四百四十九 悪五郎、夜遊びを語り奥義再び放つ事
「押せやぁぁぁあああ!」
「そいや! そいや! そいやぁぁぁあああ!」
「ぅぉぉぉおおお! どっこい!」
野太く汗臭い咆哮を響かせて、風間藩士達が階段を埋め尽くす化物達を轢き潰しながら進んでいく。
幸い九層での戦いで大きな怪我を負った者は無く、被害らしい被害と言えば、皆返り血……ならぬ返り汁に塗れ全身から青臭い野菜臭を漂わせている事位だろう。
着物は頑張って洗濯すれば臭いは落ちるかも知れないが、染みに成るのは避けられない様に思う。
まだ均一に染まったならば草木染めと言い張れなくも無いが、こう様々な野菜汁を斑に被ってしまっては、見栄と面子で生きている武士が着続ける事は出来ず、質にでも流すしか無いのは仕様が無い……のだろうか?
特に最前列でゴリ押しを続ける風間藩士達は、ある者は赤茄子で真っ赤に、ある者は南瓜と玉蜀黍で真黄色に、菠薐草や芽花野菜の緑や、人参の橙色に染まった者も居る。
八層の時点で着物どころか身体までバッサリやられた者や、もっと上で豚足や手羽先の返り血で汚れたりしている者も居るし、今更と言えば今更なのだが……。
それでもこの新宿地下迷宮の妖怪達は食材としての需要が有り、素材を持ち帰れば相応の手取りと成る分と言う事か、一匹頭の討伐報酬は小鬼と然程変わらず雀の涙も良い所なのだ、洗濯しても落ちぬ汚れに塗れ代わりの着物を自弁しろというのは一寸酷にも思える。
「なぁに気にする事ぁねぇよ。どうせこの先嫌って程、野菜を潰す事に成るんじゃ。一財産たぁ流石に言えねぇが、そんでも太夫までは行かずとも格子で一週間、散茶なら長逗留を決め込んで遊べるだけの銭は出らぁな」
そんな心配が顔に出ていたのか、お祖父様は氣を吐き出しきって萎み皺が目立つ様に成った顔に下卑た笑みを浮かべながらそんな言葉を口にする。
太夫、格子、散茶、それらはどれも遊女の格を示す言葉で有り、それら格を持つの者が居るのは江戸州の中では『吉原』だけである。
最高級の遊女達と遊ぶとなれば、それはそれは膨大な銭が……金が要る、なにせ最高の中の最高『太夫』の称号を持つ遊女と致すとも為れば、最低でも四十両下手をすれば百両が夜露の如く消える事になる。
しかも吉原では一度懇ろに成った遊女が居るならば、吉原内で他の遊女に乗り換える『浮気』は基本的に認められ無いとされているので、その後も吉原で遊ぼうと思えば大藩の藩主は勿論、富豪と呼ばれる様な大商人でも身代を崩しかねない。
だが其処から一段落とせば、十分に豪遊と呼んで差し支えない『遊び』が出来る程の銭が、参加者全員の手に入るだろう、とお祖父様はそう言っている訳だ。
「お祖父様……例えにしたって子供に言う話じゃぁ無いです、しかも此処には歌も居るんですから、もう少し別の方向にしてください」
前世に三十路を回った経験の有る俺や、そっち方向に興味津々なお年頃なぴんふは良いとして、未だお子様なりーちや武光、女の子の歌に聞かせるには少々生臭いと言うか何と言うか……。
「あぶく銭の使い道なんぞ、色事じゃ無けりゃ賭けか数奇の類か……兎角その辺に落ち着くもんじゃろ。桂の嬢ちゃんも、もう何時縁談が有っても奇怪しくない年頃じゃ、何時までも初なネンネ扱いは逆に失礼じゃろ」
対して返って来たのは悪びれる事の無いお祖父様のそんな言葉と、
「……何処ぞの大店の箱入り娘じゃあるまいし、幾ら私でも赤子を鸛が連れてくる、なんて事を未だに信じている様なお子様じゃぁないですよ。何の為の嫁入り修行だと思ってるんですか?」
子供扱いを恥じてかそれとも赤裸々な話題故か、歌が頬を微かに染めながらの追撃だった。
十で縁談当たり前、十四~十六が適齢期で二十過ぎれば行き遅れ……そんな社会を舐めていた。
いや考えてみれば、部屋を隔てるのは薄い壁か木と紙の障子が当たり前のこの火元国で、兄夫婦と同居してりゃぁ余程広い屋敷に住んでいなければ、兄夫婦の夜の生活を一切見聞きしないと言う事は無いかも知れない。
