四百十三 志七郎、悩み相談しまた悩む事
さて……取り敢えず、今の段階で済ませるべき用意は一通り終わったが、次に考えるべきは武光が命を落とす様な事故が起こらず、それでいてきっちり危険を感じる事が出来る戦場の選定だろう。
既に氣を纏う事が出来、この一月の間に御祖父様がその運用を叩き込むであろう彼を『小鬼の森』の様なガチ初心者向けの戦場に連れて行ったりすれば、増長して実戦を舐めて掛かる様な事にも成りかねない。
戦場では有り得ないと言う事こそ有り得無い。
雑魚と侮った相手からの攻撃に対して回避や防御を致命的な失敗してしまい、更に最悪な事にその攻撃が痛恨の一撃だった……なんて話は世界中幾らでも転がっている。
そしてソレは兎鬼や剣鴨の様な即死攻撃持ちが相手の時だけでは無いのだ。
例え相手が小鬼の様な油断さえしなければ、絶対に命の危険が無い様な相手でも、ふと気を抜いた瞬間に防具の隙間に得物が入り込み運悪くソレが動脈を傷付ける……なんて事は十分に有り得る。
致命傷に至らずとも、俺達の身体は手足の腱を傷付けられればその部分は動かなくなるし、深手で無くとも血を流せばソレだけで体力を奪われ、止まら無ければ何時かは命を落とすだろう。
極論を言ってしまえば人間なぞ何処を斬ろうと無事と言う事は無く、全身全てが急所と言っても絶対に間違いとは言い切れ無いのだ。
人間油断すれば死ぬときゃあっさり死ぬ……ソレは前世の人生を通して俺が得た大きな教訓の一つと言えるだろう。
「慢心駄目絶対……」
誰に聞かせるでも無く思わず口からそんな言葉が溢れるが、当然それに答える者は……
「「「おん!」」」
居た。
「四煌、もう夜も遅いんだから静かにな」
部屋の窓を開けそう声を掛けると、六つの瞳が申し訳無さそうに俺を見つめ子犬の様に鼻を鳴らす。
「寒く無いか? 犬小屋の一つでも用意してやりゃ良いんだろうが、お前等何処まで大きく成るか解らないからなぁ……」
軽く身体を伸ばし窓の下で寝そべる彼らの背を撫でる。
今の時点で牛馬並の体格に育ったにも関わらず、仁一郎兄上の見立てではまだまだ成長期を脱したとは言えないらしい。
今の体に合わせて小屋を作ったとしても、然程もしないうちに無用の長物に成る事は容易に想像が出来る話だし、これ以上大きくなった彼らに合わせた犬小屋は最早『厩』の域に入るだろう。
俺達兄弟が暮らす長屋の部屋には比較的広い『庭』が付いて居る物の、流石に厩舎を建てる事が出来る程では無いし、そんな物を建ててしまうと太陽電池を使ってパソコンに充電をするのが難しく成ってしまう。
「くぁ~」
「はふぅ~」
「くぉん」
三つ首揃って眠そうに欠伸をするのを見て、俺はパソコンの時刻表示を確認する。
「……うん、そろそろ寝るか」
日が落ちればさっさと寝るのが当たり前のこの江戸で、午後二桁まで起きていればソレは十分に夜更かしの範疇だ。
考えても答えが出ないならば、ソレは『休むに似たり』と言う奴だろう。
取り敢えず今夜はサクッと寝て、明日誰かに相談してみよう。
「三人拠れば文殊の知恵って言うしな。仏教の無いこの世界に文殊菩薩が居る訳は無いんだがぁふぅ……」
と、誰に聞かせるでも無くそう呟いた所で、噛み殺せぬ欠伸が口をついたので、パソコンを消して布団へと入るのだった。
「と言う訳で、家で預かる事に成った武光だ。ほら、お前もちゃんと挨拶しろ」
何時もの茶屋に小僧連で集まる予定が有ったので、小僧連の皆にも紹介しておこうと連れて来たのだが、
「余が後の将軍筆頭候補、禿河武光で有る! 苦しゅう無い、宜しくする事を許してってあ痛ぁ!」
そんな戯けた自己紹介をしたので、容赦なく後頭部を引っ叩いた。
「……いやまぁ、うん。もっとアレな物言いをする様な輩は幾らでも居るし、上様の血筋ならその位鼻っ柱が強くても良いんじゃねぇか? なぁりーち?」
