四百三十八 志七郎、逸れ迷い見誤る事
軽い浮遊感の後、白い闇とでも言うべき光が消え去ると、其処には今まで見ていたのとは全く別の光景が広がっていた。
それまで居た幾つかの通路が交わる交差点から、それなりの広さを持つ部屋のど真ん中へと変わっていたのだ。
以前聞いた話では強制転送の罠に引っかかると、壁や岩の中、溶岩、水中など、その場に移動した時点で命を落とすのが確定する場所へと送られる事が有るのだ。
少なくともこうして即死する事無く、辺りを見回す余裕が有る場所に出たのは、不幸中の幸いと言えるだろうか?
だが安心するのはまだ早い、俺が無事でも他の皆……それこそ一人でも『いしのなかにいる』と成ってしまえば、ソレだけで今日の鬼切りは大失敗の大惨事なのだ。
「皆、無事か!?」
基本的に強制転送で飛ばされた場合、ほぼ同じ地点へと落ちるのが普通では有るが、時には多少の距離――壁一枚挟んだ向こう側へと分断される事も有るらしく、先ずは面子の無事を確認するのが第一である。
「兄者! 他の者達が居らぬぞ! 直ちに助へと行かねば!」
しかしその問いかけに答えたのは武光だけだった。
「ど阿呆! 助けが必要なのは俺達の方だ! どう考えても俺達だけが飛ばされたんだよ!」
革兜の上から軽く氣を込めた拳骨を振り下ろしながら、そう怒鳴りつける。
俺達が飛ばされたのは、一辺が十間程のほぼ正方形の部屋の中心部で、多少誤差が有ったとしても壁向こうへ逸れた者が居るとは考え辛い。
となれば、偶々罠の効果範囲に居たのが俺達だけで、他の皆は元の場所に残って居ると言う事だろう。
「おぉ! と言う事は、余の友達も兄者の盟友達も無事と言う事だな、ならば後は余達が脱出すれば、此度の騒動は些細な事だったと言う事だな!」
拳骨を落とされても悪びれた様子すら無くそんな台詞を返す武光に、先程よりも幾分か手加減少な目にもう一発、拳を落とす。
「脱出も何も、此処が何処かも解らん以上、下手に動けば更に深みに嵌まる事に成るわ呆け! 四層より下には落とし穴も有るらしいからな」
新宿地下迷宮の入り口で売られていた、地図に拠れば三層までは罠らしい罠は無いのだが、四層以降に降りると落とし穴や待伏せ部屋等と遭遇する様になるらしい。
幸いこの地図にはソレら固定罠の場所が明記されているので、確りと確認しながら移動すれば早々引っかかる様な事は無いだろう。
だが問題は、今俺達が何処に居るか解らないと言う事だ。
幾ら地図が有ると言っても、ゲームの様に現在位置が其処に表示されている訳では無い。
とは言え、迎えが来るまでずっと此処に留まって居ると言うのは難しいだろう。
最悪二、三日食わなかった所で死にはしないが、水分はそう言う訳には行かない。
水分摂取を怠れば、比較的短い期間でも脱水症状を起こしたり、時には後々に残る障礙を負う事も有り得る。
手持ちの水筒では、保って精々丸一日と言った所で有り、此処がかなり深い階層だったりすれば、捜索隊が迎えに来るまで保たない可能性も有るだろう。
「取り敢えず、水場の確保が第一だな。食い物は此処なら遭遇した化物を倒して食えば良い。此処が食える物しか出ない戦場だってのはある意味で幸いだったな」
地下で火を焚く訳には行かないので、生でも食える物にしか手を付ける事は出来ないし、食中毒の危険も捨てきれないが、ソレでもそう簡単に餓死はしないで済むのは有り難い。
「うむ、となれば、先ずはあの扉を開いて部屋から出るとしよう」
と、言うやこの部屋唯一の出入り口と思しき木製の扉へと駆けていく。
「馬鹿っ! 待て! また罠が有るかもしれないだろ! お前はもう一寸慎重に行動しろ!」
