四百三十三 志七郎、不足を感じ手本を見せる事
翌朝目が覚めると、なんだか随分と長い間、それこそ十日以上も眠って居た気がしたが、暦の上では一日しか経っていないし、武光の装備もまだ届いて居ないのだから、多分気の所為だろう。
窓の外で心配そうな鳴き声を上げていた四煌戌達を安心させてやる為に、また彼らの腹をベッド代わりに寝たのが不味かったんだ。
頭の上に昨日とは違う装いをした闇翅妖精の黒江を乗せた武光が起こしに来なければ、多分また朝の散歩どころか稽古もすっぽかし、飯時まで眠り続ける所だった。
「その、黒江の着物……母上に作ってもらったのか?」
昨日は白い薄絹の貫頭衣を纏っていた黒江だったが、今日は藍色の丈の短な浴衣の様な着物に緋色の帯を巻いた、見事な和装に変わっていたのだ。
「ぬ? 奥方様から端切れはもらったが繕ったのは余だぞ。針仕事も立派な芸の内、母上が余に教えてくれた大事な技の一つだ。とは言え、黒江の着物は小さすぎて何度か指を差す羽目に成ったがな」
俺の問に胸を張って笑いながらそう答える武光。
いや俺も自分の褌位は自分で繕うが、流石に着物を丸っと一着仕立てる程の事は出来やしない。
しかもソレが掌に乗る程小さな翅妖精の子供が着るとなれば、必要と成る作業の細やかさは並大抵の話じゃ無いだろう。
武士として戦場に立ち、その際に破けた着物を自ら繕う様な事も有り得る故に、裁縫もまた武芸の内とは言われているが、武光のソレは一寸嗜み程度……とは言い難い高度な技術の結果に見える。
と言うか、籠持ち――神の加護に依って生まれながらに何らかの技術技能を持つ者――では無いと聞いて居るのだが、使える武器の種類も、その腕前も……武芸の内とは言われているが飽く迄も余技に過ぎない技術も……トータルで考えれば俺より上なんじゃないか?
ソレに加えて今回あの頭の上に乗った妖精と契約を交わした事で、精霊魔法も使える様に成ったと言うのだ。
数多の妖怪の血が混ざり、氣を纏わずとも並の大人以上の性能を発揮出来るこの身体でも、新しい技能を学ぶとなればそれ相応に時間がかかるのだが、此奴は短弓をたった一日練習するだけで、それなりのモノにしてみせた。
流石は将軍直系の血を引く者、その才覚は並大抵の者とは比べるのが間違いと言う物なのだろう。
「ああ。そうだ兄者、今日は何処か出掛ける予定は有るか? 昼飯は余が腕を振るうつもりだからな、何処か外で食うので無ければ余が美味い物を食わせてやるぞ?」
……睦姉上の料理を食い成れた俺に対して『美味い物』と大言を吐く以上、料理の腕も年相応以上に自信が有るのだろう。
いや、前世も計算に入て考えれば、俺が色々と出来なさ過ぎるのかも知れない……一寸真面目に色々と練習しないと駄目なんだろうな。
そんなことを思い心の中でため息を一つ付きながら、俺達は連れ立って稽古場へと歩いて行くのだった。
朝稽古を終え、朝食を済ませると直ぐに母上に連行され、幾つかの楽器を習う……と言うか触って手に合う物を探す。
正直な話、前世は楽器なんて小中学校の授業で触った程度で有り、自分から望んで音楽を聞く様な趣味もなかったので、何が良くて何が悪いのかすら理解出来ていない。
付き合いでカラオケなんかに行く事がなかった訳では無いので、自分が酷い音痴では無い事は知っては居るが……持ち歌と言い切れるのは、本当に幾つかだけだ。
まぁ、自身の趣味として本気で楽器を習うと言う所までは考えていないので、尺八辺りの音を出す事すら難しい奴はパスかなぁ……
と、そんな感じで午前が終わり、武光が用意した昼飯を食ったら、午後からはお花さんの授業が待っていた。
「……と言う訳で、これから志七郎くんが一通りの属性を見せてくれまーす。はい拍手ー」
