四百一 志七郎、理不尽を思い運命を知る事
溜息と共に胸の奥に湧いた殺意を吐き捨て、隣に座る狸気取りの馬鹿から意識を切った。
帰る前に兼無様に確認して置かないと行けない事が有る。
「……あの子が何故あの様な有様だったのか、多少なりとも聞き出せたんですか?」
妖怪『宝箱』の中身に付いては諸説有り『戦場で命を落とした者を喰らい、その所有物が入っているのだ』と言う話が有力とされては居る。
だがソレが正しいとするならば、宝箱一つに付き必ず一つの物、乃至は同種の物一揃いでしか入っていない説明が付かないし、今回の様に生きている者が入っているのも可怪しな話と言う事に成るだろう。
宝箱に食い殺されたなんて話が無い訳では無いが、ソレは箱化けと言う別の妖怪の仕業だと言われている。
まぁ宝箱の中に生物が腐らずに入っていたなんて事も有れば、中に別の妖怪が潜んでいたなんて話も有るので、その正体は現状限りなく謎に近い物だったりするのだが……。
そんな謎の塊の様な宝箱の中から神隠しに遭った子供が出て来るなんてのは、過去世持ちの子供が生まれてくるのと同程度には珍しい事では有るが、全く聞かない話と言う程では無かったりする。
多くの場合、行方知れずに成ってから何年もの時が過ぎてたとしても、最後にその姿を見られた時と寸分違わぬ姿で見つかるらしいので、恐らくは宝箱自体にその中身の時間を止め保護する能力でも有るのだろう。
妖怪は自然界で生きているとは思えぬ、生態学と言う言葉に真正面から喧嘩を売っているとしか言えない存在が多々見受けられるが、宝箱はその中でも飛び抜けていると言えるのではなかろうか?
人間とは相容れないとは言え独特の文化と社会性を持ち、その大半が異世界からこの世界樹の盆栽を侵略する為の尖兵だと言う事を考えれば、鬼の方がまだしも理解出来る気がする。
兎角、そんな中から出て来たあの子が、数多の騒動を見てきた桂殿がドン引きする様な有様だったのだ、只の神隠しと言う事は無いだろう。
「まぁ……な、だが所詮は子供の言う事った。ソレが丸っと事実たぁ言い切れねぇやな。んだもんだから、ウチと取引の有る忍者に裏取りを頼んだんだが、厄介な話しか出てこなかった訳だ……」
扇子で己の手を打ちながら、人を食った様な笑みから苦虫を噛み潰した様な顔へと表情を変えつつ、今一つ頼りない口調で兼無様はそう言った。
あの忠と言う子から聞き出した話を元に名うての忍が調べた結果……彼女の父、根津見甚八は既に亡く、彼女の母もまた命を散らして居た事が解ったらしい。
様々な状況証拠から、何者かに拐かされたあの子を人質に盗られた両親は、無理な仕事を強要されその中で身も心もボロボロに朽ち果て、そして母が倒れ……それから父が自爆して果てた、そんな推測がされていた。
「……これはお主らが猪山の者だから明かすが、他所には言うんじゃねぇぞ。どうやらあの子供の両親は幾つもの大藩を揺るがした事件の下手人らしい」
声を潜め指折り語る事件の大半は世間に秘されているのだろう、噂にも聞いた事が無い物ばかりだったが、その内の二つには間違い無く覚えが有った。
屍繰りと生き屍を相手取った夜、無残にも皆殺しにされた富田藩邸の事件。
そして俺自身が巻き込まれた浅雀藩の跡目争いに端を発した襲撃事件。
ソレら事件全ての実行犯で、りーちを亡き者にする為に襲い掛かり、そして俺諸共に自爆して果てた……あの忍術使い。
あの者こそが多古八忍衆が一派『胡女忍軍』の元頭領、根津見甚八その人だったと言う……。
「その話が間違い無いのなら、俺はあの子にとって親の敵って事じゃないですか。ソレを猪河家に預けるとか、冗談にも成らないと思うのですが……」
