四百十六 志七郎、嫉妬を知り地下を侮る事
「ダメだなやぁ武光さ。そったら屁っ放り腰だら、矢が何処さ飛んでっか解りゃしねぇだ。もっとこう、ビャって構えて、グって引いて、シュバっと放つだよ」
我が猪山藩邸では余程天気が悪く無い限り、毎朝庭で武芸の鍛錬をするのが恒例と成っている。
夜番開けだったり体調不良(含む宿酔)だったりで、必ずしも全員が出て来ると言う訳では無いが、それでも若手連中に関しては稽古をするのはほぼ義務と言って差し支えない。
当然ながら俺達兄弟も取り立てて何か無ければ参加している。
御祖父様に昼間がっつり扱かれている武光は無理して参加しなくても良い様にも思うのだが、実戦経験を経る事無く格十五と言う数字を叩き出すだけ有って、尊大な物言いとは裏腹にかなり努力家の様で今の所は毎日元気に俺に突っ掛かってきていた。
だが今朝は何故かその姿が見えず、不意打ちでも狙っているのかとも思ったのだが、その気配すら無かったので、ちょいと探して見た所、射撃場から聞こえてきたのが冒頭の声で有る。
「だからビャッとかグッとか音で言われてもわからんわ! 仁の兄上をして騎射ならば自分よりも上手だと言うから、余もその教えを請おうと思ったのだ。もう一寸具体的に説明せよ」
何時の間に仲良く成ったのか、蕾が武光に短弓の扱いを教えているらしい。
「んだら事言うても、オラ火元国の言葉さ、未だ良く解らねぇだら、しようがなかんべ。お清様も『習うより慣れろ』言うてたで、武光さも頭で考えるでねぇだよ。剣も一緒だべ? 『考えるな感じろ』てのは」
どうやら俺と同じく思考型の武光に対して、野生型らしい蕾では教え方が今一つ噛み合って居ない様だ。
「蕾殿、口で説明出来ぬので有れば、型を見せて教えるのが宜しいのでは御座いませぬか? 拙者も口下手な方故、教えろと言われれば見て盗めとしか言えませぬし」
と、そう助言の言葉を口にしたのは、やはり射撃場で的に向かって手裏剣を投げていたお忠で有る。
何方も母上が面倒を引き受けてくれた、同年代の女の子同士と言う事も有ってか、出身身分の違いは兎も角二人の仲は割と良いらしい。
それにしても幼いとは言え流石は騎馬民族出身の蕾だ、仁一郎兄上も流鏑馬の心得は有るが弓は余技で有り、実戦では使えないと言い切っていたが、彼女のソレは必要に十分な技量が有るのだと言う。
「おー、ソレだやな! んだば武光さ、オラが撃ちまくるだから、見て盗むだよ! 昼飯食ったら仁の兄様の所さ行って馬っ子さ見立てて貰うだら? 馬っ子さ居らねぇと騎射は出来ねぇだらなぁ」
と言うか、仁一郎兄上も含め其処まで話が進んでいるのか。
武光の面倒は俺が主で見る様言われているのに、なんだか蚊帳の外……
まぁ銃と魔法が有るから弓は使わないし、騎乗するなら馬では無く四煌戌に乗るしで、何方の技術も俺には縁遠い物だし、武光の予定を管理している訳でも無いが……なんというかこう、一言位は欲しいと言うのが本音では有る。
決して武光が女の子達とキャッキャウフフと楽しそうにしているのが、羨ましいとかそう言う事では無い。
「……志七郎、彼奴等も悪気が有ってお前に話さぬのでは無いだろう。武光が無事初陣を果たせる様、忙しく走り回って居るのが解っているからこそ、自分達で出来る事でお前を煩わせたく無いのだ、察してやれ」
内心が顔に出ていたのだろう、槍の型稽古を止める事無く、仁一郎兄上がそんな言葉を投げ掛けてきた。
……そーいや仁一郎兄上って、許嫁は居るのに優駿制覇まで色事断ちを誓ってるんだっけか。
つまりは二十三歳に成った彼も未だ魔法使い候補生、そう思い至るとなんだか少しだけ溜飲が下がった気がするのだった。
「思ったより天上が高いな。騎乗戦闘は出来ないって話だからもっと狭いと思ったんだが……」
高さは大体一丈、道幅は三間といった所だろうか?
