三十七 志七郎、指導を受け、波を放つ事
胸の奥から込み上げる熱いモノ、気を抜けば全身至る所から吹き出しそうになるソレを押し留め、血潮が巡るのと同様に体の隅々まで行き渡る事を意識する。
「いい調子です。心の臓から湧き出した氣を身体中に通る経絡を巡らせ、意図した場所へと集めるのです。垂れ流しの氣では大した事は出来ません、上手に運用してこそ斬鉄や刃返しの様な超常の御業となりえるのです」
あの初陣から1週間が経ち、久しぶりに顔をだす事の出来た朝稽古で、俺は武芸指南役の鈴木清吾から付きっ切りで氣の運用を学んでいた。
彼は義二郎兄上を除けば江戸に居る我が藩最強の男で国元にいる彼の父、鈴木一朗はその兄上の師匠であり、未だに敵わないと言わしめるほどの豪傑らしい。
ちなみに俺同様当時5歳だった兄上を戦場へと連れ出したのは先代指南役である一朗だ。
あらゆる武具武芸を使いこなし多くの鬼妖怪を屠り、幕府の将軍や都に居るという帝にすらその名を知られていると言うのだから恐れ入る。
それに対し清吾は二十歳を少し過ぎた程度で若者と言える、年嵩の藩士より腕は経つとはいえ指南役という役目にはまだまだ貫目が足りない、と彼自身が思っているようで立会や指導をする姿を見かけることは少ない。
偉大過ぎる父の後を継いだは良い物の、その愛弟子であり年下の兄上に敵わないという事に引け目があるようで、最初は父上に俺の指導を命じられても兄上に教わる方が良いと固辞していた。
だが、俺が兄上に氣の運用に付いて尋ねた際の
「こう、グッとやって、グワッと来たら、ドリャっと打ち込むだけでござる」
という、説明になっていない説明を聞き、やっと指導者の任を受けてくれる事になった。
なお、初陣からこっち1週間の間稽古に出ることが出来なかったのは、決して智香子姉上が使った術具に問題が有ったわけではない。
小鬼達との連戦、大鬼との激闘、そして慣れない氣の使い過ぎによって、全身が激しく疲弊し、酷い倦怠感と筋肉痛に襲われていたためだ。
姉上が使ったのは『夢見草の香薬』という火元国では古くから使われる霊薬の一種である。
これは対象を一定の確率で眠らせる本来は鬼斬りに使われる薬で、配合する副素材によって望んだ夢を見せると言う物だという。
夢見草――後に知ったが桜の花の別名――と言うのは春に取れる素材で、この時期には数多く出回る霊薬で制作難度は然程高いものではないらしい。
姉上の腕前ならば事故が起こるわけも無いのだが、あの翌朝稽古にも朝食にも出てこなかった俺を心配し、家族の皆が姉上の作ったアイテムを疑ったのをベッドで聞いた時には姉上に対する信頼感が感じられた。
閑話休題稽古に意識を戻そう、余計な思考の所為で氣を抑えこむ力が抜けたらしく文字通り氣が散ってしまっていた。
集中、集中……。
もう一度心臓の音に意識集中し、そのリズムに合わせて少しずつ流れだす氣を体外に出ぬよう抑えこむ。
あの闘いの時は激しく溢れ出す様な勢いが有ったが、今はそれとは比べ物にならない程微量ずつしか氣が生まれてこない、それでも漏らす事無く溜めて行くと、徐々に氣の圧力が高まり抑えこむのが難しくなってくる。
「そうです、その調子です、十分に氣が高まっています。それを拳に集めあの巻藁に向けて打ち出してください」
堪え切れず全身から薄い湯気の様な物が出始めた頃そう指示がでた。
武器を通して氣を運用するのはある程度修練を積んだ段階で行われる事らしく今は素手だが、前世では一応剣術だけではなく逮捕術もそれなりに修練を積んだつもりだ、打撃は決してメインと言えないが出来ないわけではない。
おおよそ二間(一間は約180cm)先にある巻藁に向けて踏み込み拳を突き出す。