どうやら三人には俺の時とは違い、先ずは座学……と言う形では無く、俺が手本として実践する姿を見せる所から始めるらしく、普段使う部屋では無く、中庭の稽古場が授業の場所だった。
「古の契約に基づきて、我、猪河志七郎が命ずる……」
お花さんに促され、手を叩く三人を見渡してから俺は呪文を詠唱する。
最初に見せるのは基礎の基礎、単属性の最下級魔法なので、流石に全力で意識を集中しなければ成らないと言う事は無い。
故に口は呪文を紡ぎながら、視線は彼らの契約した霊獣を探していた。
武光の相方は既に見た、では残りの二人はどんなモノと契約したのだろう。
とは言え、蕾の方は此処に来た時点で見落とす筈も無い。
牛ほどの大きさの四足の獣、その姿形は鹿に良く似ており、牛の尾と馬の蹄、全身が鱗に覆われ首から背中に掛けては光の加減で様々な色を見せる鬣が生えており、その額からは鋭い角が一本生えている。
その姿を端的に表すならば、前世日本の四大麦酒会社の一つに描かれているとある幻獣と言えば、簡単に伝わるだろう……そう麒麟だ。
だが彼女が契約したのは四聖獣――玄武、朱雀、白虎、青龍――の長で有る麒麟では無く、その下位種で『光』の属性を持つ『輝一角獣』と言う霊獣らしい。
蕾はその輝一角獣に『輝騎』と名付けたそうだ。
そして今俺が目を凝らして探しても、全く見当たら無いのがお忠の契約した相手だった。
霊獣では無く精霊との契約ならば、現世界に実体を持ち続けている訳では無いので、召喚しない限りその姿は見えないのは理解出来るが、何というか……一人だけ格落ちとも言えるモノと契約したというのは一寸考え辛い気がするのだ。
精霊や霊獣との契約は、お互いの合意が有って初めて成し得る物なので、契約者の才覚や性質、格に依っては、契約出来ないと言う事も当然あり得るのだが……。
何というか、猪山が絡んだ時点で、そう言う順当とも言える一般的な結果は有り得ない、と何処かでそう確信にも似た何かを感じるので有る。
単属性四種を終え、二属性複合六種を見せ、三属性複合四種類を順次唱えていく。
三種複合辺りに成ると、流石に気も漫ろなままでは暴走成り暴発成りの危険性が有るので、一旦探すのを中断し魔法に意識を集中する。
水+風+土=闇、その基礎で有る『目隠し《ブラインド》』の魔法を放ち、続けて火+風+土=光、その基礎『閃光』を唱え、火+水+土=石の基本『硬化』を何の問題も無く発動した。
そして三種複合の最後、火と水と風の複合属性『消』属性の基本『無効化』を唱えたその時である。
俺と四煌戌達との間に存在する魂と魂の繋がり、三千世界の端と端とも言える遥か彼方へと飛ばされて尚、途切れる事の無かった契約の証が……ほんの一瞬では有るが切り離された様に途切れ『無効化』の魔法が無効化されたのだ。
いや……消属性の魔法は、精霊や霊獣の存在に干渉し魔法や超常現象を消すと言う発動原理だと言う事は座学で習った。
その話の通り、俺が無効化の魔法の発動に失敗したのは、誰かが消属性の魔法を使って干渉したと言う所だろう。
そして今この場でソレが出来るのは一人だけ……俺は無言でそんな悪戯をしたと思われるお花さんへと目を向けた。
「……だから早目に名前を与えて確り契約しなさいって言ったじゃないの。お忠ちゃん、こういう悪戯をしたらちゃんと叱らないと駄目よ?」
だが彼女は怪訝そうな目で俺を見返し、それからなにかに気が付いたらしくため息を付きながらお忠へと視線を向ける。
つられてそちらを見てみれば、暴れる何かを捕まえる様に両手を組み合わせたお忠の姿が有った。
「申し訳有りません、志七郎様にお花様! 我が配下が御恩に背く様な真似をした事、この腹掻っ捌いてお詫び申し上げます!」
いや……如何に命が軽い此方の世界でも、この程度の事で一々命でお詫びされては堪らない。
そんな事を思いながら、俺とお花さんは顔を見合わせて深いため息を吐くのだった。




