四百六 志七郎、色事を思い不安を噛み潰す事
俺が連れ帰る事に成った二人の少女、『蕾』と『忠』
彼女達の事は結局母上に丸投げしただけで、何かをしてやった事は今の所何も無い。
拾ってきたのが俺なのだから、彼女達の生活その他経費は俺が稼いで来るのが筋だと思っていたのだが……
「この娘達は猪河家で確りと躾けて、然るべき所へ嫁がせます。その際に我が家として十分利益が出るで有ろう選択をするのですから、その経費は家から出します。それに自らの小遣いは自身で稼ぐのは、我が家の子と成ったからには皆同じです」
と俺が負担するのも、ソレはソレで筋違いなのだと、母上に窘められる事に成った。
「まぁ、お前が娶ると言うので有れば、相応に払ってもらうけれどもね? 何方か……それとも両方、欲しいので有ればそうなる様に躾けるから早めに言って頂戴ね?」
正直この歳で、将来を決めろと言われた所でピンと来る物では無い。
いや幼馴染同士が淡い恋心を交わし、歳を経ても尚心変わりせず、そのまま結婚なんて事が無い訳では無いだろうが……。
それにしたって今の俺には彼女達に対して子供に対する『保護欲』の様な物は抱けども、『恋愛感情』や『性的欲求』の様な物は全く無い。
と言うか、一応中身は三十半ばを回った大の大人だと言う意識は未だ完全に消えた訳では無い。
その俺が十にも成らぬ子供相手にそんな感情を抱く様では本吉を嘲る様な事は出来ないだろう。
もっとも奴は幼気な少女の『絵』を好むと言うだけで、実在の幼子に手を付ける様な真似はして居ない……そんな事をしていたならば友人関係ご破算にしてでもキッチリ俺が豚箱にぶち込んで居た筈だ。
幼女趣味狸の事は取り敢えず置いておいて……将来の事は兎も角、今現在の段階では俺自身肉体的に幼い事も有ってかそう言った感情とは今の所無縁で有る。
歌や花さん相手に、興味津々な態度を顕にしていたぴんふ辺りの事を考えると、そろそろ俺にもそう言う感情が芽生えても可怪しく無い気もするが……まぁ深く気にしなくてもその内来るのだろう。
流石に前世の自分が何時頃その手の事に興味を持ったかなんて覚えちゃ居ないしな。
中には小学校入学前から助平と揶揄される者も居れば、逆に高校や社会人に成ってもその手の事を忌避する様な者も居たし、その辺はやっぱり個人差が大きい事なのだろう。
ちなみに芝右衛門は前者――対象は同級生では無く、母性溢れるタイプの保育士さんや女教師だが――で、本吉は比較的後者に近くある程度の年齢に成ってから幼い頃のニアミスを思い出し、何故もっとじっくり見て置かなかったのかと悔やんでいた記憶が有る。
ほぼ一緒に育った筈の俺自身にはそう言ったイベントが発生した記憶が無いのは、やはり個人差と言う奴なのだろう……。
兎角、未だ我が息子が小便を足す以外の使い道は無いのだから仕方が無い。
「今の所、間に合ってます。と言うか、幼女趣味は無いので、今の段階の彼女達を見てどうこうなんて思えませんよ」
下手に誤魔化す様な台詞を吐けば、ソレはソレで問題を呼びそうな気がしたので、素直に思う所を答えたのだが……
「あら、そーぉ? でもねぇ……貴方の中身と同年代の嫁が欲しいってのは勘弁して頂戴ね? 幾ら『姉さん女房は金の草鞋を履いてでも探せ』とは言うにしたって、限度って物が有るんですからね?」
武家社会に置ける結婚は恋愛の延長線上に有る物では無く、血筋を繋ぐ事こそが第一なのだ。
高齢出産が危険だという事は根拠は兎も角、経験則としては浸透している物らしく、やはり初婚初産は若い方が良いとされている。
勿論、若すぎればソレはソレで危険だと言う事も理解されているので、例え遊郭で有っても禿に手を付けるのはド外道の所業とされているらしい。