「ですよねぇ……練武館にも何人か居ますけど、この位は可愛いほうだと思いますよ? ぴんふなんか得物を理由に何度喧嘩売られたか数えるのも馬鹿らしい位ですし……」
顔を見合わせてから笑みを浮かべそう言い切る二人の言に拠れば、上様の孫に当たる者は百人近く居り、その中で現在両館に通う年頃の者は十人程居るのだそうだ。
その全員が全員度し難いと言う程では無いが、ソレでも多かれ少なかれ血筋を驕り尊大な態度を取る部分が有るのだと言う。
「家にもお兄様が何人か連れて来た事がありますが、私が知る人達は余りそう言う部分を感じさせる方は居ませんでしたが……やはり戦場での経験が有ると、驕り高ぶる気持ちも無くなるんでしょうね」
歌が知っている者はソレこそ数人らしいが、彼らの方は折り目正しい若侍と言った風の者達らしい。
まぁ桂殿が家に連れて来る様な者は当然『出来物』だろうし、何より可愛い妹に不埒な真似をすればたたっ斬られるのがオチだ。
「此奴を一ヶ月後、装備が出来上がり次第初陣へ連れて行く予定なんだけど、何処か良い戦場の案は無いかと思ってね……そう言やぴんふの初陣は何処だったんだ?」
兎角、気を悪くした様子が無い事に安堵しつつ、そう問いかける。
俺の初陣は『子鬼の森』りーちと歌は『兎鬼ヶ原』だったが、ぴんふのソレは聞いた覚えが無い。
「んー、俺の初陣は戦場じゃぁなくて、野良妖怪の討伐だったんだわ。相手が泥田坊ってんで鍬使いの俺に相応しいって事でさ」
泥田坊と言うのは長く手入れを怠った田畑に湧く妖怪で、その性質は堕ちた田畑の守護者の類だと言われており、江戸州鬼録に記されいる中では上から数えた方が早い程度には強力な妖怪で有る。
流石に『大鬼』級の相手と比べれば二段も三段も格の落ちる相手では有るが、雑魚と言い切って良い相手でも無い。
とは言えそんな化物を初陣のぴんふが単独で倒したと言う訳では無く、多数の家臣達が十分に弱らせ止めを譲られた形なのだそうだ。
「あの時はまだ俺が浅雀の跡目を継ぐと考えていた家臣も多かったからなぁ。母上の指示で気持ちの良い初陣をお膳立てしたって事だろうさ」
当時既に家中の権力争いに嫌気がさしていたぴんふは、其処で調子に乗る様な事は無かったが、普通の子供で有れば誤った成長の原因にも成り兼ねない危ない真似と言えるだろう。
だが考えてみれば上様の子弟の多くは、同じ様な経験をする様にも思える。
その子供が権力者と成った時に良い印象を与えて置けば、甘い汁を吸える様に成るとまで言わずとも、何らかの優遇措置位は期待できるだろう。
実際、上様を育て上げた我が猪山藩は、端から見てかなりの贔屓を受けている様に思われていても全く不思議では無い。
それでも御祖父様辺りに言わせれば、全く貢献度に見合っていない程度の物と言う事らしいが……。
「やはり、得物や流派との相性を考えて相手を選ぶべきじゃないですかね? 手前の時も歌の時も飛び道具持ちと言う事が、戦場選びの決めてだった訳ですし」
一寸考え込む素振りを見せたあと、りーちがそんな事を口にする。
その言葉通り、兎鬼は複数に囲まれる様な事があれば危険だが、遠間で相手をする限りに置いては下から数えた方が早い位には雑魚で有る。
「戦場の事でしたら、お兄様に相談するのが手っ取り早いのでは? 江戸州の鬼妖怪で有れば希少な奴の出現情報も把握してるでしょうし」
対して歌はと言えば、悩むのも面倒臭いと言わんばかりにあっさりとそう言い放つ。
いやまぁ、りーちの時も歌の時も兎鬼ヶ原を選んだのは桂殿に相談した結果なのだが、何時までも頼りっぱなしと言う訳にも行かないだろう。
半人前が四人集まった所で二人前、文殊の知恵には届かない様だった。