拳での打撃の際には中る瞬間に力を込めより強く握りこむのが常道だが、その要領で腕が伸びきる寸前に力を込め氣を打ち出す事を意識する。
パァンっと空気が弾ける音がして巻藁が小さく揺れた。
「おお! 出た! 波が出た!」
威力は大したものでは無いが、前世では出来なかったファンタジーな技に思わずそんな言葉が口を付いた。
おそらくは格闘技を経験したこと無い人間でも、波○拳やか●は●波を真似し、それを打ち出すことを夢見たことはあるだろう、形は違えどもその夢が叶った瞬間だった。
「折角集めた氣が打ち出される瞬間にかなり散ってしまっていますね、内包した氣の量に対して威力が小さすぎます、もっと塊のまま打ち出すことを意識してみてください」
そんな俺の様子に頓着する事無く、冷静にそう言う鈴木はちょっと空気が読めないと思う。
それから20回程拳から氣を打ち出すことを繰り返した。
まだまだ余力は有ったのだが波○拳やか●は●波の様に両手を合わせ打ち出した所、それまでの数倍以上の反動があり、後方へと大きく飛ばされてしまった所で今日の稽古は此処までと判断されてしまったのだ。
「まさかこの短時間で氣翔撃を物にするとは……、流石は鬼斬童子と謳われるだけあります」
氣翔撃と言うのは氣を飛ばして攻撃する技の総称で、素手でも剣を使っても大きな括りとしてはそう呼ばれるらしい。
そして鬼斬童子と言うのは、初陣の一件から瓦版屋によって広められた俺の二つ名だ。
正直、中二病の臭いがプンプンするのその呼び名は勘弁して欲しいのだが、それを否定するのは俺に倒された緑鬼王の名前と誇りをも否定する事に成ると、言われては甘受するしか無い。
『武勇に優れし雄藩の、幼き武士齢五、小さきその身に生命を背負い、正々堂々一騎打ち、見事大鬼討ち果たし、鬼斬童子と名乗りけり』
義二郎兄上が買ってきた瓦版の一文である、俺は決して自分を鬼斬童子等と自称したことは無いのだが、そう書き立てられ江戸中に広まってはもう後の祭りというものである。
桂殿が兄上を呼んでいた『鬼二郎』という呼称も同様にして広まった物だというので、俺は今後至る場所で鬼斬童子と呼ばれるのだろう。
「氣撃、氣を込めた攻撃を自在に打ち出せるようになるのが、氣を運用する上で第一の目標です。身体能力の強化や空中で氣を打ち出しそれを蹴り移動する等の技術もそれが出来るように成ってからの事、明日以降も同様に修練致しましょう」
その言葉に、素直に頷き応えると、鈴木はにこやかに笑っていた顔を引き締め、ですが……と続けて口を開く。
「氣の修練は心身を大きく疲弊させます、拙者や義二郎様もしくは殿が見ていない所では決して行っては成りません。無論他の方々の監督でも良いですが、主筋である志七郎様の命令とあれば、強く出ることが出来ぬかも知れませんので避けてください」
正直他の家臣は、江戸家老の笹葉以外には殆ど話もした事が無く名前すら怪しい、基本的に江戸にいる家臣は父上の参勤交代に合わせて国元と江戸を行き来しているうえ、それぞれがそれぞれの役目をこなしているので中々交流する機会が無いのだ。
そんな状況では、命令しても聞いてくれるのかどうかも怪しい物ではあるが、それでも俺を心配して言っている事とは思うので、素直に頷いておく。
「慣れぬ内は氣を練り高めるだけでも時間が掛かりますが、そのうちに意識しなくても全身に氣を満たしそれを出したり絞ったりと言う事が息をするように出来るよう成ります故、焦らずに修練していきましょう、誰かと比べたりするのは不毛ですので辞めてください」
そういう鈴木の視線の先には、長巻を振るう義二郎兄上と、薙刀で打ち合う礼子姉上が居た。




