三百九十二 志七郎、祝い膳を食い婚活女子を祈る事
夕餉の膳は普段の一汁三菜とは違う豪華な物だった。
質実剛健を旨とし無駄な贅を嫌う我が家では、量こそ大食らいの義二郎兄上を始め育ち盛りの若者達が十分満足出来る程に用意するが、その品目が増やされるのは祝い事や何らかの儀式など相応の理由がある時だけだ。
明日には父上が国元へと戻るらしいのでそれが理由かとも思ったのだが、三年前はこんな特別料理が出た記憶が無い。
その献立は『鰤の酢味噌和え』『海老と里芋の煮付け』『鴨と蕪の甘煮』『鯖と菜種の焼き物』『焼き車海老』『里芋の揚げ物』『香物』『焼き海苔のお吸い物』の一汁七菜。
品数も料理の内容も普段とは比べ物に成らない、手間と銭が掛かっているのがひと目で解る内容だ。
更に普段は酒類は自腹で有るが故に、余程の呑兵衛で無ければ夕食の席にソレを持ち込む事は無いのだが、今夜は全ての御膳に小さな物では有るがお銚子が据えられている。
此方には未成年者の飲酒を禁止するような法律は無いが、それでも流石に経験則として子供の飲酒が身体に悪いと言うこと事体は知られており、俺や睦姉上の膳に有るのは清酒では無く甘酒だった。
「では頂くとするかの。皆の者、信三郎の元服祝の膳。態々腕の立つ料理人を呼んで仕立てさせた物だ、心して味わう様に」
全ての者達が席に付いたのを見回し、父上がそう言って箸を取る。
どうやら今夜の料理は睦姉上の手による物では無いらしい。
同時にこの贅を尽くした料理の理由もはっきりとした。
明日父上が国元へと戻る際、信三郎兄上も元服の儀を執り行う為に国元へと向かうのだ。
いや本来であればもう一年早く、去年の内に元服を済ませ、京の都の安倍家で婿入りの為に修行を始めていた筈だった。
「……俺の所為で、待たせて申し訳ありません」
だが俺が異世界へと飛ばされ、界渡りの旅路から何時帰り着くとも解らぬ状況となった事で、父上は国帰りを延期し、ソレに合わせて兄上の元服も延期する破目に成ったらしい。
この火元国の男子は元服の儀式を経る事で初めて『成人』として扱われる、大体の場合十四歳を目処に執り行うのだが、それは必ずという訳では無く、一、二歳程度前後するのも珍しい話しでは無く、中には二十歳を越えても元服を認められない者も居るのだそうだ。
一般の町民や農民で有ればただ家長が成人と認めるだけ良いが、武士として民草を背負う身となる以上、何の試練も無く元服を認める家は少ない。
江戸に本家を持つ直臣家や、領地内に戦場を持たず鬼や妖怪の危険が殆ど無い藩では、ソレが形骸化している場合も有るらしいが、猪山藩は東西南北全方位が強力な化物達の住処で有る。
当然ながらそんな場所に居を構える我が家が平和呆け等する筈も無い。
「なぁに一年猶予を貰えた分、きっちり準備を進める事が出来たでおじゃる。本来で有れば義父上から貰った指南書の内容を読む余裕すら無かった筈でおじゃったからの」
俺の言葉に笑いながらそう答える信三郎兄上、その言葉を信じるならばこの一年で陰陽術を極めたとまでは言わぬ物の、奥義と呼ばれる物の一端に踏み込む程度には腕を上げたらしい。
「うむ……それに弓の腕前も、体術も相応に伸びたからの、昨年初頭の時点で挑ませるのは少々不安じゃったが、今ならば危なげ無く熟せるじゃろ。稽古を十分に積んだならば、あとは実戦経験を経て格を上げるのが強う成るには一番の早道じゃからの」
信三郎兄上の格は現在二十と俺よりも大分低い数字では有るが、一般的な武家の子で有れば自分の年齢と同数位が普通だと言う話なので、俺や義二郎兄上、昼間有った釥殿の方が例外といえるだろう。
「所で猪河家の試練と言うのは何をするんですか? その内俺も受ける事に成る訳だし、後学の為にも聞いておきたい所なんですが……」
書庫に置かれている本は概ね読み尽くした筈だが、其処に試練について記載された物は無かった筈だ。