頬が引き攣り震える声を抑えながら何とかそう言葉を発する。
黒幕の存在は兎も角として考えるなら俺は十分仇討ちの対象だ。
何処ぞの大英雄でも有るまいし、自分の首を狙う輩を配下に置いて重用する様な度量は残念ながら俺には無い。
……命を狙われた経験が全く無い訳では無いが、それでも刺客が直ぐ側に居ると解っている状況で高鼾をかいて眠れる程、図太い神経は持ち合わせて居ないのだ。
「いや……志七郎様、流石にそりゃ無いですわ。武士には武士の誇りと面子が有る様に、忍には忍のソレが有りますから。幾ら幼子とは言え、手前ぇが虜と成った結果の事で志七郎様を逆恨みする様な躾はしてない筈でさぁな」
しかしそんな俺の心配を、笹葉はあっさりと否定する。
武士が家名を大事にする様に、忍は情を殺して己の役目を果たす事を至上とするのだと言う。
「でもさ……子供を人質に取られて悪事の尖兵にって……思いっきり情で動いてるじゃないか……」
富田藩の一件だけでも故無く多くの命が奪われた訳だが、それが自分の子供を救う為と言うならば、肯定する事は出来ないが理解は出来なくも無い。
「いやいや流石にあの子にゃぁそんな話ゃしてや居ねぇよ。つか十にも成らねぇ子供に、手前ぇが原因で両手両足合わせても足りねぇ様な数の命が消えた、なんて突き付ける様な無体な真似をするかよ。親がくたばったってだけでも重いのによ……」
あの子自身から聞き取ったのは、自分が人質に成った所為で両親が抜忍と成った事と、その後『謎の黒幕』の指示で何らかの任務に当たったと言う事まで、だそうだ。
「子供に対する気遣いって言うのであれば、俺にもそんな話はしないで欲しいんですが……」
聞いていなければ隠す様な気遣いは必要無い訳で、お忠ちゃんとやらがウチに来たとしても大した負担なく付き合う事が出来ただろう。
知ってしまった今でも知らん顔をして対応する位の腹芸が絶対に出来ないとまでは言わないが、未だに気を抜くと思考が顔色に出てしまう癖が抜けないこの身体での隠し事は今一つ不安が残る。
「尋常な小僧ならそりゃぁ気遣いも必要だろうが、お前ぇさん見たいなぶっ飛んだ奴に気遣いなんて必要無ぇだろ。それに……この辺で一つ釘刺して置かねぇと、これから先どんだけ迷惑掛けられるか解った物じゃねぇかんな」
勘定奉行と言う役職上、江戸で何か騒動が起こればその後始末をする為の費用を捻り出すのは当然ながら兼無様の役目で有る。
勿論、責任者の立場で有る御奉行様本人が右往左往して金策に走り回る訳では無いだろうが、それでも不要な仕事が増える事に成るのは間違い無い。
そしてどうも兼無様の中で俺は義二郎兄上以上の騒動屋だと言う認識が有る様だ。
「……前に上様の御前で見た時にも只の小僧たぁ思わなんだが、こうして間近で顔を合わせて確信したぜ。お前さんは鬼二郎見たいに喧嘩上等が服着て歩いてるのたぁ違う……が、悪意無く大騒動の中心に居るってのは同じだ」
たった今顔色を隠す事を考えていたと言うのにまた表情に出ていたのか、そんな言葉が投げつけられた。
「唯でさえ加護持ちってなぁ、その功績を神に捧げる為に騒動に巻き込まれる運命に有んだ。当代の猪山にゃぁソレが七人も居るんだぜ? 流石にお前さんで打ち止めだろうが大トリが大人しい筈がねぇわなぁ」
幕府重鎮が諦めにも似た表情でそう言い切る以上、これからも大騒動の中心に俺が居るのは、ほぼ確定なのだろう。
せめて少しでも被害を小さくする努力をしてくれ……口には出していないが、そんな言葉をその表情から読み取る事は、きっと前世の経験が無かったとしても理解出来たのでは無かろうか?




