四百四十二 志七郎、悪意に慄き侍咆哮する事
猪山屋敷の前庭に居並ぶ完全武装の武者の群れ……その数凡そ百。
当然ながらその全員が我が猪山藩の家臣と言う訳では無い、いやむしろ少数派だ。
なにせ今は父上が国元へと戻っている為、江戸の屋敷に居る家臣はたった十人しか居ないのである。
本来ならば更にその中から最低半数は屋敷の警備に残す必要が有るのだが、今日に限っては応援を出してくれた他所の家臣達が詰めてくれるので全員参加だ。
と、言うか……大事にすると市井に不安が広がって治安上宜しく無いんじゃなかったか?
猪山藩の家臣達の半数とお祖父様ソレに先日の面子を加えた程度であれば、纏まって新宿地下迷宮へと向かったとしても、一寸大きな宴が有るから食材を集めに入る……とでも言えば然程大きな騒ぎに成る事は無かっただろう。
お祖父様が主動する大物狩りの話が世間に出れば、便乗しようと言う者が出てくる事は想像に難くないが、流石に脳筋揃いで馬鹿者揃いとまで言われる猪山藩の家臣達でも、たった一日二日の間も機密を守ること無くお漏らしする程の底抜けは一人も居ない。
にも関わらず何故今現在、此処に此程の戦力が集まって居るのか……それは勿論、お祖父様の悪巧みである。
三層の野菜程度が相手ならば、碌に策を打つまでも無く少数で突入した所で、大した怪我人すら出す事無く殲滅仕切る事が出来るだろう。
戦場が六層に移ったとしても、お祖父様が本気に成れば死者を出す事は絶対に無いと言い切れると言う。
九層まで胡瓜君主『木瓜勝幡』が下りていたとしたら、流石のお祖父様でも少勢では数に押されて武光達を守り切るのは難しいのだそうだ。
で有れば自分に管理できる範囲で『手柄首』の話を流し手数を増やせば良い……。
そうしてお祖父様が話を持ちかけたのは母上の実家で完全に身内枠の『浅雀藩野火家』 に、猪山藩と隣接領地で一郎翁の妻の実家『風間藩郷田家』、そして猪山と同じく妖怪の血を色濃く引くが故に長らく友好関係を結んでいる『仁鳥山藩源家』の三家だった。
以前ならばこういう身内での狩りとでも言うべき催しが有れば、更に『富田藩骨川家』にも話を持っていくのが通例だったらしいのだが、当代当主が就任してからは禄に年賀のやり取りすら無くなっているらしい。
「それにしても流石は儂、真逆此程の若手が集まるとはのぅ。流石に童子共程の戦力外を送り込む様な真似はして居らんじゃろが、それでも骨が折れそうじゃわい」
四藩から集まった百人の侍達の内で二十歳を越えている者は数名だけで、その大半は今回初めて江戸に上がってきたであろう若手ばかりである。
お祖父様と言う稀代の策士が率いる以上、手柄を上げる事自体は難しいとしても、良くも悪くも『良い経験』をさせてもらえるだろうと、見込んで敢えて若手を参戦させていると言う事らしい。
「ソレにしたって此程の人数では、余計な……とまでは言わずとも、大きな騒ぎに成るんじゃないですか?」
桂殿が口にしていた鬼切奉行所が討伐隊を編成しない最大の理由は『銭が無い』だったが、それと同じくらい市井に余計な騒ぎを起こさない為……と言っていた筈だ。
「んなもん、事前にきっちり根回しをしねぇからそー成るんじゃ。何事も事前に報連相をきっちりして置けば早々大事には成らんもんじゃて」
いや……アレから三日だぞ? 今回の参戦者が集まっただけでも奇跡的で、それ以上の事が出来るとは思えないんだが……そこはそれ『事、悪意に於いて悪五郎に勝る者無し』とまで謳われたお祖父様、情報をどうこうする伝手は幾らでも有るのだろう。
……伝手だよな? 瓦版屋とか錦絵の版元とか、マスコミ的な何かの弱みを握って好きに動かせるとか、そう言う後ろ暗い話じゃないよな?