歌の家は鬼切り奉行と言う要職を担う家では有るが、土地の限られた江戸城郭内に有る屋敷で、郊外に大きな敷地を構える大名屋敷とは、言っては悪いが比べ物に成らない位に小さい。
と言うか、その手の物事は大っぴらにされる事こそ無くとも、強く秘匿される様に成るのは所謂『戦後』の事だったか……。
うん、思い返して見れば前世でも俺が子供だった時分には地上波の番組でも『おっぱい』を見る事は無くは無かった。
その手のシーン見たさに、とあるお笑い芸人が殿様に扮するコント番組に齧り付いたり、親が寝静まったのを見計らって毎週土曜の深夜に放送されていたお色気番組に齧り付いたりした事も有る。
それどころか本吉の奴は中学生の頃には既に大人向けなゲームやマンガに手を出していた記憶も有るので、向こうに比べてそっち方面に大らかな此方の世界では色々と知るのも当然なのかも知れない。
とは言え、セクハラなんて言葉も概念も無い世界では有るが、その手の気遣いを全くしなければ、女性から好意を寄せられる事は無いだろうというのは、ぴんふと歌を見ていれば一目瞭然なので、俺自身としてはやっぱり気を使って生きたいと思うが……。
「っと、ソロソロ無駄話は終わりじゃ。大物の気配一つに数えるのも馬鹿らしい程の雑魚の群、こりゃぁ妙な事に成っとるようじゃぞ?」
お祖父様が発したそんな台詞で俺は益体も無い思考から意識を現実へと引き戻す、どうやら前衛は階段に詰まった野菜達を駆逐し、最下層へと至ったらしい。
顔を上げ目玉に氣を叩き込み先を見れば其処に広がるのは、先程お爺様が壁を全部薙ぎ払った第九層と変わらぬ様な端の見えない大部屋と、其処を埋め尽くす数を数えるのも馬鹿らしい程の野菜の群と……その奥にそびえ立つ一本の白い何かだった。
「おうおうおう、どうやらあの白い……大根? いや樹護操機モドキか? 兎角アレが今回の主のようじゃぞ。他に強い氣は感じねぇ、お前等取り敢えずはアレを目指して切り拓け!」
鬨の声を上げて前衛が雑魚野菜の群と接敵し激しい剣戟を響かせる中、俺は目を凝らし件の白い何かをよく見る。
コレまでの階層より高い恐らくは五丈程は有る、天井のギリギリ近い所まで伸びた白い柱の様な何か、その上部先端は確かに微妙に青みがかっており、その上には深い緑の葉が生い茂っていた。
うんアレは確かに大根だ、遠近感が可怪しく成るような大きさを除けば……。
と言うか、樹護操機ってなんだ? いや巨大大根に手足が生えてる時点で普通の大根じゃないし、半ば位の位置……腹? 辺りには扉の様な物とガラスの様な何かが嵌った窓の様な物も見える。
少なくとも俺の読んだ事が有る書物にはあんな妖怪を記した物は無い。
圧倒的な数の差を物ともせず、すり潰す様に戦線は前へと進んでいくが、不確定名『大根』は身じろぎ一つしない。
『真逆、此程速ク人間共ガ此処マデ来ルタァノ……。折角此方へ持チ込ンダ我ガ決戦兵器ガイゴクンガ間ニ合ワニャァタァノ……。ンダガそれモ後少シデ終リャアス……者共! だいこーんノ起動マデ今少シ時ヲ稼ギャァ、タダクサニ死ヌルデニャァギャ!』
自動車のアイドリングにも似た地響きを立て、ダイコーンとやらの窓が光を放つ。
だがソレも未だ準備段階の様で、ソレを守らんと無数の野菜達は一層に熱り立ち俺達の進軍を止めようと打ち掛かって来る。
四方八方から、幾ら切り倒され殴り飛ばされても怯む事無く襲いかかってくる野菜達の猛攻は、とうとう快進撃を続ける連合隊の足を止めさせた。
「小僧共! 儂が道を開く、あの化け大根が暴れる前に叩き斬れ! アレはヤバイ、尋常では無い氣が集まっておる!」
そう吠えながら全身を氣で膨らませ微かに眉を潜めたお祖父様は、
「裸王! 轟! 衝! 破ぁぁぁあああ!!」
全身から絞り出した様な氣を巨大な白い大根との間に立ち塞がる無数の野菜達に向け、撃ち放つのだった。