女性は十四から遅くとも二十歳までが適齢期とされている世界なのだから、四十絡みの嫁と言うのは、母上としても勘弁して欲しいと思うのは無理ないだろう。
「まぁ、あの娘達の事は私に任せて頂戴な。睦も妹が出来た見たいな気持ちで面倒見てくれてるしね。貴方は貴方のやるべき事を第一に考えなさいな、何やら義父様がまた悪巧みしている見たいですからね……」
そう言いながら、憂いを帯びた艶っぽい表情で溜息を吐く母上を見ても、妙な衝動が沸き起こる様な事が無い所を鑑みれば、少なくとも熟女に惹かれると言う性癖は無さそうだ。
にしても御祖父様は風来坊と言う言葉がしっくりと来る様な生活をしており、此処暫くは顔を見た覚えが無いのだが、母上は何処でそんな事を知ったのだろうか。
そんな疑問は残る物の、母上が口にした善意は有難く頂戴する事にして、俺は深く頷き肯定の意を示すのだった。
「おう、志七郎。丁度良い所に来たな! ちょっくら面かせや」
朝食を終え偶には練武館に顔を出そうかと思い、玄関を潜ったその時だ。
何時の間に江戸へとやって来たのか、旅装では無い着流し姿の御祖父様が、姿を現すと同時にそんな台詞を口にする。
「別に急ぎの用事が有る訳じゃないし、御祖父様に付き合うのは構いませんから、猫の子見たいに摘み上げるのは辞めて貰えませんか?」
逃げられては困る事でも有るのだろう、御祖父様は襟首を引っ掴むと俺の返答を待つ事すらせず既に歩きだしていた。
「逃げ無ぇなら離しても構わねぇが……本当に逃げ無ぇだろうな? 逃げたら痛いじゃ済まさねぇぜ」
孫に言うべきでは無い念の推し方をする辺り、どう考えても厄介事を持ち込まれているのだろうが……。
「彼我の戦力差を理解出来ない程馬鹿じゃ無いですから。真正面からの斬り合いならばまだしもなんでも有りで御祖父様に勝てるとは思いませんよ……」
相手は『悪意に於いて敵う者無し』とまで謳われる人物だ、逃げようとした瞬間に何らかの罠に嵌められるか解った物では無い。
「ッチ……なんだ詰ん無ぇ。今日は落とし穴の一つも用意して無ぇし、逃げられたら逃げられたで面倒臭かったから、素直に来るってんならその方が良いんだけどな」
さらっと落とし穴とか言い出すんだから、用意して無いと言う台詞も全くもって信用が置けない……本当に嫌な予感しかしないが、
「後先考えず楽しく暴れる事を優先する義二郎兄上と一緒にしないで下さい、此処で逃げた所で問題の先送りにしか成らないでしょ」
猫の子の様にぶら下がったまま、溜息混じりにそう言葉を返す。
「まぁ、そんくらい頭が回る方が色々と都合が良いわな。野火ん所の兄弟やら桂のお嬢ちゃんやらとの付き合いを見りゃ、面倒見が良いのも間違い無ぇ。うし……コレなら最低限の問題は回避出来そうだぜ」
御祖父様はそう言い放つと、様々な感情が入り交じった様な何とも言えぬ笑い声を上げ手を放す。
「んじゃ、まぁ行くかぁ。あんまり向こうさん待たせておくのもアレだしな。とっとと行って顔合わせして、貰ってくるとすっか」
此処最近の流れや、つい先程の母上との会話を思い出すと……その先に待ち受けているのは茨の道どころの騒ぎでは無い気がする。
真逆とは思うが、縁談とか許嫁とか御見合いとか……その手の話では無かろうか?
「ちょ、一寸待って下さい。俺はコレから何処へと連れて行かれて、誰と会うんですか? 貰ってくるって、一体何の話なんですか!?」
慌てて御祖父様の顔を見上げそう問いかけると、
「ん? なーいしょ! 着けば解る事だからな、まぁ楽しみに待ってろや」
悪戯が成功した子供の様な笑みを浮かべ、そんな言葉を吐いたのだった。




