四百十一 志七郎、諦め依頼する事
基本的な武器と防具の目処がたったならば、次に用意するべきは事故防止に繋がる補助装備だろう。
智香子姉上に作って貰った己の状態を客観的かつ映像的に知る事が出来る『魂の瞳』と名付けられた眼鏡は、絶対に無くては戦え無いと言う物では無い。
今までもコレが有ったから救われたと言う場面は無かったが、それは飽く迄も安全マージンを確り取って鬼斬りをしてきたからであって、妙な状態異常を振りまく様な相手や、氣力体力の限界を絞る様な強敵を相手取るならば有って困る物では無い筈だ。
ソレ以上に重要なのは、何度も助けられ続けた自動印籠だろう。
幾つも持っている霊薬の中から適切な物を選び服用するというのは、何気に手間の掛かる作業で有る。
しかも家の場合は火元国でも一、二を争う錬玉術師の智香子姉上が居るから、万能薬の様な極めて生産難易度の高い薬も用意出来るが、他所の薬師では一言に『毒消し薬』と言っても『あの妖怪の毒にはこの薬』と用意しなければ成らない薬は膨大な数に成るのだ。
必要な薬剤を混乱する事無く即座に飲める様に身に着けるのは数に限界が有る為、多くの鬼斬者は戦場に合わせて幾つかの霊薬を厳選して用意するのだが、ソレを使うにしても戦いの中では間違い無く一手潰さざるを得ない。
最悪、想定外の薬が必要になった場合、事前に荷物として用意していたとしても、ソレを取り出し服用するなんて事は、戦闘が終わるまでは不可能で有る。
単独での鬼斬りが極めて危険だと言われているのは、兎鬼や剣鴨の様な即死攻撃を持つ鬼や妖怪だけで無く、生命力を奪う様な毒や、身体に痺れを起こす毒など、即座に死ぬ様な物では無い状態異常でも回復に手間を取られ、結果事故的な死に繋がるからだ。
その点、自動印籠が有れば中の霊薬が尽きない限り、服用する隙を作る事無く回復しながら戦い続ける事が出来る。
初陣も含め、暫くの間は小僧連の皆と共に行動させるつもりでは有るが『武勇に優れし猪山』の子と成る以上は、何処かで自立させる必要も有るだろう。
その時に彼の親父殿と同じ轍を踏まぬ様にする為にも、武光用の自動印籠を用意して貰った方が良い筈だ。
尤も道具に頼る様に成ってソレが無ければ戦えない、なんて状態にするのも問題なので、俺自身も何処かで自動印籠を手放して戦う練習も必要かも知れないが……。
兎角、武器と防具の材料が揃ったのだから、直ぐにでも悟能屋を呼んで採寸を済ませるべきだろう。
そしてソレが出来上がるのと合わせて、術具の方も出来上がっているのが望ましい。
準備が整うのを待っても、なんとか彼の入館前に初陣を済ませる事は出来る筈だ。
その為にも、先ずは智香子姉上に術具の製作依頼をして置こう。
俺はそう考えて、姉上の離れへと向かったのだが……
「うん、ソレ無理なの」
と、一瞬の躊躇も無く切って捨てられた。
「えーと……? 俺が支払える限りはなんとか用意するけど……駄目?」
兄弟子の望奴や師匠の虎殿が居ないのだから、その指導で作った術具を作る自信が無い……と言う事では無いだろう。
智香子姉上は良くも悪くも『出来る出来ないじゃねぇ! やるかやらないかだ!』とそんな台詞が聞こえてきそうな位には、常に作戦『ガンガンいこうぜ』な性格をしている。
実際『成功率なにそれ美味しいの?』と言う様な、実力に見合わぬ調合に手を出しては、度々爆発させているのが良い証拠と言えるだろう。
「駄目も何も、材料が無ぇの。アレはお師匠が提供してくれた希少素材を山程使って作ってるの。同じ物を輸入で済ますと成れば千両は軽く掛かるの。火元国の素材で作るなら、先ずその研究からなのよ」