「いや、仁兄さんの得物は槍だろ? 騎乗し無くても長物ぶん回すにゃぁ此処はやっぱり狭いぜ? 俺だって気を付けなけりゃ何処に引っ掛けても奇怪しくねぇしな」
思いの外広い様に思えた地下道への感想を、ぴんふがあっさり切って捨てる。
「道が曲がりくねっている所為も有って、飛び道具も余り有用とは言い難いですし、手前にとっても此処は中々難儀な戦場ですね」
狙撃銃が主武器で、遠距離から一方的に攻撃出来なければ、大分格落ちしてしまうりーちにとっても、地下迷宮と言う場所は鬼門と言えるだろう。
「……本当ぶっつけ本番にしなくて良かったですね、私も当日は弓を置いてくる事にします」
普段の歌は、弓、槍、刀とどの間合いでも戦える装備だが、今は弓を背負ったままで何時でも突きを繰り出せる様に槍を腰溜めに構えて移動している。
今日は武光の初陣に備えて新宿地下迷宮の入り口付近を軽く下見しに来たのだ。
「「「くぅん……」」」
万が一、魔法が必要に成った時に一々召喚する手間を取られるのを嫌い、四煌戌も連れて来たのだが、思ったより広いとは言えこの閉鎖空間では流石に彼等の行動が全く阻害されない訳では無い。
「下層に降りて行けば大きな妖怪が出現する場所も有るらしいし、もっと広く成るんだろうが、少なくとも初陣の舞台に成る第一層では必要な時に喚ぶ方が良さそうだなっと!」
と、そんな感想を漏らすと同時に、俺は天井から奇襲してきた火の玉を纏った巨大な『頭』を回避する。
その一撃で俺を食うつもりだったのだろう、歯を打ち合わせる音を響かせ、それから恨みがましく此方を睨みつけた。
『釣瓶落とし』若しくは『釣瓶火』と呼ばれる妖怪だ。
直後、火薬が弾ける音が鼓膜を震わせる。
「ック! なんでこうなる事を予想してなかった俺は!?」
弾丸は釣瓶落としの眉間を誤る事無く貫くが、閉鎖空間で銃をぶっ放せば派手な反響音が耳に痛手を負うのは当たり前だ。
拳銃ですら室内での射撃訓練時にはイヤープロテクターをするのは常識だった。
野外でも裸耳で狙撃銃を使っていれば、耳に障害が残る事も決して聞かない話では無い。
りーち本人は何時もの事だろうし氣で防御している筈だが、完全に意識の外だった俺は酷い耳鳴りに思わず蹲る。
……と言うか、耳をやられたのは俺だけではなく、りーち以外全員だったらしく、皆が皆、耳を抑えて動きを止めていた。
「銃って山人が地下で使う為に作ってんじゃなかったっけか!? 阿呆じゃねぇの!?」
余程大きな声で叫んだのだろう、耳鳴りの向こう側からぴんふがそう吐き捨てたのがなんとか聞き取れる。
山人って全身毛に覆われてる種族なんだよなぁ、多分耳の中も耳毛で守られてるんじゃ無かろうか?
人の街に住む山人は御洒落的な意味で剃ったりしているらしいが、そもそも鉱山で暮らしていない山人は銃なんか使わない筈だ。
多分、この世界に置ける銃という武器の成り立ち的に、地下でも使えると疑う事無く持ってきたのだろうが、少なくとも人間と言う種族が何の対策もせずではこういう結果を生む事に成ると言う訳で有る。
いっその事鼓膜が破れる程の痛手を負っていたならば、自動印籠に入った薬の内どれかが効果を現したのだろう。
しかし残念ながら状態異常というほどでも、霊薬が必要な傷という程でも無く、俺達は周囲の警戒をりーちに任せ、耳鳴りが収まるまでただ蹲る事しか出来ないのだった。
……ぶっつけ本番にせず本当に良かったと思うしか無いなコレは。