慌てて静止の言葉を口にするが、今一歩遅かった。
「「「「……! ……!」」」
音を立てて扉が蹴り開けられると、ソレを聞きつけたらしい何者かの声が無数に聞こえて来たのだった。
幸いと言うか何というか……襲いかかって来る化物の群れは二層で戦う羽目に成った霊刀秋刀魚に比べれば、数段与し易い相手であった。
いやきっちりと隊列を組み、前衛後衛のバランスも良く、並の鬼切り者が相手取るならば死闘と成る事は間違いない……それほどの強さの相手では有る。
だが残念ながら部屋の出入り口を利用し、複数同時に仕掛けてくる事が出来ない様、位置取りに気を付ければ、大して怖く無い相手でも有るのだ。
今も武光が放った一撃が最前列で部屋に踏み込んできた胡瓜が纏った鎧を叩き割っていた。
胡瓜、そう胡瓜だ……人ほどの大きさの胡瓜に手足が生えた、大きな瓢箪を身体に括り付けた様な鎧を纏った『胡瓜戦士』が前に立ち、後衛を守る様に戦うのが本来なのだろう。
弓を手にした茄子の弓兵も、鉄砲の様な物を構えた隠元豆鉄砲隊も、壁や天井を縦横無尽に飛び回る忍玉蜀黍も、通路で戦う事に成っていたならば、恐らく手痛い目を見ていた筈だ。
けれども連携を取ることすらさせずに前衛を突き崩してしまえば、後は碌な鎧すら纏っておらず分厚い毛皮も無い後衛野菜を叩き切るのには、なんの苦労も無い。
「取り敢えず一段落と言った所だな……うん、食事も水分補給もなんとか成りそうだ」
打ち倒した野菜は十六体、丁度四徒党打ち倒した辺りで、その中で生で食べられそうな胡瓜は水分が多く取れる野菜だ。
いや……武装し組織立って戦う知恵を持つと思しき者を食う事には、少なからず抵抗は有るのだが、以前戦った亀鬼とその大鬼は美味しく頂いたのだから今更と言えば今更だろう。
ソレよりも大事な事が一つある。
「うむ、どうやら此処は第三層のようだの。一層が肉、二層が魚、三層が野菜で、其処から下は順繰りだと書かれておるしの」
そう、此処では出現する化物の傾向が階層毎に完全に決まっている、此処三層は夏野菜の妖怪が中心で有る。
そして階層が解れば、地図と地形を照らし合わせる事で、現在位置の候補を絞る事も不可能では無いのだ。
コレくらいの広さの部屋はこの階層に四箇所……、そして部屋から出た先が直ぐに十字路と成っているのは一箇所。
「うん恐らく間違いないな、俺達は此処に居る。思ったほど絶望的な場所って訳じゃぁ無い。なんとか脱出出来そうだな」
後は上に残った面子から話を聞いた猪山藩から出てくるであろう救出隊と、行き違いに成らない様になんとか連絡を取る事が出来れば最良だ。
普段ならば俺が四煌戌を召喚し、手紙の一つでも持たせて送還すれば事が済むのだが……残念ながら彼等の背に括り付けた大量の獲物が有る所為で呼び出すのは難しい。
「武光、黒江を喚んでくれ。四煌戌は荷物を持たせ過ぎてるからな」
俺達が逸れた時点で緊急事態と、荷物を捨てている可能性も有るが、万が一荷物諸共召喚に成功してしまった場合、その負担がどれほどに成るか想像が付かない以上、無理をするべきでは無いだろう。
「う、うむ。えーと……古の契約に基づきて、我、禿河武光が命ずる……」
勿論コレまでの鍛錬でソレが出来る事が解っているから頼むのであって、多少なりとも負荷が掛かる事をぶっつけ本番でやらせる訳では無い。
それでも多少、辿々しく成るのは初めて実戦の中で召喚を行うからだろう。
彼が集中して召喚の呪を編める様、扉を閉めようとしたその時だ。
「総員構エ……ッテェ!」
そんな声と共に通路の奥から何時の間に現れたのか、隠元豆鉄砲隊が一斉に銃弾を放ったのだった。