魂の瞳の大本に成った『愚者の瞳』『術者の瞳』『戦士の瞳』『賢者の瞳』ソレらを個別に作るだけならば此方の材料でもなんとか成るが、その全ての効果を併せ持つ物を作るには、代替となる素材の情報が足りないらしい。
では自動印籠だけでも……と、言いたい所だが、此方も類似すると目を付けている素材は有る物の、ソレが本当に正しいのかどうかは全く実験が足りて居ないのが現状なのだと言う。
「入万巾着の方は目処が立ったから、材料さえ集めて来りゃ作ってやれるのー。あっしの奴程物は入らねー物には成ると思うけどなのー」
智香子姉上愛用の桃色の巾着袋――入万巾着は重量体積を無視して物を入れる事が出来る、所謂『アイテムボックス』で有る。
とは言え無限に物が入るという程では無く、使った材料の品質や制作した錬玉術師の腕前で、その容量には大きな差が出来る物だ。
智香子姉上の持つ物は世界最高級の術者で有る虎殿が、世界中を巡り集めた最高品質の素材を惜しみなく使った、世界を見回しても上から数えた方が早い様な高級品、流石に代替素材を用いて其処までの物は作れないのも無理は無い。
ソレが有れば大物を持ち帰るのが楽に成るし欲しくは有るが……多分色々と厄介な素材が必要なのだろう。
「此方で手に入る素材だと……『天狗王の風切羽』『火車の髭』『二口女の八重歯』『夢喰の牙』辺りを集めて来りゃ実用品にゃぁ足りるのよー」
ちなみにそのレシピを確立させるまでに実験で作った『ハズレ』とでも言うべき物も多数作ったが、中途半端な品を流通させる事を良しとしない職人としての矜持に従い処分したと言う。
また十分とは言えずとも使用に足ると判断した幾つかは、父上から上様に献上されたらしい。
なお姉上が上げた素材を得る事が出来るのは、どれも『江戸州鬼録』には載っていない、つまり江戸近辺には出現した記録の無い珍しい妖怪達だ。
俺の今の刀を作った時の様に出現情報を集めてから狙って狩りに行けば、ソレを全て集めきるのに果たしてどれ程の時間が掛かる事やら……
しかもサラッと出て来たので流しそうに成ったが『天狗王』と言うのは、その名の通り天狗族を束ねる大妖怪中の大妖怪、以前会った仙人の『難喪仙』の元種族で有る『大天狗』よりも更に上位の化物だ。
「んなもん、一郎翁以外に集めれる奴は居ないでしょうよ……」
無論、単独では無く徒党を組んでならば、義二郎兄上と愉快な仲間達でも倒す事は不可能では無いとは思うが、ソレにしたって火元国でも極めて上位を占める実力者集団で、少なくとも小僧連の皆では歯の立つ相手では無い。
「実際、出処は一郎の爺ちゃんなの。若い頃に仕留めた素材が国元の蔵にゃぁ山程有るって言ってたから、幾つか売ってもらったのー」
……てか、そんなレア素材を買い取れるだけの銭を出せる辺り、智香子姉上って実はかなり金回りが良いんじゃないか?
思い返して見れば、姉上の買い物に付き合うと小判は勿論、時には大判を纏めて何枚も支払う様な大きな買い物をしている姿を見た事が有る気がする。
流石にそう言う大きな買い物は自由市場では無く、姉上が贔屓にしている口入れ屋や薬種問屋の様なキッチリ見世を構えている所だけだが……。
何方もぱっと見る限りでは決して大店とは言えない見世構えで、其処でそんな大枚が飛び交っているなんて、実情を知らぬ者には予想もつかないだろう。
顧客の多くが実力者だったり相応の腕前を持つ鬼斬者で有る口入れ屋は兎も角、江戸市中でも特に治安が良くない立地に有る薬種問屋は何時強盗が入っても可笑しく無い様にも思うのだが、余程腕の立つ用心棒でも居るのだろうか……。
「取り敢えず、常備薬を一通り用意してくれ。自動印籠が無くても薬は必要だしな」
深く考えると色々怖い想像に成りそうなあの見世の事から思考を反らし、本来の目的を済ませるのだった。




