四百四十四 連合隊、食肉売り場を抜け魚介売り場を通り過ぎる事
本当に一匹の野菜とも遭遇する事無くやって来たのは第四層、地図に拠ればこの階層に出るのは『鹿鬼』『馬鬼』『兎鬼』の三種類。
食材としてのお値段で言えば、一層の物と比べて重さ単価で倍には届かないが、その強さは倍程度では済まない。
決して鋭いとは言えないが太く固い角を持ち、生え変わりの際に抜け落ちたと思われるソレを木刀の様に振り回す鹿鬼は、氣こそ纏わぬ物の並の人間では追従できぬ身体能力を持ち、中堅程度の鬼切り者であれば一対一では少々分が悪い程度の能力が有る。
対して馬鬼の方は身体由来の武器では無く然程質の良くない鋳物の金棒を手にし、ソレを力任せにぶん回す戦い方で、身のこなしこそ鹿鬼に劣る物のその腕力は圧倒的で、綺麗に貰えば一撃で鎧を粉砕されかねない危険な化物だと言える。
それらに比べれて以前地上で戦った事も有る兎鬼は、広い場所で少数を相手にするならば雑魚としか言いようの無い相手だが、この狭い地下迷宮では出会い頭に即死攻撃繰り出してくるので、決して侮って良い相手では無い。
不幸中の幸いと言うか何というか連中は野菜達とは違い、他種同士で連携を組む様なことは無くそれぞれも単独から数匹程度の少勢なので、地下で鉄砲をぶっ放す様な事さえしなければ、一気に纏まった数を相手にする様な事には成らないそうだ。
「いや、しかし勿体無がね……鹿鬼はど偉あ美味ぁに、放ってないかんちゃぁの」
例の如く草攻剣式に鹿鬼を仕留めた浅雀藩士が溜息を付きながらそんな台詞を口にする。
鹿鬼はその角と名が示す通りに鹿肉の味がすると言う。
前世に北海道へ出張した時に食べた蝦夷鹿と同じ味だとすれば、一寸独特の癖が有る味だとは思うが……まぁ嫌いでは無い。
「おらぁ馬鬼の刺し身がうんまい思うっちゃ。おとましゃぁなぁ……」
馬鬼は当然と言うか何というか馬肉、加工肉の缶詰で使われていた事は覚えているが、残念ながら食べる機会は無かった。
家では父上や兄上、そして母上も馬比べに関わっているので、普通の馬を好んで食べる事は無いと思うのだが、馬鬼肉の方はどうなのだろう?
ちなみに上の台詞は風間藩士の物だ。
「兎鬼は態々此処で狩らんでも、外に居る奴の方が美味いからのぅ。こんまい癖に群れてへんから、数集めるんも面倒やさかいになぁ」
と、曲がり角に差し掛かった所で飛びかかってきた兎鬼の鋭い一撃を食らいながらも、そんな呑気な台詞を放ちながら手にした刀で逆に首を叩き落とす。
通常であれば喉輪と呼ばれる首を守る防具を身に着けていたとしても、兎鬼を含む即死攻撃を持つ妖怪の攻撃を防ぐ事は出来ない。
アレは単純に首を狙った攻撃というだけでは無く一種の特殊能力で、防具云々ではなく『首を刎ねた』と言う結果を押し付ける、ある意味で神仙の術に通じる力なのだ。
では何故、彼が無造作にソレを受けて無事……どころか何の痛痒すら感じる事無く反撃に移れたのか、それは彼の纏う防具の効果なのだと言う。
智香子姉上が作ってくれた『空蝉地蔵』が即死級の攻撃に反応し、着用者を近距離転移させて攻撃を回避させる術具なのに対して、仁鳥山で取れる『麒麟』の鱗を用いた防具は『即死無効』と言う効果が付くのだそうだ。
「全く……仁鳥山の若いのは装備に頼る癖が有っていかんの。兎鬼ならば良いが忍玉蜀黍相手ならば即死はせずとも相応の手傷を負う羽目に成っておったぞ」
そんな便利な……殆ど必須と言える様な効果の有る防具ならば当然誰もが欲しがると思うのだが、残念ながらその効果が有るのは飽く迄も『仁鳥山の麒麟』だけで、他所で同様の妖怪から素材を得たとしても類する何かでしか無いらしい。
