四百 志七郎、我が家の格を知り悪意を感じる事
「つまり本来払うべき根津見某は既に亡く、流派の跡目を継いだ者はその支払を拒否した……と、そう言う事で良うござんすか?」
翌日朝一から俺は猪山藩当代江戸家老の笹葉木市と連れ立って、勘定奉行兼無様の邸宅を訪ねていた。
今だ前世の常識を引きずっている所為だろうか? 先ずは窓口と成る役人に話を通すべきで、いきなり御奉行に捩じ込む様な真似は悪手だと思ったのだが、小藩とは言え上様を御育てした実績の有る猪山藩は、木っ端役人が相手にするには荷が勝ちすぎるのだとか。
まぁ……事と次第に依ってはお上どころか上様に訴えたり、腕力に訴えたりする事も有り得るのだから、家格で応対してくれる相手が変わると言うのは理解出来ない話でも無い。
そう言えば、以前我が家に家宅捜索が有った時にはその責任者として態々老中の増平様ご本人が出張って来た事が有った。
あの時は一種の治外法権地で有る藩邸への家宅捜索なので、猪山藩の面子を立てる為にお偉いさんが出て来たのだと思ったが、どうやら少なくとも上様が隠居し新しい征異大将軍が就任するまでは、猪河家と言う家は幕府にとっても軽く扱う事が出来ない物らしい。
それ故、多々の賂を用意して列を成す陳情者の群れを脇目に、俺達は待たされる事無く座敷へと通され、御奉行様ご本人が態々説明を買って出てくれたと言う訳だ。
尤も、木っ端役人相手で有れば腕っ節で帳消しに……と言う手段を取りかねないのと見られて居る可能性も捨てきれないが……。
兎角、兼無様の言を聞き冒頭の言葉を返したのは笹葉だった。
その話に拠れば、身元が判明した時点で桂殿は聖歌使いに解術を依頼し、その請求をあの子供の保護者へと回したのだが、返って来たのは
『先代は誰に何を言うでも無く妻子と共に逐電し既に音沙汰無し。故に当方にとってその者は抜忍に過ぎず、その銭を支払う謂われ無し。追い忍を出さぬだけでも温情也』
と言う、全く期待には添えぬ内容だったらしい。
そして悪い事にその返事が戻って来た時には、解術の儀式は始まっており既に中断する訳にも行かない段階へと入っていた。
当初は先走った対応をした桂殿が責任を負うと言ったらしいのだが、他の同心達ならばまだしも鬼斬奉行の息子として大鉈を振るう立場に居る事が災いし、ソレをしてしまうと奉行所の威信に関わると制止が掛かったのだ。
「流石に丸っと全部、引っ被れたぁ言わねぇさ。ただ……まぁ、表向きは拾ってきた鬼斬童子が全部支払ったって事にしてくれた方が色々と都合が良いんだわ。勿論、その分別で埋め合わせはするからよ……頼んまぁ」
手にした扇子で自らの額を叩きながら、軽い調子でそう言う兼無様。
絢爛豪華……と言うか、悪趣味な成金趣味にしか見えない金綺羅金の豪邸に住む割にその装いは侘た物で、幕府の財政を取り仕切る重鎮と言うよりは粋な噺家と言った風情に見える。
とは言え、その腹黒そうな笑みはその立場通り、身に纏った生成りの長着が紫色に染まって見えそうな物では有るが……。
「そう成りやすと……んー。来期の献上品から差し引くってんじゃぁ藩の体面に関わりやすし……。良うござんす、そしたら次に家の者が何か手柄を上げた時にゃぁ、その分褒美に色を付けるってなぁ話でどうでがしょ?」
相対する我が家の外交責任者も顎に扇子を当てて少しだけ考え込むと、パッと広げたソレで口元を覆いそう返すが、正直な所その腹黒そうな笑みは全く隠れていない。
良くも悪くも脳筋揃いで純朴な気風の者が多い我が猪山藩にも、こう言う腹芸に長けた男が居る事を知り思わず息を呑む。
その黒い笑みを隠そうとして隠しきれていない辺り狐狸の類には程遠いが、ソレはソレで猪山らしいと言えるのではなかろうか?
