四百十二 志七郎、注文し侮りを改める事
「なぁ、兄者。なんだっていきなりこんな事をさせられて居るのだ? もしかして余の方が年下なのに背が高い事が許せ無いとか、そう言う話なのか?」
素材の目処がたったから早速、悟能屋を呼んで採寸をさせていると、然程も経たぬ内に飽きたのか、武光がそんな台詞を口走る。
今の俺の身長は凡そ四尺で練武館で会った同期達の中では平均位の背の高さと言って良い程度だ。
対して武光は俺より一歳年下だと言うにも関わらず、一寸にも満たない差では有る物の、並んで比べれば確かに奴の方が背が高かったりするのである。
身体全体を見ても、俺が年相応の子供らしい丸みを帯びた身体付きで、鎧う事をしなければ普通の子供でしか無い。
武光の方はと言えば、全体的に骨太で、太って見えると言う程では無いが肉付きも良く、何方が強そうに見えるかと問えば、十中八九は奴だと答えるだろう。
経済的に余裕が有るとは言えないだろう有馬家で育っていてそうなのだから、きっと家で栄養バランス良く様々な物を思う存分食べて適度な稽古を積めば、麻や筍の様な勢いで今以上に育つのは間違いない。
上様も今でこそ信楽焼の狸の様な出っ腹を抱えた姿をしているが、若い頃には一郎翁と並んでも見劣りしない益荒男として描かれている錦絵が残っている辺り、きっと将軍家は体格に恵まれる血筋なのだろう。
だが我が猪河家の方は、義二郎兄上は六尺を優に超え、信三郎兄上も五尺五寸と年齢に対して体格は良いほうと言えるが、仁一郎兄上は五尺に満たず武士としては小柄と言える。
ちなみに女性陣は礼子姉上と智香子姉上が共に五尺二寸で睦姉上は四尺八寸位だった筈だ。
傾向としては比較的大柄に育つ血筋と言えそうだが、仁一郎兄上と言う例外が居る以上、絶対の事とは言い難い。
前世は身長に劣等感を抱えない程度にはよく育った方では有るが、果たして今生では何処まで伸びるやら……。
「武光……独活の大木って言葉知ってるか?」
と、自身の成長に少々の不安を感じながらも、仮にも弟分として世話を任されている相手に言われっぱなしと言う訳にも行かず、少々大人気無いとは思いながらもそんな台詞を口にする。
「いや冗談だから、そう殺気立たんでも……」
そんなつもりは無かったのだが……初対面の時に少々脅かし過ぎたか?
「……お前が初陣に着る装備を仕立てる為の採寸に決まってるだろ。お前も武勇に優れし猪山の子に成るんだ、両館に通う様になる前に初陣を済ませてない様じゃぁ、他所に舐められる。そうなりゃ家だけじゃなく有馬や将軍家の名前も落ちるって物だろう?」
軽く咳払いして心を落ち着けてからそう説明してやると、
「自分の身の回りを整える銭は自分で稼ぐとジジ……いや翁に言われたんだが、余は銭なんぞ持ち合わせておらんぞ?」
心底困った様な顔でそう問い返してきた。
「確かに自分の小遣いは自分で稼ぐのが猪山の流儀だ。が、俺だって初陣の装備は義二郎兄上が用意してくれたんだ、気にする必要は無い。それに子供が種銭も無しに鎧刀を一揃い作るだけの額面を稼ぐ事なんか出来る訳が無いだろうさ」
実際、小太刀や脇差サイズの俺達が使う様な得物でも、素材を持ち込んでも刃金に技術費その他諸々込み込みで最低でも二両、腕の良い職人であれば有るほどに値は跳ね上がり、上を見れば天井知らずに跳ね上がっていくだろう。
とは言え、一見限りの客ならば兎も角、猪河家と悟能屋の様な藩と御用商人の関係ならば、余程無茶な要望をしない限りボッタクリ価格が提示される事は無い筈だ。