しかも取れる数は仁鳥山でも決して多い訳では無く、需要に対して全く追いついて居ない為、他所者が勝手に狩る様な事は許されず、該当領地の藩士達以外には極めて一部の例外を除いて手に入れるのは不可能な品だと言う。
勿論、将軍家はその極めて一部に含まれており、次期将軍と見込まれていた武光の父親はソレを手に入れ様と思えば不可能では無かったが、『自分の装備は自身で狩る』と言う鬼切り者の不文律に拘り機会を逸していたのだそうだ。
「如何に鎧が優秀でも受ける躱すは基本じゃ、戦場で手抜き……源流殿に報告しておくからの」
そんな装備に頼った戦い方にお祖父様は御冠の様で、静かながら怒りの篭った声でそう叱りつけるのだった。
そうして皆、食欲に後ろ髪惹かれながら五層へと降りれば、其処らを泳ぐ鰹と鰈の群れと、玉網を持ってソレを追い回す鬼切り者達の姿があった。
礫鰹に死腐土鰈と呼ばれる妖魚だ。
前者は秋刀魚同様に群れで突っ込んで来るのだが、その名の通り鋭さが無く礫をぶち撒けた程度の攻撃に過ぎず、まともな鎧さえ身に着けていれば大した怪我を負う事も無い。
後者に至っては此方が手出しするまで只管地面でじっとしているだけで、上から網でも掛けてやれば何の労も無く捕獲できると言う最早何のためにこの迷宮に居るのか解らない存在だったりする。
しかも鰹も鰈も様々な調理法で食卓に上がる為、通年通して極めて需要が高く、此処まで下りてくる事が出来れば、何の労力も掛からず稼げる獲物なのだ。
特に鰹は鰹節の材料として珍重される為、此処で定置網漁を行っている様な連中すら居るらしい。
「よぅお前等どうじゃ、良い感じに捕れておるか? まぁ此処に常駐しとるお前等に言うまでも無いじゃろうが、鰹武士が出てくる程に捕りすぎるなよ? 皆に迷惑が掛かるからの?」
そんな鬼切り者なのか漁師なのかも解らない連中にお祖父様が、軽い調子でそんな言葉を投げかける。
ボーナスステージにも等しいこの階層では有るが余り乱獲しすぎると、何処からともなく『鰹武士』と呼ばれる人形妖怪が現れ、階層内に居る人間を皆殺しにしようと襲いかかってくるのだと言う。
鰹武士は大鬼や大妖ともまた違う首領格の化物とでも言う様な存在らしく、一度出現すると討伐されるまで階層に居座り続ける上に、並の鬼切り者では太刀打ち出来ない戦闘力を持つ厄介な存在なのだ。
とは言え四層の食肉達とは違い、その討伐難易度に見合う見返りは有る。
鰹武士が出現すると極めて短期間の……殆ど即座と言ってよいほどの内に、賞金首として懸賞金が掛けられるし、撃破した際には至極稀にでは有るが奴の持つ希少な装備品が手に入る事も有るのだ。
為れば、わざとソレを狙う様な輩が居ても可怪しくは無いのだが、大事な鰹節の供給源である此処が潰れる様な真似をしたのが明るみに出れば打首で済めば御の字、下手をすると一族郎党皆殺し……なんて事にも成りかねない。
食い物に関する事では火元人の沸点は極めて低いと言うのは、此方の世界でも通用する事実なのである。
それでも一年に一、二回は出現し大暴れすると言うのだから、まぁ台風か何かの天災の様な物と見做されて居る部分も有るのだろう。
なお我が家では義二郎兄上とお祖父様に撃破歴が有るらしいのだが兄上は兎も角、お祖父様は意図的に出現させた上での討伐だったのでは無いかと思うのは流石に穿ち過ぎだろうか?
……兎角、俺達は何の障害も無く六層へと歩を進めるのだった。




