四百十七 志七郎、窮地を救われ好感を抱く事
狙い誤る事なく眉間を射抜かれた『釣瓶落とし』、四肢を切り飛ばされ失血死した『豚足』、頭を蹴り飛ばされて細長い首が曲がっては行けない方向へと曲がった『手羽先』……と、数えるのも馬鹿らしい程の妖怪達が死屍累々と横たわって居る。
此等を倒したのは俺達『鬼斬小僧連』では無い、俺達は未だ銃声の衝撃から脱して居ないからだ。
比較的近くに居たらしい妖怪達は俺達同様、大音響にやられて居たらしく、直ぐに襲いかかってくる者は居なかったので油断していた。
地下の化物達は人を喰らう者ばかりと言う訳では無いが、ソレでも大半は人が居れば逃げるのでは無く襲いかかってくるのが当たり前の存在ばかりなのだ。
そんな連中が蠢く場所で迷宮の奥まで響くような大音響を轟かせれば、襲って下さいと言っている様な物だろう。
いくらりーちは無事に動ける状態で、周りを警戒しているとしても、彼が得物を使い続ける限り次々と敵を呼び寄せ続ける事に成るのだ。
とは言え、当然音を聞きつけるのは妖怪達だけでは無い。
「ったく……こんな地下でぶっ放すなんて、お前等馬鹿だろ? 良かったなぁ俺が通りかかって、たぁ言えもうちっと入り口から離れてりゃぁ捨て置く所だったがな」
三十体を超える妖怪をたった一人で蹴散らしたのは、熊の物と思わしき毛皮の鎧で全身を包み、手には鉈、背中には短弓、場所に似合わぬ山の狩人をイメージさせる装いの、ぴんふと同じか少し上か、恐らくは十一か十二と言った所位の少年だった。
腰には太刀も佩いて居るが飾りの多い鞘や鍔を見る限り主武器と言う訳では無く、誰かから賜った飾り物と言う雰囲気だ。
助けを請われない限りは例え命に関わる状況だとしても捨て置くのが戦場の慣らい。
本来で有れば、彼の言う通り俺達は絶えること無く集まってくる妖怪達を相手に、食い殺される所までは行かずとも霊薬の大半を使い切る程度の痛手を被る事に成っていた筈だ。
無論、そんな事は外野で有る彼に解る訳も無く、放って置いても其処に死体が三つ四つ転がるだけで、助ける義理など爪の先ほどにも無い。
むしろ助けた筈の相手から逆恨みを吹っかけられる危険性すら有る行為なのだ。
にも関わらず乱入に至ったのは、此処が地上との出入り口から然程離れていない場所だからだと、彼は飾る事なくそういった。
入り口の直ぐ側は流石に『結界』の効果範囲なので、其処に直接妖怪が湧く事は無いが、奥に出現した物が地下道から出る事が出来ない訳では無いのだ。
この階層に現れる化物は群れを為す習性が無く、多くとも数匹単位以上で行動する事は無く、複雑な通路の構造と相俟って入り口の守衛を突破する様な事体に成る事は殆ど無い。
だが今回俺達がやらかした様に、何らかの理由が有って大量に集まってしまった場合、放置する事で守衛が突破される可能性が有り、腕に覚えの有る鬼切り者は多少の危険は承知の上で討伐を優先するのだそうだ。
「勿論、お前等が文付けようってんなら相手に成ってやらぁ。尤も猪山のお殿様や奥方様がそんな筋の通らねぇ躾をしてるたぁ思っちゃ居ねぇがな?」
……どうやら彼は俺達が何処の誰かと、当たりがついているらしい。
「いや……お前さん自分が思っている以上の有名人だかんな? 普段着なら兎も角、そんな見事な亀甲鎧を纏った子供なんて他には居やしねぇんだからサ」
何故俺が猪山の者だと解ったのか、問いかけるより早くそんな言葉が飛んでくる。
『猪山の鬼斬童子』の名は初陣の時の『大小鬼討伐』だけで無く『大鬼亀討伐』や『山姥の界破り』も多くの瓦版が取り上げ、何人もの絵師が題材に武者絵を描いており、顔は兎も角その『出で立ち』を知らぬ者は江戸は勿論、火元中でも少数派と言える位らしい。
