四百三十 志七郎、死の淵に立ち諸々後悔する事
……頭が痛い。
…………身体が重い。
………………声が出ない。
「くぅん……」
「わふぅ……」
「くぉん……」
窓の外からは四煌達の心配そうな声が聞こえる。
「……ぃ…ょ……」
大丈夫だ……そう言いたいが、俺の口からはかすれた呻き声の様な物が漏れただけだ。
こんな事は前世もそして今生でも、一度として経験した事は無い。
丸で激しい運動をした後の様に身体が火照り、止めどなく汗が流れ出し、そんな状態にも関わらず、真冬の寒さに晒されているかの様に震えが止まらない。
……俺はこのまま死ぬのだろうか?
…………出来ればもう一度、大佐殿の揚げチキンと赤青コーラを腹一杯に食いたかった。
………………いや、もっと下世話にせめてこの身体では『経験』したかった。
喉の奥が疼き、二度、三度と咳が出て、口の中に嫌な味の粘液が込み上げる。
手を伸ばし懐紙を一枚取ってソレを吐き出すと濃い膿の様な黄ばんだ痰だった。
「兄者、睦義姉上にお粥を作って貰ってきたぞ。智香子義姉上の薬は飯を食ってからだってさ」
そんな俺とは対照的に、百点満点花丸元気印と言った様子で玄関の戸を開いてやってきたのは武光である。
長屋に有る俺の部屋の隣に彼の部屋が有る為か、四煌戌を除けば一番最初に俺の異変に気が付いたのが彼だった。
「本当に普段は随分と確りしてるのに、氷魔法の練習し過ぎで身体を冷やして、風邪まで引いちゃうなんて……志ちゃんも子供らしい所が有ったのねぇ。自分で食べれる? お母さんが食べさせて上げましょうか?」
その後ろからは、グツグツと煮立った土鍋の乗ったお盆を持つ母上が顔を出す。
いくら氣を纏う事が出来るとは言え、万が一躓きでもすれば大火傷は間違いないのだから、子供に持たせる物では無いと言うのは解るが、弟分の前でそう言う発言はやめて欲しい……まぁ今の身体が子供なのは間違いない事実なのだが。
「……ぅ……ぇ……ぅ」
自分で食べれる、そう答えようとするが、完全に潰れた喉からはやはり呻き声しか出ず、上半身を起こそうとしても、その重さに負けて直ぐに横たわった姿勢に戻ってしまう。
「……ぅ……ゲホ! ゴホゴホッ」
氣を纏い無理やり身体を起こそうとすれば、激しく咳き込み呼吸が乱れ、それも徒労に終わった。
「ほら無理しないの、武ちゃんは入っちゃ駄目よ。風邪が感染ったら面倒ですからね。見た所随分と質の悪い風邪みたいだし……」
その様子を見て駄目そうだと判断したのだろう、母上はそう言って一度お盆を置くと、武光の手にあった薬瓶を取り上げ退出を促した。
「解りました。兄者! 養生して早く良くなってくれ。装備も近い内に届くのだ。余の初陣に兄者が居らぬでは締まらぬからな」
最早声を出す事を諦めた俺は、鉛の様に重い腕を無理やり持ち上げその言葉に返事とするのだった。
「はい、あーん」
母上の手を借り上体を起こし、言われた通りに口を開ける。
散蓮華に一口分とり息を吹きかけ適温に冷まされた御粥を食べさせて貰うと、微かな酸味と塩気が口いっぱいに広がった。
鼻が馬鹿に成っているので臭いは解らないが、その味はまず間違い無く梅干しのソレで有る。
これが梅粥と言う奴か……、知識としては極めて一般的な病人食だという事は知っているが、実の所俺はコレを食べるのが初めてだった。
何せ前世から通して俺は一度たりとも病気で寝込んだ経験が無いのだ。