そう言う意味で、買う時に付いては概ね安心して良いのだが、問題は宝箱から発掘した物が『用途不明』だった場合で有る。
未鑑定品は買い取りして貰う事が出来ず、見世の鑑定士に鑑定して貰う場合には、買取価格と同額の鑑定料を請求されるのが通例とされているので、そのまま持ち込めば此方の儲けは無い。
幸い我が家には、智香子姉上や信三郎兄上の様に多くの知識を抱えた者が居るし、万が一その二人に解らない物でもおミヤに見せれば大概なんとか成る。
その為態々見世の鑑定士の世話に成った事は無いので、お忠を拾って来た時の様に安心して宝箱を狙う事が出来るのだ。
「お疲れ様でした、これで採寸は終了で御座います。此の度は硬い革鎧にはしなくて良いとの事ですので、刀の仕上げも含め一月程度でご用意出来るかと存じます。お急ぎと言う事であれば勿論、もう少々早める事は出来ますが……」
と、俺達の会話が途切れたのを見計らい、悟能屋の番頭が算盤を片手にそんな言葉を投げかけてきた。
あー、お急ぎ料金は別な訳ね……って、あれ? 確か俺の初陣の時には、確か十日位で一揃い出来てた筈だけど、あの時は超特急価格で払ってたのか?
「確か俺の初陣の時には十日位で出来たと思うんだが、其処まで急ぐなら幾らに成る?」
実際そこまで急いでいると言う訳では無いが、義二郎兄上が出してくれた値段の目安には成るだろう。
「私の記憶が確かなら、あの時は刀は新造せず有り物を詰めただけですからね。それに鱗鎧は比較的構造が簡単でしたので短い期間でもご用意出来ましたが、今回は丸っとですからねぇ……余程頑張っても二十日は頂きたい所で、御足も此の位は……」
算盤を弾き、導き出された数字は最初に見せられた物とは桁が一つ違った。
十日縮めるのには他の仕事を全て後回しにするなり、休憩時間を削るなり、兎角職人に無理を強いる事に成るのは間違いない。
其処までして得られるのが二週間にも満たない時間だと言うのなら、まぁ通常価格で良いだろう。
「……うん、普通に一月でお願いします。考えたら毛皮を鞣す所から始めるんだから時間掛かるのは当然だわな」
……決して、銭を惜しんだと言う訳では無い、額面に対して短縮出来る期間の割が合わないだろうと言う合理的判断だ。
「へぇ、毎度有難うございます」
ちらりと武光の方を見てからそう返事を返した番頭さんは、銭のやり取りをする事無くそのまま帰り支度を初めた。
彼も父上と共に国元へと帰っていった店主が留守の間見世を預かる立場の商人、俺が武光の前で銭のやり取りをしたく無い事位、推測するのは簡単だったのだろう。
支払いは後から直接見世に持っていくなり、誰か下働きの者を使いに出すなりすれば良い。
謝意を込めて俺が目礼すれば、その意図が伝わったらしく彼も無言で首肯した。
「と言う訳で武光、お前の初陣は一ヶ月後に決定だ。ソレまで書庫に有る『江戸州鬼録』『倒鬼日記』『魔斬草子』は読んで置け、他にも鬼斬の参考に成る書は幾らでも有るからな『知は力なり』だ」
氣の扱いは俺が態々言わなくても御祖父様が叩き込んでくれるだろう。
武芸の方も今の時点で歳相応以上の腕前を見せる程に鍛錬を積んできているのだから、此処で今更手を抜くとは思えない。
不安が有るとすれば、やはり勉学の方では無かろうか?
「兄者……もしかして余を馬鹿だとでも思っておるのか? その三冊は武士成らずとも男児ならば初陣までに読むべき必修の書では無いか。流石に諳んじる程と言う訳では無いが、それなりには目を通しているぞ?」
……うん、正直馬鹿だと思ってました。
流石に、そんな事を口にする訳も無く、俺は只笑って誤魔化すのだった。




