四百四十一 武光、祝いに水を差し合戦決意する事
真っ赤に燃え上がり爆ぜる炎、鼻を突く肉が焼け焦げる臭い、冷たい刃金の閃きが宙を舞えば、脂が滴り落ち炎にさらなる炎を生む。
「「「上手に焼けましたー!」」」
調理を手掛けて居た睦姉上と二人の猫又女中が、仕上がった料理を高々と掲げ上げ、大きな声でそんな台詞を口にした。
なんでも猫又達に伝わる遠い世界の秘伝料理を仕上げる時には必ず口にしなければ成らない作法らしい。
ちなみに今回作っているのはその技術を応用した、妖怪豚足の丸焼きである。
武光が仕留めた豚足は全てそのまま持ち帰り、智香子姉上の手で霊薬の材料に成る臓物を抜き取った上で、豪快な祝料理とする事に成ったのだ。
出来上がった料理は普段ならば父上か、ソレが居なければ次期当主である仁一郎兄上が最初に手を付けるまで、他の者が口にする事は許されない。
けれども今夜は武光の初陣の無事を祝う席、当然ながら主賓たる武光と蕾お忠の三人が最初に喰う手筈に成っている。
だが武光は目の前に料理を差し出されても、曇った表情のままソレに箸を伸ばそうとはしなかった。
「……ぬ? どうした武光、お主を祝う席なのだ。お主が手を付けねば、皆も食えぬであろう? 随分と浮かぬ顔をして居るが、初陣での不手際ならば誰しも経験するものだぞ?」
早く飯を食いたい……と、言うよりは料理を肴に酒が呑みたいのだろう仁一郎兄上が、気遣うふりをしてそう言いながら、数少ない家臣の一人を指し示し、
「例えば彼奴は、俺が元服の為に国元へと戻った時に丁度初陣の年頃だったが故に、俺が付き添いを務めたのだが「ちょ! 若! ソレは言わない約束でしょう!」……と、まぁ全力で口止めしなければ成らぬ醜態を晒しておったぞ」
他藩ならば次期当主の台詞を遮る様な真似をすれば、下手をせずとも切腹物の無礼と誰かが糾弾したかもしれない。
しかしソレが笑い話で済むのは、小藩故に家臣から領民まで含めて皆家族と言い切れる、猪山藩の良い所だろう。
まぁ今のは完全に仁一郎兄上がそうなる事を見越した上での発言だったのは間違いないだろうが……
「……余が下手を踏んだのは間違いない事実。だがソレはソレで良い経験だったと思っておる。しかし余の気が咎めるのはコレから起こるかもしれぬ惨事の可能性なのだ」
普段の余計な事まで止まる事無く言い募る軽快な喋り口とは違い、本当に思い悩んでいる事を感じさせる訥々とした語り口で、武光は今日出会ったあの大妖怪未満の事を話す。
町人階級であれば中堅格の鬼切り者が相手取る様な妖怪とされている一層の妖怪達を、大した苦労も無く打ち倒し、調子に乗り掛けて居た所で浴びせられた自身には絶対敵わないと思わせる化物の気配に心折られ掛けた事。
単独では大した事は無い野菜の変化共とは言え、ソレを多数率いて地上へと攻め入ると言う宣言を聞かされ憤ると同時に、見逃された事に安堵を覚えてしまった自分の情けなさ。
それ以上に腹立たしいのは、幾つもの惨事が繰り返されなければ、幕府は動く事が無いと言う事実……そして犠牲者が出る前に自身で奴を打ち取ると言う事も出来ず、むしろ俺の足手纏に成り討ち取る機会すら潰してしまった事。
「武士の頭領足る禿河の名を冠して下りながら……情けないにも程が有る! 余には祝われる資格等無い! むしろ許されるならばこの腹掻っ捌きたい程の醜態! だがソレをすれば、猪山の皆に掛かる迷惑はどれほどになろうか!」
奥歯が砕け無いのが不思議な程の歯ぎしりを響かせて、その心中を吐露する武光だったが、
「ふむ……もしや阿呆と違うか? と思う事がコレまで無かった訳では無いが、真逆真性とはのぅ。いやの、言っている事だけならば、その意気や良し! と言ってやりたい話では有るが……流石にのぅ」
お祖父様はソレをバッサリ叩き切った。