しかも俺が界渡りを果たしこの地に戻ってから此方、瓦版屋が売上を伸ばす様な大きな話題は提供されて居ないそうで、猪河家の息が掛かっていない見世でも未だ主題に据えられているのだと言う。
「……そう言う貴方も、昨年は相当に名を売っているお人では有りませんか。助太刀頂き有難う御座います『鴻鵠落とし』殿」
完全に耳鳴りが抜けた訳では無い様で未だ顔を顰めたまま、歌は彼の装いを見てその二つ名を口にした。
鴻鵠とは雪を纏い飛ぶ巨大な白鳥の妖怪で、北国ならば兎も角、江戸周辺に現れるのは極めて稀な事なのだそうだ。
昨年初冬に鴻鵠の群れは大雪を伴い江戸州へと飛来した。
冬本番に成っても雪が降り積もるのは珍しいこの江戸で、冬支度も終わらぬ内に突如現れた雪妖の被害は、放っておけば決して少なくない凍死者を出したと試算されたと言う。
無論、江戸の武士達や鬼切り者も手を拱いて居た訳では無い、飛び道具を得物とする者達を揃えて撃ち落とす事を試みたらしい。
結果、手にした短弓で圧倒的な数を撃ち落としたのが鬼熊の毛皮を纏った少年で『鴻鵠落とし』の二つ名が付けられたのだそうだ。
「つったって折角名が売れたと思ったら、一月もし無ぇ内に話題は『界渡り』一色だ。俺からしたら良い面の皮としか言えねぇわ」
彼にとっては巡り合わせが悪かったとしか言いようが無い話だが、そうして付けられた二つ名を利用し、直接大口の依頼を取って一稼ぎしようとした頃に俺が帰って来てしまい、残念ながら彼の名は世間から七十五日経たぬ内に消える事と相成った。
ソレを考えれば、俺達を助ける様な筋合いは余計に無いと言う事になるのだが……
「んだからって、義理の弟に成る予定の奴を見捨てる様な事をしちまったら、お睦ちゃんに合わせる顔が無ぇって物だ。良かったなお前等通りかかったのが俺でよ」
年の頃に似合わぬ含みの無い男臭い笑みを浮かべ鴻鵠落としはそう言った。
という事は彼はあの夜鷹蕎麦屋の弟で……睦姉上が親しく付き合っているという男か。
身分の差は有れど、年の頃はまぁ釣り合っていると言えるだろう。
父上や母上も見知っているらしい事も言っていたし、半端な男ならば姉上に色目を使った時点で叩き切られて居ても可怪しくは無いだろうし……俺から見ても『良い男』に育つ片鱗は見て取れる。
少なくともぴんふやりーち、武光当たりが相手だと言われれば、『先ずは俺を倒してからにしろ』と言いたい所だが……まぁ彼等よりは一枚上の男振りと感じられた。
何にせよ睦姉上に好い人が出来たと言う事はなんとなく聞いていたけれど、真逆ぴんふと変わらない歳頃とは思わなかったな。
この江戸は基本的に男余りで女足らず、相手の居ない男はゴロゴロしている。
そんな中で、男は稼ぎが確りとしてきた二十歳頃が、女の方は体力的に充実しているだろう十五歳位が適齢期とされている為、見合い話なんかを持ち込むならば、大体五歳前後差が有るのが普通なのだ。
瞳姉上と義二郎兄上の様な姉さん女房何ていうのは無い話とまでは言わずとも、何方かと言えば例外の範疇に有る。
「猪山藩主、猪河四十郎が七子、猪河志七郎だ。御助力誠に忝ない、睦姉上のお知り合いとご推察する故、帰り次第姉上を通じて御礼は必ず」
事前に聞き及んだ情報から、相手は町人階級なのは間違い無い筈だが、身分の差を理由に礼を尽さない様ではその方が余程『恥』だろう。
「ああ、此方こそ名乗りが遅れ申し訳無い。そちらのお嬢さんが言った通り俺は『鴻鵠落とし』の断狼だ。まっ宜しくしてくれや!」
姿勢を正し名乗りを返しながら右手を差し出す彼の目は、真っ直ぐに俺を見つめ揺らぐ事は無い。
少なくとも今の俺からは、好感を持って接するに値する少年に見えたのだった。




