三十九 志七郎、婚礼事情を知る事
「まぁ、お主に原因がある訳ではおじゃらぬが……発端はお主の上げた武名でおじゃる」
朝食を終え、事の顛末を教えてくれそうな家族――信三郎兄上に問いかけた所、そんな答えが返って来た。
五つに成ったばかりの子供が上げた成果としては破格過ぎるそれは、猪山藩が流した一種の示威、喧伝行為と捉えられたと言うのだ。
『武勇に優れし雄藩の、とは今昔。齢五の若駒に下駄を履かせて喜んだ』
これは義二郎兄上に見せてもらったものとは別の瓦版に乗っていた文句だ。
そしてこれを読んだ一部の大名子息が『猪山藩は衰退し始めている』と判断し、将軍が側にと望んだ美姫を嫁に、猪山より格上である家が援助と共に申し出れば……と考えたらしい。
その結果、ここ数日で姉上に持ち込まれた縁談は10を超え、姉上の気を引くためと思われる投げ文もかなりの量に成っているという。
だが、ここで問題と成るのが義二郎兄上と礼子姉上の年齢である。
男子は二十歳、女子は十五歳が適齢期とされているこの国では、当然姉上に求婚してきているのは二十前後もしくはそれ以上であり、十八歳の義二郎兄上より年上だ。
前世では兄の妻ならば、例え年下でも『お義姉さん』であり、妹の夫ならば年上でも『義弟』だった。
だが、この世界では両者の年齢が重要な事らしく姉上が二十歳の男に嫁げば、十八歳の兄上が『義弟』という事になるらしい。
その上、俺の武名が虚仮の類ならば当然その兄も……、と考えた馬鹿が居た。
「義弟に武勇で劣り、刀とは別の腰の物で雄藩の名を買った、と言われるのは耐えられぬ。故に尋常なる勝負を望む!」
とは、最初兄上に勝負を挑んだ男の弁との事。
無論、挑まれた兄上は「是非も無し」と受けて立った。
これで互角もしくは兄上を苦戦に追い込む事が出来れば、まだ双方とも面子が立ったというものだが、残念ながら兄上は得物を抜くことすら無く素手で畳んでしまったと言うのだから笑い話にしかならない。
そうして兄上に挑みかかる者を片っ端から叩きのめすと求婚者は全滅していた……。
それも姉上に正式な話が回る前に始まり、そして終わったという。
姉上からすれば、自分の結婚話なのだから受けるにせよ断るにせよ、多少なりとも自分の意思を汲んで欲しい。
兄上からすれば、侍として、武人として挑まれたからには堂々と戦う以外の選択肢は無い、それも可愛い妹の婚約者を見定める為、と気合を入れれば片っ端から腑抜けとは話にならない、と言う事らしい。
「正直な所、どちらが悪いと言う話でもおじゃらぬし、双方の心情も解らぬ話でおじゃらぬからのぅ……。誰かが一方に肩入れすればそれも角が立つ……という物でおじゃ。まぁその点、麻呂は元服すれば京の公家に婿入りする事が決まっておじゃるから、ある意味気楽な物でおじゃるがな」
……ああ、信三郎兄上の口調ってそう言う理由なのか。
「しかし、そういう事ですと姉上の婚約者が決まらない限り、二人の諍いは収まらないんじゃ……」
厄介な話である、もし前世でこういうトラブルの仲裁を警察官として頼まれても、民事不介入を口にし関わり合いに成るのを避けていただろう、だがこれは家族の話であり家族とはしっかりと交流を持つと決めた以上は避ける訳には行かぬ事だ。
前に姉上の縁談に付いて母上が話題に出した時には、未だ結婚する気は無い様な事を言っていた気がするが、今日は行き遅れたくは無いと言う、何か心境の変化でも有ったのだろうか。
「そうでおじゃるな……、まぁ麻呂もお主もまだまだ子供で居て良い年齢でおじゃる。こういう大人の話に余計な嘴を突っ込むのはお門違いでおじゃるよ」
そう言って席を立つ信三郎兄上の背を見送りながら、俺は自分にできる事は何か無いか……と考え込続けるのだった。
