四百三十二 志七郎、武光の家臣と知り合い闇から目を逸らす事
「兄者ー! 帰ったぞー、風邪はもう大丈夫かぁ?」
「ぴぴぃ! ぴっぴぴー、ぴっぴぴぴぴっぴぴぃ?」
自身の持つ技と江戸州鬼録に記されている魔物の情報を照らし合わせ、大体の戦術を組み上げた頃合いに成って、そんな元気な声と共に音を立てて玄関の引き戸が開かれた。
兄者等と呼ぶのは当然武光しか居ないのだが、その台詞と重なって小鳥か何かが囀る様な声が聞こえ、俺は思わずそちらへと視線を向ける。
其処には普段どおり無駄に自信に満ち溢れた笑顔の武光と、その頭の上に張り付く様に乗っかった小さな……本当に手のひらに乗る程に小さな人間の様な何かが張り付く様に乗っかっていた。
よくよく目を凝らすと、それは長い黒髪に良く日焼けした様に見える褐色の肌、そして肌の色が透けて見える程に薄い素材の貫頭衣を身に纏った愛らしい少女の様に見える、ただしその顔は大人の親指程度の大きさしか無いが……。
何時だったかとある凶悪事件の解決の為、各地の敏腕刑事が集められた特別合同捜査本部に出向した時、胸ポケットに常にあんな感じの美少女人形を入れて持ち歩いている若いのが居たが、武光にはそう言う趣味は無かった筈だ。
此方の世界にも人形は普通に存在しているがソレは所謂日本人形の類が普通で、今武光の頭に乗っている様な写実的な……生きた人と見紛う様な物では無い。
「ぴ? ぴぴぴー? ぴぃ……」
と言うか、人形はあんな風に鳴いたり、疑問符の付いた表情で小首をかしげ、それから恥ずかしそうに武光の後頭部へ身を隠したりはしない筈だ。
「兄者、幾ら黒江が可愛いとは言え此奴は余の家臣だ。あまり見つめるで無い、恥ずかしがっておるではないか」
ああ……うん、身を隠す時に一瞬見えた背中に生えた蜻蛉の様な羽と、武光が口にした家臣と言う言葉、それらで得心が行った、あれは妖精の姿をした霊獣の一種なのだろう。
黒江と言うのは恐らく武光が付けた名で、その色合いと名前から察するに、恐らくは『水』『風』『土』の三種複合で有る『闇』の属性と言った所だろうか。
「うむ、流石は兄者。言う通り黒江は闇の妖精だ、お花様と共に見つけ余が助け、家臣としたのだ!」
「ぴぴ、ぴっぴぴぴ。ぴぴっぴぴっぴぴぴぴっぴ、ぴっぴぴぴぴぴぴっぴぴっぴ、ぴぴっぴぴっぴ!」
ふんすっと誇らしげに胸を張る武光と、その頭の上で同じ姿勢で胸を張る黒江。
その話に拠れば、武光だけで無くお忠や蕾にも精霊魔法の素質を見て取ったお花さんは、三人を連れ国外へ……と言う訳では無く、江戸の市街から然程離れていない所に有る、江戸湊へと連れて行ったのだそうだ。
そして其処でとある廻船問屋の所有する船に、有無を言わさず殴り込んだ。
江戸湊は幕府の所有する港では無く、商人達が築き上げ商人達が運営する商業港で有る。
当然、ご禁制の品を持ち込む『抜荷』を警戒する為に役人は常駐しては居るが、それとて船から降ろされた荷を検査するだけで有り、問答無用で船を臨検したりする様な事は無い。
にも関わらず、お花さんがそんな暴挙に出たのは、その船の中に複数、無契約の霊獣が居るのを感じ取ったからだった。
精霊や霊獣は魔法使いとの契約無しに己の住処を離れる事は有り得ず、そして精霊は兎も角として、霊獣は基本的に一処に複数が固まって居ると言う事も有り得ないのだと言う。
だが『術者育成の御触書』が出た事で需要が産まれた精霊や霊獣を、江戸へと持ち込んで一儲け……等と言う事を考える者が出るのはある意味当然の話で有ろう。
事実その船には黒江だけで無くもう何体もの霊獣や、精霊石に封じられた精霊が数えるのも馬鹿らしい程に積み込まれて居たのだそうだ。
勿論、船乗り達も廻船問屋の護衛達も徹底的に抵抗したが、残念ながら相手が悪かった……。
