三百八十七 志七郎、騎乗し双館長相対する事
江戸を東西に貫く大通り『白青大路』を馬に乗った父上と並んで進んでいく。
大名で有る父上は勿論、嫡男では無いとは言えその子ならば江戸市中での騎乗が許されているのだが、残念ながら体験乗馬以上の経験は無い俺では自力で手綱を取る事は出来ず、当初は同乗するつもりだった。
が、練志両館に通うのに自力騎乗の一つも出来ないでは、武士としては大恥を晒す事に成り兼ねない。
いや自前の馬を持つのはそう簡単な事では無く、先祖代々徒武者で有る事を誇りとしている様な家も無い訳では無いが、その手の家の子でも全く乗れないと言うのは極めて稀らしい。
特に猪山は野生馬の産地でこそ無い物の、乗騎戦闘も武芸の一つとして一家臣ですらそれを修める事を奨励し、江戸州内に繁殖牧場を有している以上、其処の子弟が騎乗出来ぬというのは通らない話なのだ。
とは言え流石に七歳に成ったばかりの子供が、単独騎乗で街中を行くのは危険過ぎるので、入学当初から常時騎馬登校をする者は殆ど居ない。
にも関わらず、恥云々と言う話が出てくるのは俺の武名が既に子供の範疇を大きく越えて、更にソレに尾鰭が付くどころか滝を登って龍にすら成っているからである。
……うん、前世持ちや神の加護持ちが珍しいとはいえ、絶対に居ない訳では無い世界だし、仁一郎兄上の様に言葉を話すよりも早く馬を乗り熟す様な子供が居ない訳では無い。
ソレを俺にまで求めないで欲しいのだが……『武勇に優れし猪山の鬼斬童子』と言う名前は、最早俺には想像も付かない程に独り歩きしているらしい。
「「「わふ?」」」
しかしソレを解決する画期的な方法を母上が用意しておいてくれた。
『馬に乗れないなら戌に乗れば良いじゃない』とか『こんな事も有ろうかと』等と言ったかどうかは知らないが、四煌戌に騎乗する為の鞍を仕立てて置いてくれたのだ。
完全に意思疎通が出来る上に、会話こそ不可能だが人間と然程変わらぬ知能を持つ彼等で有る、乗り慣れて居ない俺に負担をかけず歩く事位は朝飯前だった。
登城する騎馬や籠の群れに混ざって悪目立ちしないかと、冷ひやしっぱなしだったのだが、その不安は大通りに出た瞬間に消え去る事となる。
何せ道には、巨大な牙を持つ『地獄の殺し屋』と呼ばれる赤い鬣の豹に乗った者や、巨大な絹毛鼠を乗騎とする者、上半身裸で熊を駆る者、幌の付いた兎や小熊猫に乗った少女達等など、俺が可愛く見える様な混沌な様相が満ち溢れて居たのだ。
「ああ、うん、大丈夫。父上に付いて行けば良いだけだから」
一瞬度肝を抜かれ意識が逸れた事を心配したらしい四煌戌達の背中をそっと撫で、自分に言い聞かせる様にそう言った。
義二郎兄上率いる豹堂一家の蝙蝠猫や根子ヶ岳の猫又達が乗る巨大猫とか、馬以外の騎獣が居る事は以前から知っていたが、真逆此処まで多種多様な……『何故ソレを選んだ』としか思えない様な物まで居るとは……。
大半は真っ当な動物では無く妖怪の類なのだろうが、俺は未だまだ火元国を……世界樹の盆栽を無礼て居たのかも知れない。
どう見ても凶暴な肉食獣と、完全に被害者側にしか成らないであろう草食動物が、お互い干渉する事無く背に乗せた主に従い整然と歩く様に、俺はそう思わざるを得ないのだった。
「ワシが練武館館長! 小山内呂利である!」
北門の厩舎に馬と四煌を預けた俺達が、そのまま真っ直ぐに職員室とでも呼ぶべき場所へと足を踏み入れると、殆ど間髪入れずそんな怒声が鼓膜を痺れさせた。
無意識に氣を纏う癖が付いて居なければ、恐らく耳から血を流して蹲る破目に成っただろうその声の主は、どっかの坊さんに良く似た狸様な恰幅の良い老人で、
「某、志学館館長、諸田修道に御座る。御主の武名は某も聞き及んで居る、が……中には猪山の虚報とソレを否定する者もおろう……その手の輩は実力で黙らせてやれば良かろうて」
