三百九十八 志七郎、宝を持ち帰り色々達観する事
正直勘弁して欲しい、そんな事を思いながら一瞬天を仰ぎ見る。
『荒縄で縛られた子供』なんて物を見つければ前世の自分ならば、躊躇する事など無く即座に縄を切りその安否を確かめただろう。
普通に考えるならば、その姿は幼児虐待の結果か、それとも略取若しくは誘拐か…兎角この子が被害者だと言う事以外は有り得ない。
だが時にその姿を偽り人を惑わす化物共が跳梁跋扈するこの世界では、たとえ相手が無害な子供に見えたとしても油断して良いと言う事には成らず、この子を助けるつもりでその結果余計な危険に身を晒す事にも成り兼ねないのだ。
とは言っても何でもかんでも疑っていては、本当に助けを求めているかも知れない者を見捨てる様な結果に成る事も有り得る訳で……其処は『見抜く目』を鍛える他無い。
些細な違和感だけでも直ぐに身を躱せる様、心構えだけは確りと持って再びそちらを見れば、ほんの一瞬視線を切っただけだと言うのに既に『箱』は姿を消しており、芋虫の様に全身を縛り上げられた子供が転がっているだけだった。
いや……ただ荒縄を無造作に巻きつけているだけでは無い、縄に何本もの黒い紙垂が付いており、その間には何枚もの木札が差し込まれている。
ざんばら髪に隠れ見えなかった顔にも、ソレを覆い隠す様な大きな紙札が貼り付けられており、ソレらを総合してみれば、只の子供では無く鬼や妖怪の類を封印している様にしか見えないのだ。
飾る事の無い本音を口にして良いので有れば、見なかった事にして箱の蓋を閉じ、埋め直してさっさと次の獲物を探しに行きたい所なのだが、流石にこうして見つけてしまった以上は完全放置と言う訳にも行かない。
取り敢えず、ソレら封印措置と思わしき物に手を触れない様注意しつつ、首筋に手を当てて呼吸や鼓動、体温の有無を確かめる。
うん、取り敢えず生きては居る様だが……?
吐息は不自然な程に長く、脈打つ拍子も極端に間が開いている様に思えた。
これが意味する所は解らないが、このまま放置して良い物では無い事だけは間違い無さそうだ。
この子が何者にせよ、見つけた以上は連れ帰らない訳にも行かないし……かと言ってコレを開放してその正体が大妖怪だったなんてのも、勘弁して欲しい。
「仕方が無い、まぁ最低限必要な分の肉は手に入った事だし……今日はこの辺で帰るとするか」
注連縄や札が外れない様に注意しつつその子を四煌戌の鞍に載せると、俺は手綱を取って遠駆要石を目指し歩を進めるのだった。
「コレは『遅延封印の札』だろう、忍びの者が扱う事も有った筈だが、それ以上に妖術に長けた化物が使う事の方が多い術……恐らくこの子供が妖かしの類と言う事は無かろう」
鬼斬奉行所へと戻った俺は見知った輝く頭を見つけ、早速面倒な戦利品に付いて相談を持ちかけ、そして返って来たのは上記の通りの言葉で有る。
その言ではこの子に掛けられているのは、対象の行動や反応速度を極めて遅くする為の術で、戦闘中に喰らえばその身のこなしは鈍亀にも劣る物となり、意識加速を酷使しても尋常な立ち振舞いをする事すら出来ぬ様に成ると言う厄介な物だった。
そんな物が身体に巻き付けられた木札や顔に貼られた紙札の枚数分重ね掛けされているのだから、一寸眠ったつもりで数年が経っていても可怪しくは無いだろう……と苦虫を噛み潰した様な表情で桂殿は言い放つ。
「此程変質的なまでの重ね掛け一体如何なる故有っての事か……しかしその場で無理矢理開放する様な事をせなんだのは正解だったな。この手の術は慎重に解除せねば、色々と厄介な事に成ると相場が決まっておる、今父上を介して聖歌使いを呼ぶ故、暫し待て」