世界を見渡しても上から数えた方が早い最強格の冒険者『赤の魔女』である、彼女が本気で魔法をぶっ放せば船の一つや二つ一瞬で沈没する訳だが、今回の場合捉えられた精霊や霊獣を救出するのが目的なので、ソレをしては本末転倒だ。
「いやぁ……すごかったぞ! 外見は兄者のご友人達と然程も変わらぬ少女だと言うのに、氣も纏わずに大男どもを千切っては投げ、千切っては投げ、船の帆柱を一蹴りで打ち折る姿を見れば『あの一朗』の母だと言うのが本当なのだと理解せざるを得なんだわ」
故にお花さんが取った戦術は『格を上げて物理で殴れ』だった。
お花さんの格は今現在冒険者組合の身分証に表示された二百七十八は飽く迄も最後に更新した時の数字だと言う。
そして今現在はソレを大きく越え身分証の表示限界を越えた『測定不能』と言うとんでもない領域に有る為、本気で遣り合えば義二郎兄上は勿論、一朗翁ですらねじ伏せる事が出来る程なのだと聞いた覚えが有る。
……いや、まぁ一朗翁の強さは、生来の資質と言うよりは半森人としての寿命の長さと老化の遅さに根ざした圧倒的な修練の長さに依る物らしいので、純血の森人としてソレ以上の長き時間を生きる彼女がソレ以上と言うのは決して奇怪しな話では無い。
『別にそんな大層な物じゃぁ無いわ。あの子を折檻しようと思ったら私も強く成るしか無かっただけよ』
と言うのは、以前聞いた彼女の弁だ。
閑話休題、如何に武力で黙らせる事が出来たとしても、ソレが法的に認められ無ければ完全に強盗の所業。
下手をせずとも江戸市中に戻る前に奉行所なり火盗改メなりに縄を打たれる事に成る筈だ。
にも関わらず、こうして戦利品を頭に乗せた武光が普通に帰ってきているのには、それ相応の理由が有る。
『精霊や霊獣の取引は幕府は別に禁止して居ない』お花さんに襲われた廻船問屋の主人はそう主張したのだそうだ。
うん……確かに幕府の交付した法度にはそれらを禁止する事項は無い、だが精霊魔法に付いてお花さんから授業を受けた俺は知っている……精霊や霊獣との『契約』に拠らない取引は世界樹の神々に禁止されている事を。
幕府は京の帝から委託を受け政を代行している立場で有り、その帝もまた世界樹の神々からこの火元国の統治を委託されている立場なのだ、つまり世界樹の神々こそが最上位の存在な訳だ。
つまり彼らは無知故に、この世界で最も守らねば成らない最上位の法を犯していた……と言う事で有る。
無知は罪の言い訳には成らない、知らなかったからと言って犯罪が許される訳が無く、幕府の役人にとっ捕まれば、一族郎党丸っと市中引き回しの上打ち首獄門確定だった。
勿論その事を幕府の役人に告げれば、態々お花さんが出張る必要は無かったのだが、彼女としては関わった者全てを根切りにするのは忍びない……とそう考え殴り込む事にしたらしい。
「役人連中が手入れしてしまえば、精霊や霊獣は全て幕府が回収し陰陽寮なり大社なりが元の場所へと返してしまうからの。余や他の子等が契約するにはコレが一番良い方法だと言うておったわ」
「ぴっぴかぴー♪」
つまり押収される筈の物を着服する為に殴り込みを掛けた……とも取れる訳か。
「んー、その子との契約は無理やりとかそう言うんじゃないんだよな?」
とは言え、精霊や霊獣との契約は双方合意が基本であり、下手に騙す様な真似をして『古の契約』に抵触すれば、件の商人達よりも酷い事に成る筈だ。
「当然であろう! 余は家臣に無体を働く様な外道に非ず。黒江は余の最初の家臣、魂と魂が繋がった本当の家臣なのだ!」
うん……一体お花さんは此奴にどんな説明をして、契約に持ち込んだのだろう。
あと気に成るのは、主犯商人の末路だろうか……武光が知らない風な所を見る限り、決して愉快な事には成ってないんだろうなぁ……。
『魔女』と呼ばれる者が甘いだけの沙汰を下すとも思えないし……まぁ、深くは追求しないのが正解だろう。
俺はそう思いながら、一つため息を付いたのだった。




