三百八十五 志七郎、荷を思い独寝を厭う事
「えーと、コレは……川中嶋藩って事は千代女姉上か、あのお兄さん……若しくはその親父さんからの品かな?」
部屋に積まれた大量の葛籠、方々から贈られた品々にはそれぞれ目録が有るのだから、それを見て何処に片付けるかを判断すれば良いと、昼間は思っていたのだが……甘かった。
先ず大半が達筆過ぎて読み取る事すら難しく、何とか解読しても今度はソレがどんな用途を想定して贈られた物なのかは文字だけで判断する事が出来ないのだ。
例えば『牛頭鬼の角』と書かれた物は、そのものズバリの品で武具の素材かと思えば、幾つもの葛籠の中から現物を探し当てて見れば、確りとした台座に固定され金銀の装飾を施された『飾り物』だったりした。
幾ら一人暮らしには十分過ぎる程の広さが有るとは言え、無駄に大きな装飾品を片っ端から部屋に置けば邪魔以外の何物でも無い。
だがだからと言って俺が実用的と感じる品以外の物を、全て蔵や本館の応接間に持ち込む訳にも行かない事情が有る。
仮にも支配階級で有る『武士』は『武芸』を磨く事が第一に求められるのは間違い無いが、それは芸術や音楽と言った教養を丸っと捨ててしまって良いと言う事では無い。
『武勇に優れし猪山の』とある意味で『脳筋』を自慢している我が猪山藩では有るが、若手の四馬鹿と揶揄される彼らですら、家名を汚さぬ程度にはその手の修練を積んでいるのである。
ちなみに大羅は宮太鼓を得意とし、今は鼓を、矢田は龍笛をそれぞれ人に披露して恥と成らない程度の腕前は有るらしい。
そして意外と言うかなんというか、名村に至っては三味線と琴の名手で、更には水墨画家としてもそれなり以上の評価を受けている人物だったりする。
まぁ……それほどの腕前だというのに『拙者は武士、芸事を銭にするは武名の恥』と、大店やら大藩やらに銭を積まれてもそれらを披露する事は無いと言うのだから、宝の持ち腐れと言えるのかも知れないが……。
兎角、俺は武勇に付いては歳相応以上と評価されては居る物の、琴棋書画の類に付いては完全に修行不足で、これから色々学ばねば成らないと言われているのだ。
そしてそれはどうやら社交の場では広く知られた事実と言う事らしく、大半の贈り物はソレらに通じる物ばかりなのである。
大きな角の置物が、芸術品かと言われれば賛否両論あるかもしれないが。
なお河中嶋藩立嶋家からは金張りに無数の白い花があしらわれたお高そうな扇子が贈られて来たのだが、コレは恐らく能楽を舞う時に使う物だろう。
良く解らないのは、安倍家が贈ってくれた蕎麦打ち道具一揃いだ。
また宇佐美姉上が江戸に来た際には、コレで蕎麦を打って信三郎兄上の財布への打撃を少しでも和らげろと言う心遣いだろうか?
