四十三 志七郎、氣の修練を重ねる事 その二
「ぃよっし! っと、あれ……?」
思った通りの結果に快哉を上げ両腕を突き上げるが、不意に膝から力が抜け崩れ落ちる様に尻もちをつく。
両腕からも力が抜けていき、上体を起こしているのも億劫だ。
「氣は短い時間に使い過ぎると枯渇する事が有ります、そうなると今の志七郎様の様にまともに戦える状態では無くなります故、氣の使い過ぎには注意が必要です」
とうとう全身から力が抜け倒れこんだ俺を見下ろしながら鈴木は言った。
「氣は体の力と心の力その双方を束ねた物です、志七郎様は過去世の魂を持つ故に体の力よりも心の力が大きいのでしょう。常人はその逆である事が多く、心の力が先に枯渇し意識を失うのです。さぁ、この霊薬を飲んでください」
力が入らず動けない俺を抱き起こし、小瓶に入った薬を口元へと近づけた。
ツンっと鼻を突く青臭さを感じたが、自力で動くことの出来ずされるがままに、薬が口に注ぎ込まれる。
「んぐぅーーーーーーーー!?」
口を抑えられ、吐き出すことも出来ず飲み込むが、そのあまりの不味さに悶絶躄地する。
「おぉ流石は智香子様に用意してもらった霊薬、効果は絶大ですな」
生の草を噛んだような青臭さと共に迸る苦味、その中に仄かに感じられる酸味と甘味、その絶妙なバランスは不味さだけでも人は殺せる、そう思わせるには十分なものだった。
「不味すぎて死ぬわ! 殺す気か!?」
ついついそう叫びを上げた俺の心情は察して欲しい。
「良薬は口に苦しと申します、強い効果のある物は霊薬に限らず大概不味いものですよ。ほら、現に志七郎様もう動けるじゃないですか」
だが鈴木は涼しい顔をして等と切り返してきた。
その言葉通り脱力感は既に無く、立ち上がるのも身体を動かす事にも支障は無い。
「今飲んで頂いたのは失われた氣を速急に回復する為の薬です、決して安い物ではないので早々使う事は無いのですが、氣が尽きれば先ほどの様に動くことも儘ならなく成りますので、必要となれば使用に躊躇しては成りません」
しれっと真面目な顔でそう言うが、鈴木はこの薬を自分で試してはいないに違いない。
そんな俺の内心は当然顔に出ていた様で、鈴木はあからさまに視線を逸らしやがった。
「で、では次の段階に参りましょう。時間が有りません!」
そう話を逸そうとする鈴木の対応に、未だ口の中に残るえげつない後味に苦しむ俺は、苛立ちながらもなんとか頷き続きを促した。
「本来ならば手からの氣翔撃を反復練習をして頂く所ですが、時間も氣も節約するという事で体の他の部分で氣を扱う練習を致します」
時間は兎も角、氣を節約すると言う意見には賛成だ。氣を使い過ぎればまたあのクソ不味い薬を飲まなければ成らないのだから。
俺の様子に否は無いと見たようで、鈴木は更に言葉を続ける。
「先程と同じ様に足に氣を集め、こうして踏み込む瞬間に軸足から氣を放てば……」
パンッと最早耳慣れた炸裂音と共に、殆ど予備動作無く鈴木は軽々と4~5メートルを跳躍していた、それも殆ど一瞬と言って良い早さでである。
「と、この様に素早く移動できます。これを『縮地』や『瞬動』等と呼びます、氣翔撃と違い流派や流儀に寄って様々な呼び名が有りますが概ね同じような技法ですね」
パパパパン、と連続で音を響かせながら連続で飛ぶ鈴木の姿はまさに目にも留まらぬと言う表現が相応しい物だ。
「よし、じゃあ俺も……」
そう言って足に氣を集め……る前にまずは氣を溜めないとな……。
「……良し!」
瞑目し十分な時間をかけ氣を溜め直した俺は、そう呟いて目を開けた。
鈴木はちょうど俺の真正面、概ね5メートル程の所に立ち俺を待っている。
「氣を集め、放つという工程は変わりません。ですが放つべき瞬間を見極めるには慣れが必要です。また氣を込め過ぎ飛び過ぎれば着地も儘成らず怪我に繋がります。かと言って恐れていては習得出来ぬのも事実。拙者が受け止めますので恐れずに飛び込んで下さい」