と言う事は、口伝とでも言う形で代々受け継がれているのだろう。
『武勇に優れし猪山の』と謳われる我が家の事だ、高い所から足に紐を括り付け飛び降りたり、獅子を一対一で倒したりと言う程度の事では無く、もっと危険で悍ましい何かが有っても不思議では無い。
「……ただの間引きじゃよ。我が藩を囲む猪山山中には腐る程鬼の湧く迷宮が有る故、定期的に狩らねば猪山藩だけで無く、周りにも多大な迷惑を掛ける故な」
海老の殻を剥きながら何の事も無い風にそう言う父上だったが、俺はその手が微かに震えている事を見逃す事は無かった。
いや、まぁ……絶対安全で有れば『試練』なんて言われる事は無いだろう。
特に信三郎兄上は、武勇に関して言うならば我が家でも下から数えた方が早い程度の実力しか無い。
「そう心配しなくても大丈夫なの。信君だって猪山の男児、此処一年あっしの依頼で無茶な鬼斬を強要した分強く成ってるの。それに用意した術具も霊薬も十分持たせてんだから、最悪でも死にゃしねーのよ」
それを否定したのは、それまで黙って飯を食っていた智香子姉上だったが、
「……その無茶を他所に押し付けようとして、男に逃げられてちゃ世話ないでおじゃるよ」
皆を安心させる為に言った筈の言葉は、当の信三郎兄上本人からため息混じりに、ばっさり切り捨てられる。
智香子姉上は俺が居ない間、三度見合いをしたのだが、その度に嫁入りの条件として希少な素材を手に入れる様、要求したのだ。
しかもソレは『火鼠の毛皮』に『蓬薬山の優曇華の花の枝』『毒吐き燕の宝貝』と、貴様は何処の月の姫君だ、と言いたく成る様な品目だったらしい。
ただ大きく違うのはこれらは全て実在する物で有り、銭で買おうと思えば一万石少々の藩では財政が傾く程度では済まず、かと言って自力で入手するには困難が過ぎるそんな物である。
『火鼠』と言う妖怪は小さく弱いが、その弱さ故に毛皮を無事な状態で手に入れるのは難しい。
『蓬莱山』は火元国でも上から数えた方が早い程の難関『戦場』の一つで、優曇華の木はその最奥にしか根付かず、花開いている時期も限られている。
『毒吐き燕』に至っては、比較的何処にでも現れる妖怪の割に何処に巣を作っているのか誰も知らず、その吐き出す毒気に中らぬ距離を維持したまま延々と追いかけていかねば成らなかったのだそうだ。
とは言え、それら全て智香子姉上が個人的な物欲で欲した物では無い。
「なーに他人事みたいに言ってるの。信君が無事に突破する為の術具を作る材料だったんだから、駄目なら自分で取りに行くのは当たり前なの。ソレに蓬莱山の奥まで行って帰って来れたんだから、一寸やそっとの戦場なら何とかなるの」
俺が持つのと同じ『自動印籠』を作るための材料で、前回は虎先生が材料を供出してくれたが、彼は義二郎兄上と共に北大陸へと帰ってしまったので、もう一つ作ろうと思えばそれらが必要だったのだ。
「いやいや蓬莱山は完全に格付け詐欺でおじゃろう、然程強い化物は居らず、代わりに道の繋がりが滅茶苦茶で、しかも道中がやたら長いだけではおじゃらぬか。彼処で死ぬるは戦死では無く遭難でおじゃろうて……」
曰く、どれも七面倒臭くは有ったが、手に入れる事自体は決して難しくは無かったそうだ。
「それでも銭を出せば万両は掛かる素材を自力で手に入れてきたんだから、もちっと自分の力に自信を持ってもいいと思うの」
一寸待て、万両って日本円に換算すれば十億だぞ? そんな物要求すればそら破談にもなる筈だ。
「家族思いなのは良いけれど……いい加減にしないと本当に嫁の貰い手が無くなるわ……コレに比べれば、睦の方は早く片が付いて良かったのか悪かったのか……」
信三郎兄上に自信を持てと笑顔でそう言った智香子姉上に、深い深い溜息を吐きながら諦めの表情でそう言ったのは母上だった。
……うん、年収一千万が最低条件とか言い出す行き遅れ婚活女子にだけは成って欲しく無いな。