「全く、厄介な話でござる……」
俺が一人で広間に残り考えていると、説教を受け終わったらしい疲れきった顔の義二郎兄上がやって来てそう言った。
「……上手く負ける事も出来たんじゃないんですか?」
ドカリと音を立て座った彼にそう問いかける。
「挑んできた者の中に、見どころがある奴が居ればそれなりの腹芸をしてやったかも知れぬ。だが、ああも阿呆ばかりではな、ああいった手合を身内に持てばお先真っ暗でござる」
深い溜息を付きながら兄上は滔々と語りだす、その内容はあまりにも酷いものだ。
金を見せつけ勝利と名誉を買おうとするならばまだ良い方で、数人掛かりで闇討ちを仕掛けてくる者や、無関係な者を装い不意打ちを仕掛けてくる者、等など外には出せない手のオンパレードだったらしい。
兄上としては、別にその手の絡め手が悪いとは思わないが、それだけしても彼に武器を抜かせることすら出来ず、尚且つ斬新な手口が一つも無かったと言う事が問題らしい。
知謀知略に優れ、彼を追い込むことが出来ればそれはそれで優れた才だと言うのだ。
だが一部の瓦版屋が面白おかしく書き立てたゴシップを真に受け挑みかかって来た時点で大間抜け、そしてその失点を挽回できる程の策を弄する事が出来たものは誰一人として居なかった。
「武勇だけで世の中回っておらぬ、確かに我が猪山は武勇に優れし雄藩と謳われておるが、武芸のみを重んじ他の才を軽んじておる訳ではござらん。むしろ将は武勇優れし猪武者よりも知謀知略に長けた者の方がよかろう」
「それならば兄上に非は無さそうですが、どうして姉上はああも怒ってるんでしょう」
「どうやら、それがしはやり過ぎた……と言う事のようでござる」
流石に有象無象の馬鹿共をあっさりと畳んでしまった事で、兄上や俺の武勇が虚仮威しの類ではないとは広く知られたらしいが、それはそれで同じく姉上の婚期を遠ざける物と言えるそうだ。
姉上の夫になれるのは、義二郎兄上よりも腕が立つ、もしくは兄上より年下で尚且つ姉上と同じ年から年上と言う非常に狭い範囲に限定されると言う。
姉さん女房の類が無いわけでは無いが、これは政略結婚かもしくは行き遅れた娘を格下の家に押し付ける、と言ったパターン以外にはまず無い事のようだ。
庶民は兎も角、武家公家階級では恋愛結婚は極々稀な事らしい。
「此度の件が無ければ父上や、礼子の判断で如何様にも出来たであろうが……、少なくともそれがしと互角以上に闘えねば、馬鹿共の家が黙っておらんだろうな」
兄上に挑んで負けてその上で生きている事自体は、兄上の勇名は既に十分高いこともあり、あれに負けたのは仕方がない、といえる範疇らしいが、下手な相手に嫁げば、今回の件で袖にされたと思っている連中の面子をも潰す事になる……と。
「兄上と互角……桂殿、などどうでしょう」
俺の知る数少ない知人で兄上と互角以上に闘えそうな人物の名を上げてみた。
兄上が江戸で一番強い、と言う事は無いとは思うのだが、我が藩で一番強いと言うのは揺るぎない事実らしい。
その上で『武勇に優れし雄藩の』と自他ともに認めている様子を見るに、上から数えた方が早いのは間違い無さそうだ。
「あー、あやつならば確かにそれがしとは互角の勝負が出来るし家格も問題ない。だが、残念ながらあれは既婚者だ」
長男ならば殆どが10になる前に許嫁を宛行われるのが普通なので、二十歳前に結婚しているのは珍しく無いらしい。
我が家の仁一郎兄上も俺は会ったことが無いが許嫁が居るらしく、彼が望めば何時でも結婚は出来るらしい。
となるとあと俺の知る限りで義二郎兄上といい勝負が出来そうなのは……
「鈴木……はどうでしょうか」
「ふむ……悪くないやも知れぬ。父上に申し出てみるか……」
顎に手を当て少しだけ考えると、真顔でそう答が返って来た