武士にとって料理は『武芸』の内と言われており、合戦の際に自分の食う飯を用意するのは勿論、優れた腕を持って居るならば主君や上様に自慢料理を献上するのも武士の誉とされている。
とは言え蕎麦は江戸では完全に庶民の味、愛好家は多かれど武士が作る料理としては相応しい格式の物とは見做されない。
以前聞いた話だが、勘定方のご隠居がその身分を隠して夜鳴き蕎麦を営みその素晴らしい味が評判を呼んで居るらしい。
万が一にも家名に泥を塗ったと腹でも切られて二度と食え無くなっては困ると、身バレしている事は本人に悟られぬ様にするのが不文律なんて見世も有るのだそうだ。
いや……西の方では麺と言えば饂飩で、蕎麦は江戸料理の代表格とされているらしいし、他意が有る訳では無いだろう。
「取り敢えず、蕎麦の打ち方は睦姉上かおタマにでも聞けば解るだろうしコレは厨房にでも置いておいて貰うか……いや、此処にも小さいとはいえ竈は有るんだし、自炊用にするのも有りかな?」
身内に蕎麦打ちをする者は居た事は無いが、趣味としては大分深い世界だというのは知っているし、試しにやってみるのも悪くは無い様に思える。
楽器類もどれか一つ位は出来ると言って良い位には修練する必要も有るのだろうし、取り敢えず一通り触ってみても良いだろう。
「問題は無駄に大きな飾り物だな……。流石に贈り物を直ぐに捨てたり売ったりする訳にも行かないし、取り敢えずは蔵送り……かなぁ」
一通り開けては見たものの、一向に片付かない大量の荷物を見回し、深い溜息を吐くのだった。
此方に生まれ変わってから、初めて一人で眠る夜。
寂しいとまでは言わずとも、季節柄も有ってか布団が冷たいのが身に沁みる。
「「「おん!」」」
今一つ眠れずに居た俺に、部屋の奥に有る窓からそんな声が掛けられた。
「四煌、夜も遅いんだから静かにしなけりゃ駄目だろ。どうしたんだ?」
兄上の犬が態々俺の部屋にやって来る理由も無いだろうし、殆ど決め打ちに近い言葉を吐きながら、障子紙の貼られた窓と雨戸を引き開ける。
「わふ」
「くーん」
「きゅ~ん」
想像通り、其処には俺にとって唯一の家臣と言っても過言ではない霊獣『四煌戌』が居り、嬉しそうな悲しそうな寂しそうな、何とも複雑そうな視線で俺を見下ろしていた。
「随分と大きく成ったなぁ、お前等。ああ、折角帰って来たのに散歩に連れて行かなくて御免な。明日はちゃんと連れて行ってやるから、今夜は大人しく寝よう」
記憶に有るより二回り以上大きく育っていた三つ首の大犬は、最早犬や狼の範疇には収まらず馬や牛と比べても遜色ない体格に成っている。
以前は三つの首それぞれ殆ど差が無い様に見えたが、成長するに連れてそれぞれの性格が顔に出る様に成ったのか、顔付きが多少では有るが違う様に思えた。
……此奴ら食費の方も大分育ってるんだろう、俺が居ない間は仁一郎兄上が面倒を見てくれていたらしいし、近いうちにちゃんと御礼をしないとなぁ。
そう思いながら首を摺り寄せてくる彼らの毛並みを撫でる。
何かを確かめる様に代わる代わる頬を舐めるその行動は味見をされている彼の様では有るが、其処に宿る感情は親愛のソレの筈だ。
余程俺が居ない間寂しかったのだろう。
兄上の事だから朝の散歩や餌やりを忘れる様な事は無かっただろうが、何かと忙しい嫡男ではそれ以上に此奴等に手を掛ける事は出来なかった事は想像に難く無かった。
以前は兄上の所に居る他の犬達と一緒に散歩したり遊んだりしていたのが、此処まで育ってしまってはその体格差から一緒に居る事すら難しい。
せめて彼ら三匹がそれぞれの身体を持っていれば、此処まで寂しい思いをさせる事も無かっただろう。
そう思うと、ただ黙って寝ろと言うのは可哀想に思える。
「……解ったよ、今夜一緒に寝よう。但し今夜だけだぞ」
言いながら帰って来る旅路で何度目かの野営の後に買った安っぽい毛布を引っ張りだす。
「「「わぉん♪」」」
嬉しそうに声を揃えて小さく鳴いた彼らの元へと行くのに、玄関から回り込むのも面倒に感じ、荷物の中から向こうの世界で買った靴を取り出すと、行儀が悪いとは思いながらも窓から飛び出した。
荷物さえ無ければ寒い外へと出るのではなく、彼らを中へと入れても良かったんだが……と一瞬そうも思うが、折角部屋に上がらない様躾けて来たのにソレを否定するのは、余り良くない事だろうと思い直す。
「もしも何処か遠くへ旅をする事があれば、こうして一緒に寝る事も有るだろうし、野営の練習だと思えば悪い事でも無いか……」
「くぅん?」
「わぉん?」
「すぴぃ……」
薄い毛布越しに彼等の体温に包まると、俺は然程の時間も経たぬ内に夢の中へと落ちていったのだった。