それと並んで穏やかなそうな笑みを浮かべて、物騒な言葉を放ったのは狐を思わせる細目の老人だった。
曰く、外での刃傷沙汰は取り返しが付かない為、幕府としても処罰の対象とせざるを得ないが、練武館には『聖歌』の使える癒し手が常駐している為、思う存分死(り)合う事が出来るのだそうだ。
「但し、流石に突発的な殺し合いが何時でも無かった事に出来る訳では無い、不意打ちやら騙し討やらは以ての外。殺るならば、正々堂々たる立会での……」
極めて朗らかな口調で言い放つ腹黒さを隠そうともしない古狐……
「相変わらずですの諸田先生。志七郎、この方は我が親父殿の好敵手……『悪意では悪五郎に敵わぬが、策謀では優る』と言わしめた幕府の大軍師様よ」
引き攣った顔で、そう言う父上。
「いやいや流石にもう歳だでの。未だ若々しい悪意に満ちたあの輩とは比べ物にならんよ。今の某は子供達の性徴……いや、成長を日々見守り何か有れば責任を取って腹を切るのが仕事の爺ぃに過ぎやせんよ」
と、殊勝な台詞を口にするが、ソレで騙せるのは本当に子供相手だけだろう、その言葉は自分の命を人質に取って『問題を起こすな』と釘を刺しているのだから。
「流石は猪山の鬼斬童子と謳われるだけは有る、只の小僧とは眼も面構えも違う。コレと比べる価値が有るのはワシの記憶の中でも、両手の指で足りる程度しか居らぬ……中々面白く成ってきたわ」
既視感の有る肉食獣の……いや殺人者の笑みを浮かべて、獲物を見る様な目で小山内館長が言い放つ。
毛微塵程の氣も漏れていないのに、身震いする程の殺気が感じられたのは、気の所為では無い。
諸田館長がお祖父様互換だとすれば、此方は間違い無く一郎翁互換だろう。
いや彼が見た目通りの年齢だとすれば、半森人の長命さ故の研鑽で超人の域に至った一郎翁以上の天才の可能性すら有る。
「そう警戒せずとも良い、この歳に成れば殺し合いなど、とうの昔飽いておるわ。未だ身体の自由が効く内に武神に挑み死に華を咲かせ無んだ事を後悔する位にはな……。今はお早うからお休みまで幼子の暮らしを見つめるのが趣味の老骨に過ぎぬさ……」
押込めた殺気に俺が反応した事を見定めて、肉食獣の笑みは言葉通り好々爺の物へと移り変わった。
この二人は老いたりとは言え彼等が未だこの江戸で武知の双璧と言える人物の様に思える。
と言うか、このレベルの人間がゴロゴロ居ると言う事は流石に無いだろう……無いよね?
だがその予想が事実だとすれば、逆に我が猪山は江戸でも上位に数えられる実力者を複数抱えていると言う事で有り、それはそれで色々と怖い。
「どんな実力者も独りでは生きては行けぬ。某が現役の頃で有れば『あの一郎』とて嵌め殺せた自信が有るぞぃ。練志両館で本気で競い合い、友を作り、孤立せぬ様にの……如何な優れし武人とて『悪意』に葬られた者は数知れぬ故にな……」
最近は家族にも表情だけで内心を見抜かれる事は殆ど無くなって来たのだが、含みの有りそうな表情でそう言う諸田館長には完全に見透かされている様に思え……いやその通りなのだろう。
父上をして幕府の大軍師と称され、お祖父様の好敵手と言わしめる人物だ、幾ら俺が前世の経験や知識を有しているとは言え、彼に比べれば雛の様な物だろう。
智謀策略に秀でた人物ならば、読心に近い洞察力を持っていたとしても全く可笑しな話では無い。
「良く競い! 良く学び! よく遊べ! それが此処の存在意義で有る! 若人よ! ワシ等は其方の入門を歓迎する!」
諸田館長の知に軽い恐ろしさを感じ、考え込みそうに成った俺の鼓膜を、小山内館長の口から放たれた物理的な衝撃すら伴う咆哮が再び撃ち抜いたのだった。




