事に成るのだそうだ。
故に揉める様な事が有ったとしても、上位権限を持つ者の裁定を待つか、酷くともお互いの信徒が争う程度で終わり、神々同士が直接どうこうする……と言う事は、歴史上一度も起こっては居ないらしい。
「無論、今まで一度も無いからと、これから先も絶対に無いとは言えぬが……。至上の神々がその手の対策を打っておらぬ訳が無いからの。下位の神々がクソ忙しくて禄に休む暇も無いのは、余計な事を考えさせぬ為とも言われておるの」
ソレって社員が訴訟だなんだと、言えぬ様にギリギリまで使い潰すブラック企業のやり方じゃぁ……。
そのやり方は長く続ければ、何処かで不満を溜めた者が不穏分子に成って爆発する奴だろ。
いやでも、界渡りや大鬼討伐なんかで聞いた話を考えれば、他所の神々ってのはそれ以上のブラック労働が当たり前らしいし……此処を首に成ったらもっと酷い待遇しか無いとかそう言う事なのだろうか?
……うん、考えてみると世界樹が有るからこの世界は狙われているのだ。
電子化が進んだ職場と、全て手作業でやらねば成らない職場、人員が同じで同じ仕事量だとすれば、圧倒的に前者の方が楽なのは当たり前だろう。
天候なんかがほぼ完全に管理されており、余程の事が無ければ飢饉は起こらないと以前聞いた事が有るし、世界樹が有る事に依ってそれだけ細やかな世界管理が出来ていると言う事なのだと思う。
信徒の為す功績や信仰心が、彼等の給料の様な物なのだとすれば、安定した世界の方がソレを得やすい事も想像に難くない。
と、言うか他所の世界の神々が、己の信徒とでも言うべき鬼や妖怪達を、引っ切り無しに送り付けて来ているのだから、世界樹が齎す恩恵は常人に過ぎない俺に想像出来る範疇を軽く越えているのだろう。
しかも黄泉戸喫と言う、他所の世界の物を食った者はその世界に属してしまう……と言う法則が有る為、他所の世界に信徒を送り出すのは長い目で見れば自身の信徒を削る愚行にも成りかねない。
実際、この世界に土着化した河童や化け狸の様な妖怪達も居れば、半ば婚活の如くこの世界を目指す女鬼も居るのだと言うのだから、彼等の元居た世界と言うのは余程住み辛い場所だと言う事も想像が付く。
それに前世の自分の事で考えて見ても、書類一枚手作業で仕上げるのと、電子機器を使うのでは、掛かる時間は雲泥の差と言って間違いなかった。
以前、会った事の有る難喪仙と言う仙人が見せた神仙の術は、世界樹に働きかける事で実際の動作は何もせずに結果を現実に押し付けると言う物だったし、それと同等以上の事が神々には出来る筈だ。
他の世界の神の能力と言うのがどの程度の物かは解らないが、界渡りの際に見た『冥土長』も船を動かすのに己の手で櫂を漕いでいた事を考えれば、簡単な操作で現実を動かせると言うのは、それだけ破格の力と言えるだろう。
ただそれらは飽く迄も、世界樹の管理下に有る存在に対してのみ効果が有る為に、外敵はきっちりこの世界の信徒達が仕留めねば成らない訳だ。
「まーた……何処に考えがすっ飛んで居るかは知らんが、折角の祝勝会にそうしかめっ面しとるんじゃ無いわ、辛気臭い。どうせ御主はその内どえらい事の中心に居る運命なんじゃろし、細かい事を一々グダグダ考えとったら、碌に飯も食えん事になるんじゃしな」
其処まで思い至った辺りで、そんな不穏な予言の言葉をお祖父様が口にする。
……神の加護を持って生まれた者は、その神に功績点を上納する為に様々な困難苦難に直面する物だとは聞いているが、ソレにしたってその言葉の通りに成るのは嫌過ぎだ。
「と言うかの志七郎。兄弟全員が加護持ちとか言う時点で『六道天魔の乱』程とは言わずとも、世に何らかの波乱が来るのは確定じゃろ。儂ゃ義二郎の初祝で加護が有ると知った時点で覚悟完了しておるわ」
深い深い溜息と共に突きつけられる現実、俺がソレを間違いの無い事実だと実感するのは、この時点から然程遠く無い未来の事だった。