ただまぁ……
「お主も悪よのう……」
「いえいえ御奉行様には敵いませぬ……」
この時代劇のお約束としか言えない会話だけはどうにか成らないのだろうか……
その後、額面に関する細かな交渉の末、合意に至った二人はそんな台詞を口にして互いの手を取り合うのだった。
「んじゃ件の子は引き取り手が居らぬ以上、猪山が貸し付けたと言う体にして引き取ってくんな。その後放逐するも、返済の為にこき使おうとそりゃそっちの自由って事でよ」
兼無様は己の額を扇子で叩き、下卑た笑みを浮かべそんな台詞を言い放つ。
「んでは、志七郎様付きの小姓見習いって事にしやしょうか。聞いた所年の頃も近い様ですし、幾ら猪山が独立独歩の気風が強いたぁ言え、お付の一人も居ないってのはみっとも良い話じゃぁ無ぇですしな。忍術使いだってんならお誂え向きでしょうよ」
打てば響くとばかりに一瞬足りとも考える素振りすら無く、笹葉は即座に俺へと丸投げしやがった。
「いやいやいや! 兄上達にだって専任のお付なんて居ないじゃないか! なんで俺だけ!」
いや前世には部下を持った事も有れば、ソレを指揮して幾つもの事件を捜査してきたのは事実だが、だからと言って今生のこの歳で人の人生を背負う立場には成りたくは無い。
それに俺はその内、家を出て死神さんの名を探す旅に出るのだ。
折角気楽な一人旅が出来るだろう未来に、余計なお目付け役等付けられてはたまらない。
「仁一郎様には拙者が居りますし、信三郎様には京の安倍家から出向した者が合流している頃でしょう」
だがそれも即座に否定された。
「礼子様が何処か行く時には必ず中間連中が同行していやしたし、智香子様も出掛ける時には誰か彼かちゃんと連れてってまさぁ。睦様には家内かその元同僚が大概一緒だし、一人で出歩くのは志七郎様だけでさぁな」
と兄弟姉妹全ての外出に付いて言及されてはぐうの音も出な……アレ? 普通に義二郎兄上に付いては何も言っていないが、それは兄上が既に他家へと婿に出て我が家の一員では無く成ったからだろうか?
「……生半可な者で義二郎様に付いて行けるとお思いで? 一郎の爺様が隠居した時点で匙投げますわ」
余計な人死は出したく無い……と、能面の様な表情で言い放つ辺り、騒動屋揃いの我が藩でも群を抜いた問題児だったのだろう。
その口ぶりから察するに一郎翁が居た頃でも様々な大騒ぎを巻きおこし、笹葉家先代や母上の手を煩わせていたのは想像に難くない。
と言うか『あの一郎』翁の事だ、面白がって火に油を注ぐ様な真似すらしていても可怪しくは無いのでは無かろうか?
良くも悪くも他家の人間と成ってくれたお陰で、肩の荷が下りたとすら本気で思ってそうだ。
「いや鬼斬童子殿の付き人はもちっと別の……ちゃんとした大人を立ててくれや。そんな歯止めにも成らなそうな子供じゃぁなぁ……ぶっちゃけ鬼二郎より洒落に成らん遣らかし屋じゃねぇか」
極めて不本意な内容では有るが、兼無様がそんな助け舟を出してくれ……
「……ソレにありゃ女だぜ? 流石に未だ色気付くにゃぁ早すぎんだろ。どっちもよ」
たと、思ったらあっさり爆弾を投げ込みやがった。
「他所の世界から連れ帰った鬼の姫と言い、今回の娘と言い、志七郎様にゃぁ『すけこまし』の才が有るんじゃねぇですかねぇ。若い……てーか幼い癖にお盛んなこった」
間髪入れず呆れ混じりにそう言い放つ笹葉。
俺、此奴叩き切っても良いんじゃねぇかな? 無礼討ちって事で……