裏表等何も無い様に見える笑みを浮かべるお祖父様を見て、俺は益々疑念を強めると共に、その向こう側に隠されれた『何か』に恐れ慄き、口を噤むのだった。
太鼓に法螺貝、鐘や銅鑼……様々な鳴り物を響かせながら総勢百余人の侍が行軍していく。
「遠くの者は音に聞け! 近くの者は目にも見よ! 悪意の悪五郎が率いし鬼切若武者百余騎! 地下道に巣食いし大妖を討ち果たさんと! 威風堂々意気揚々! あ! いざ! いざ! いざ参らむ!」
どうせ騒ぎに成るならば此方から操作出来る形で大騒ぎにしちまえば良い、と言うのがお祖父様の策……らしい。
事前情報も無しに行き成りこの人数の武士が陣列を組んで進んでいけば、何処に殴り込みへ行くのかと憶測が憶測を呼び、数日後には大きく育った『噂』と言う魔物に飲み込まれていたかもしれない。
だがお祖父様は根回しと称して瓦版屋やら大道芸人などに話を通して、この陣列が如何なる物かという話を『誇大』して喧伝させて居るのだ。
ちなみに行軍の先頭を歩き口上を叫んでいるのは、鎧兜に身を固めては居るものの参戦する武士では無く、喧伝の為だけにお祖父様が雇った『役者』である。
道中ずっと叫び続けるのだって其れなりに体力は使うし、万が一喉を痛める様な事になれば氣を扱う為の呼吸が乱れ、大事な所で氣を散らせる……なんて事も偶には有るらしい。
口上を持ち回りにすればそれほど大きな負担とも成らないとも思うのだが、残念ながらソレを阻む大きな問題が有る、ソレは『訛り』だ。
何時ぞや行った千田院藩もそうだが浅雀藩も風間藩も仁鳥山藩も、江戸州を一歩外に出ただけで……いや、江戸州内でも市街地から少し離れただけでも、全く通じないとまでは言わずとも意思疎通に其れなりの手間が掛かる程度には訛りに差が出るのである。
訛りを論い笑い物する様な話は前世も今生も、程度の差こそ有れやはり全く無いと言う事も無く、地方から出て来た若手武士が打つかる第一の壁なのだそうだ。
ちなみに猪山藩は山奥の盆地と言う閉鎖空間、それこそ『ど』が付く田舎出身にも関わらず、何故か特有の訛りが無く極めて『江戸弁』に近い言葉が使われているらしく、訛りの壁に打つかる者はほぼ居ない。
義二郎兄上や智香子姉上、睦姉上辺りの特徴的な言葉使いはまぁ個性の範疇らしい……ってか生粋の江戸育ちの方が田舎出しの者より言葉が崩れていると言うのは一体どういう事なのか?
ちなみに信三郎兄上の『おじゃる』言葉については、完全にそう成る様に態々教育したらしいが、ネイティブな『都弁』を話す乳母か家庭教師でも態々雇ったのだろうか?
「おお! 鬼斬童子が居るぞ」
「しかしコレだけの侍が居て、二つ名持ちがあの幼子だけとは……」
「いや此度は悪吾郎が若手に喝を入れる為の戦だと言う話だぞ」
……言葉の話は兎も角、俺達が進んでいく道には、口上に釣られたのか見物の人々が沿道を埋めていた。
何処で聞きつけたのか、それともお祖父様が事前に情報を流していたのか、様々な物を商う屋台やら棒手振りやらの姿もチラホラ見かける辺り、大騒ぎなのは間違いないが俺が想定して居たのとは完全に別方向である。
「そーら若造共、言われとるぞ! 此処で気合を入れて手柄首の一つも上げねば男では無い……とまでは流石に言わん、手柄首は全員分ある理由では無いからの。じゃが、儂の様な老いぼれや初陣を果たしたばかりの小僧っ子やらまして小娘に負けるようじゃぁ……」
果たして……あの見物客達の言葉すらも仕込みなのか、それともこの場で咄嗟の判断で行った事なのか、お祖父様は其処で一旦言葉を切り、一瞬の溜めの後……
「流石に恥じゃぁのぅ。儂なら恥ずかしゅうて主君に顔向け出来ぬわ。じゃから……気合入れろやぁぁぁあああ!」
氣功の達人が放つ氣迫の篭った咆哮が辺りを揺らし……
「「「ぉぉぉおおお!!!」」」
ソレに負けぬ鬨の声が街の一角に容赦無く響き渡るのだった。