腰を落とし、いつでも来いと言わんばかりの姿勢で鈴木はそう言った。
だがそんな鈴木の態度とは裏腹に俺は中々飛び出せずに居た、別に男の胸に飛び込むのが嫌だという理由ではない、そんな事は訓練であると思えば当たり前に出来る範囲の事だ。
軸足から氣を放つと言っていたが、どうも踏み込もうとすると踏み足の方に氣が偏ってしまいドンっと強く踏み込む感じになってしまう。
利き手利き足の様に、氣が扱い易い足に集まってしまうのかと逆足に変えてもみたが、同じような事になる。
そんな風に俺がジタバタしていると
「氣を集めてから踏み込むのではなく、先に蹴り足を前に出しそれから軸足に溜めを作り、氣を集め飛んでみてください。放つのはある程度慣れてからにしましょう」
と、アドバイスが飛んできた。解っているならば最初から言って欲しいと思ったが、出来る者はあっさりと出来る事であり、逆に突っ掛かる場所は人それぞれの為、事前に説明するのは難しいとの事だった。
まぁ、運動でも勉強でもできる奴はあっさりと出来るし、出来ない奴は何度も繰り返し練習し、出来る様にするしか無いのは前世と変わらないだろう。
そう思い直し、言われた通り踏み込んだ姿勢で軸足に氣を集める、ぐっと軸足を屈めそして跳んだ。
それだけでも普通に踏み込むよりは高く速くそして遠くへと跳ぶ事が出来た、だがやはり鈴木の成したそれとは雲泥の差である。
「いい感じです、何度かそれを繰り返し慣れたら、蹴り足から『放つ』を試してみましょう」
黙って頷き肯定の意を示すと同じ様に跳ぶ事を繰り返す、そうしているうちにスムーズに跳べる様に成って来たので、最初のように両足に氣を溜めた状態で踏み込み、そして飛んでみた。
軸足に氣を集めるという事に慣れたのだろう、今度は綺麗に跳ぶ事が出来た。
「良し、鈴木、跳ぶぞ!」
「いつでもどうぞ」
それまで静かに見守るだけだった鈴木が、俺の言葉に改めて構えを取る。
それを見定めてから踏み込み、跳び、氣を放つ!
足元でパンっと氣が弾ける音が聞こえ、身体が前のめりに加速する。
身体が宙を泳ぐ奇妙な感覚に一瞬戸惑う……が、直ぐに視界がぐるりと回転し、そして止まった。
どうやら上手く跳べた様だが、予想通り大きく飛びすぎ、空中で姿勢を崩した所で鈴木に受け止められたらしい。
「今のは放つ氣の量が多すぎましたね、氣翔撃は飛ぶ過程で威力がかなり減衰しますが、これは丸々すべての力が推力に成りますので、もっと小さな力で大丈夫です」
地面に下ろされ、改めてそんなアドバイスを貰う。
再び十分な距離を取り、跳ぶ事を何度か繰り返すが中々上手くいかない。
今度は氣の量が弱すぎた様で弾ける音一つせず普通にジャンプするのと変わらない結果となった。
「今のは足に『集める』段階で氣が足りなかったですね。十分な氣を『集め』、そのほんの一部だけを放つんです」
ああ、そうか! 先にあの連射をしたのは、集めた気を細かく放つ事に慣れる為だったか!
繰り返すうちに出されたされたそのアドバイスで、ストンと腑に落ちた様に稽古の流れが理解できた。
氣を纏いそれを軸足に集め踏み切る、そしてその瞬間つま先からほんの指一本分の氣を『放った』
聞こえるか聞こえないかの小さな破裂音と共に再び加速する。
今度は綺麗に前に跳ぶことが出来たが、踏み足が地面に付いても勢いを殺すことが出来ず前のめりにたたらを踏み、転ぶ寸前で鈴木に受け止められた。
「今のは良かったです。ただ軸足にばかり氣が行って踏み足が疎かになっていましたね。1日の成果としては十分以上です。今日はここまでにしましょう」
そう言って鈴木は空を指で指し示した。
本のついさっきまで抜けるような青空だったと思うのだが、いつの間にやら日が落ちかけ真っ赤に染まっていた。