ソレは自身の自己管理能力が極めて優れている結果で、病欠なんぞする輩は体調管理すら碌に出来ない愚か者だと、そんな風にずっと思っていたのだが……どうやら前世の俺は人並み外れて丈夫だっただけなのだろう。
現に氣と言う超常の能力を持つと言うのに、今現在の子供の身体は一寸無理をした程度の積りで、あっさり病に侵されその能力を使う事すら出来なくなってしまった。
と言うか『たかが風邪で仕事を休むな』と部下に言った記憶が有る……あの時は確か捜査が行き詰まるかどうかの瀬戸際で、追い詰められて居た状況では有ったが、普通に考えれば完全にパワハラだ。
……風邪ってこんなにもキツイ物だったのか。
軽々しく口にした言葉を今に成って後悔してももう遅いが、それでも俺は心の中でその時怒鳴りつけた彼に謝罪……しようとしてソレを止めた。
風邪を引いて休むと連絡してきた前日……奴は仕事終わりに他課の同期連中と飲みに行くと言って帰って行ったのだ。
実際には無理を押して出勤させる事は無かったが、アレは風邪では無く二日酔いだったのでは無かろうか……。
いや……だがしかし、流石にあの切羽詰まった状況で、二日酔いで仕事をサボる様な奴では無かった筈……だと思いたい。
……そう言えば、酒は然程頻繁に呑んで居た訳では無いし、自分から積極的に呑む事も無かったが、二日酔いもした事は無いな。
呑む時にはそれなりに呑んで居たとは思うし、一緒に呑んで居た相手がべろんべろんに成るのに付き合っても、酔いはするが潰れる様な事も無かった。
うん……今思えば、前世の俺は極めて頑健な体質だったのだろう。
対して今生の俺は、普通……と言うにはやはり少し頑丈だろうが、ソレでも前世ほど無病息災の鉄壁ボディと言う訳では無さそうだ。
「……うん、大分熱が出てるみたいだけれども、これだけ食欲が有るなら安心ね、全部無くなっちゃったわ。じゃぁお薬飲んでちゃんと寝てるのよ? あの妙な絡繰り使ってたりしちゃぁ駄目よ」
と、そんな事を考えている内に土鍋の御粥を全部食い切って居たらしい。
香りが解らないと今ひとつ味がはっきりせず、あまり美味しいとは感じ無かったのだが、梅の酸味と塩気が『塩梅』の文字通りに程よく食欲を刺激した様だ。
幸い結構な量を食べた筈だが吐き気を感じる事は無く、今の所消化器系へのダメージは無さそうで有る。
ちなみに母上の言う妙な絡繰りってのは、まず間違い無くPCの事だろう。
思い返して見れば、毎日結構遅い時間までダウンロードして持って帰ってきたネット小説を読み漁って居た気がする……。
成長期の子供が連日夜更かしして睡眠不足を繰り返した上に、唯でさえ寒暖差の激しい季節にも関わらず、過度に身体を冷やす様な真似をすりゃ風邪を引くのが当たり前だろう。
前世に比べれば趣味に没頭出来る時間も多く、ストレスフリーな生活をしているとは思っていたが、そもそも比べる身体の丈夫さが違うのだから、もう少し気を使った生活をするべきだったのだ。
向こうの世界では風邪に特効薬は無いとされているが、智香子姉上の作る超常の霊薬ならば、余程の死病じゃないならば直ぐに治る筈……。
口に突っ込まれた薬瓶から青臭い様な血生臭い様な、エゲツない味わいがどろりと広がっていく。
……水薬タイプの霊薬は、何故こんなに酷い味の物が多いのだろう?
良薬口に苦しとは言うが、コレは一寸苦いなんて生易しい物じゃ無い。
続けて母上が差し出してくれた水を飲み干し、口の中を洗い流すと……熱に浮かされてなのか……それとも酷い味の所為なのか……兎角、俺は意識を手放した。
これからはもっと体調管理を徹底しようそう思いながら……。