以前お花さんの授業で、永続的な効果を発揮する様な術と言うのは極めて稀で、妖刀の呪いや、その生命を賭した呪い等、特別な物でない限りは長くとも三分程度で効果を失うのが普通だと教わっていたが……どうやらこれはその珍しい例外に該当するらしい。
兎角、桂殿が出勤していて本当に助かった。
幾ら宝箱から出て来たモノとは言え、こんな状態の子供を担いで帰れば色々な風聞を生みかねない。
勿論、他の奉行所職員が妙な誤解をするとは考え辛いが、他所の戦場から戻って来た鬼斬者達の口にまで戸は建てられない。
だが良くも悪くも江戸屈指の騒動屋だった義二郎兄上の後始末をし続けていた桂殿。
彼が対応を始めただけで『異常』は『日常』と成り果て、誰もわざわざ目を止める様な事はせず、
『また何時もの面倒事か、巻き込まれては堪らない』
とばかりに、他の職員の所でさっさと清算を済ませては逃げる様に帰路へと付く……まぁ実際逃げているんだろう。
以前読んだ『鬼二郎武勇譚』の中には、偶々通り掛かった鬼斬者を無理矢理巻き込む様な話が幾つも有った筈だ。
江戸の若手武士の中では最強格の一人に数えられる桂殿は、そうした事件のほぼ全てに関わって居た事も有って、鬼斬奉行所に着任した当初から『騒動担当』の役目を担っているのだと、義二郎兄上から聞いた覚えが有る。
それ故、江戸に住む古株の鬼斬者達は、必要が有れば即座に彼を頼るが、必要が無ければ絶対に近づいては行けないと理解しているのだ。
まぁ中には江戸に来たばかりだったり、自信過剰で怖いもの知らずな若者が居ない訳では無いが……幸い今日はそう言った馬鹿の姿は無い。
「しかし本当に猪山の者達は皆『騒動の神』とでも言うべき者にこよなく愛されて居るな……つい先日も女鬼絡みで大騒ぎが有ったが、アレも猪山の若い衆が発端だった筈」
なにそれ? 聞いてない。
一騎打ちで打ち倒された女鬼は、自らを打ち倒した男の下に嫁入りすると言われている。
基本男余りで女の少ない江戸では、余程巡り合わせが良いか好条件な男で無ければ、嫁を得る事は難しく、女鬼が出たと言う話が有れば嫁が欲しい鬼斬者が命を賭してモノにしようと動くのだ。
とは言え、普通は発見した者が挑み負ければソレまで勝てば嫁入り……で、その情報が表に出ると言う事はまず無いのだが、今回発見した猪山藩の者は既に婚約者が居り、女鬼に挑む事自体が浮気と見做されかねない……と言う事で挑まずに帰って来たらしい。
そして女鬼発見の報を此処鬼斬奉行所でぽろっと漏らし……結果、女鬼争奪戦を勃発させる事に成ったのだと言う。
何時の時代も何処の世界でも、女を奪い合う争いと言うのは醜い物で、放置すれば決して少なくない数の鬼斬者が命を落として居た筈で有る。
ソレを差し止めたのは誰でも無い桂殿で該当の戦場へ通じる要石を封鎖し、聖歌使いを呼んだ上で挑戦権を賭けた木刀試合を開催したのだそうだ。
だがその試合は準々決勝まで行われた時点で、突然終了を迎える事と成る。
その情報が届くよりも先に戦場入りしていた者の一人が見事女鬼との一騎打ちを制し、彼女を江戸へと連れ帰ったのだ。
「それ勝ち残ってた連中納得したんですか? どう考えても血を見る案件だと思うですけど……」
その場を収める事が出来たとしても、その試合を取り仕切った桂殿や、嫁を得たと言う鬼斬者辺りが恨みを買い、闇討ちなり何なり起こっても可怪しくは無いのではなかろうか?
「そんな物実力で黙らせたに決まっておる。勝ち残っていた全員纏めて畳んでやったわ」
高笑いでそう言う彼は、本当に義二郎兄上の親友なんだなぁ……と、俺はそう無理矢理納得し、ただ黙って聖歌使いがやって来るのを待ちながら四煌戌にオヤツを投げ与えるのだった。