「未だ尻の青さも抜けぬ小童が未熟なのは当然の話、一人前の口を叩くのは十年……いや七、八年早いわ戯け者め。ほれ仁の奴が指し示した阿呆を見よ、此奴なんぞ己の失態で山崩れを引き起こしかけた癖に今では一端の侍面をしておるぞ」
先程、仁一郎兄上が初陣の付き添いを務めたと言う、この場で一番若い家臣『古神大五郎』が隠したかった大失態がソレだと言う。
「え? 御隠居様!? な、なんで!?」
どうやら本人は大人達にバレて居ないと思っていたらしいが、流石は『悪意に於いて優る者無し』と歌われるお祖父様である、他人の弱みに成る事ならば当然の様には把握している様だ。
そうして容赦無く暴露した話に拠れば、彼のやらかした大失態は猪河家の氏神で有り猪山藩の土地神である『天蓬大明神』が力を尽くさねば、猪山の田畑の三分の一が駄目に成りかねず、更には浅雀へと流れる川も大きく流れを変えていた可能性があったのだと言う。
本人は偶々偶然無事に終わったと思っていた様だが、神様が介入した以上、猪河家の上層部が知らない訳が無かったと言う事だ。
当然ながら涼しい顔して食前酒を啜る仁一郎兄上も、知られている事は当然把握した上で話題に出したのだろう。
いやむしろ秘密にするなんて約束は平気で放り出して、報告を上げていた可能性すら有る。
……恐らくは上にはきっちり報告した上で、他の家臣達には隠しておいて、何か有った時に無理な命令を押し付ける為の『貸し一つ』としていたと言う辺りだろうか?
兎角、可哀想な話では有るが、一歩間違えれば餓死者が出たり、戦の原因に成っていても可怪しくない様な大事を引き起こしておいて、今までなんのお咎めも無かったのだから、此処で恥を晒す位は温情の範疇だろう。
「要は子供扱いしてもらえる内は大人を頼れって事った。数を頼みに仕掛けりゃ、桂ん所の倅が言う通り余計な騒ぎを起こす事に成るんだろうが、まぁ儂も含めて数人で仕掛ける分にゃぁ大事にも成らんだろ」
義二郎兄上の笑みも肉食獣のソレを思わせる凄みが有ったが、お祖父様のソレは悪意に満ち満ちている様に思え最早『怪獣』の類の恐ろしさを感じさせ……そして何故かその視線は殺氣すらも孕んだ鋭さのまま、俺へと向けられた。
「儂ゃお前さんにも言っとるんじゃぞこの馬鹿たれめが、放って於けば一人で突っかる積りだったのだろう? そう言う無鉄砲な所は本当に親兄弟そっくりよの」
義二郎兄上は語るべくも無く、比較的戦闘向きの性格では無い仁一郎兄上も信三郎兄上ですらも、無茶な武勇伝の一つや二つは有るのだそうだ。
ちなみに信三郎兄上はこの短い期間で国元で女鬼を二体撃破すると言う、別の意味でも武勇伝を打ち立てたばかりだと言う話である。
女鬼は撃破した者の下に嫁入りすると言う話だし、ソレが事実ならば確かに男としては武勇伝と言って差し支えないかもしれない……問題は信三郎兄上が他家に婿入りする立場だと言う事だろう。
下手をすれば……いや高い確率で正妻戦争が勃発するだろう事は想像に難く無い。
閑話休題として、目の前にこの手の騒動が転がっていれば、お祖父様を含めて猪河家の男子であれば、飛び出して行かない方が稀有と言う物だと言う。
「たかが野菜と言えど統率種とも成れば其れなりに武名の箔付けには成ろうて、今回儂は雑魚散らしに専念してやる故、手柄が欲しい輩は挙って参加するが良い。特に大五郎は此処で恥を雪いで置かねば末代まで言われる事になろうぞ?」
俺にはそう言うお祖父様の笑みに籠もった悪意が三割程度増した気がした。
「まぁ、お祖父様が参戦するなら足手纏の一人や二人居た所で問題無いだろうし……悔しいなら食って次の戦に備えるのが良いんじゃ無いか?」
何時までも悔み、せっかくの飯が冷めてしまっては勿体無い。
俺は慰めとはまた違うが次に進む様促す台詞を口にし、改めて武光を見やれば……
「はい、武様、あーん。冷める前に食べましょうねぇ」
「次はオラが武光さにあーんってするだよ」
と、何時の間にかいちゃついてやがるのだった。
うん、コレもう一遍締めて置かないと駄目な奴だな。




