三百八十四 志七郎、土産を配り孝行を誓う事
口を大きく開き、熱々のソレを冷ます事無く一思いに齧り付く。
火傷不可避の灼熱を纏った餡が口内を蹂躙するが、其処はそれ氣を纏う事で防御力を高め事無きを得る。
口内に篭った熱を冷ます様に、咀嚼しながら息を吸いソレを鼻から逃がせば、カリッと香ばしく焼き上げられた小麦の皮と、中にずっしりと詰まった小豆の織り成す素敵な香り。
似たような物は前の世界でも食べられる筈なのだが、素材の質が違うのか砂糖の精製度合いの違いなのか、それとも見世の秘伝が詰まっているが故なのか、前世に口にした物よりも間違い無く今の俺には美味いと感じられる。
「コレを食べると、やっと帰って来たと言う気がするな……」
熱々の渋い番茶で後味を洗い流し一息付いた俺に、
「睦嬢の料理なら比べ物に成ら無い美食でしょうに、なんだって此処の安菓子に其処まで執着するんですかねぇ七は……、まぁ美味しいのは間違い無いですが」
苦笑いを浮かべながら、久々に会った従兄の野火利市――りーち
がそう言った。
「本当、無事に帰って来てくれてよかったです。鬼斬で命を落とすのは決して無い話ではないですが、それでも仲間が自分達の手の届かない所に行ってしまうのは、少々どころでは無く辛いですから……」
熱い茶を冷ます為に息を吹きかけていたのを中断し、同じく『鬼斬小僧連』と一括りに呼ばれる仲間の紅一点、桂歌江――歌が憂いを帯びた表情を浮かべながらそう言い放つ。
彼女の父は江戸州の鬼斬者を統括する『鬼斬奉行』で有り、戦場で命を散らした者の話はその役目柄、見聞きする事も多いのだろう。
「しかし……異界の土産それも宝石を連ねた腕輪とは中々に豪気だよな。しかも秘石混じりとも成れば、コレ一つで城とは言わずとも家屋敷の一つ位は立つんじゃないか?」
りーちの兄でもう一人の従兄、平和――ぴんふ、が土産に渡した秘石の腕輪に視線をやりそんな感想を漏らす。
「いえいえ、この大きさでしたら其処まで凄まじいお値段では無い筈ですよ。色々とそつが無い七の事です、受け取る手前等の腰が引ける様な品は持って来ないでしょう」
俺が口を開くより早く、兄の言葉を否定するりーち。
彼は商売人を目指しているだけあって武では一歩劣るにせよ、経済や交渉と言った面では間違い無く優れて居ると言える。
「此方の方が身構えなくて良い分、普段から身に着ける物としては良いように思えますし……本当に有難う御座います」
口には出さなかったが恐らく姉や母の持つ宝石と比べ、質が低い事を理解した上での言葉なのだろう。
だが、ハレの日にしか身に着けぬ宝物では無く、普段使いのお守りとしては十分な価値を見出したらしく、歌は普段の男臭い表情では無く、歳相応の少女らしい微笑みを浮かべ御礼を口にした。
「まぁ……確かに、道中で手に入れたって言う氣晶石やら精霊石なんかと比べりゃ、子供の小遣いの範疇……なのか? いや、ソレにしたって早々手に入る物じゃ無いだろ……んー……」
対して年長者で有り、武人として一廉の漢を目指しているぴんふは、自身で価値のはっきりと解らないソレを素直に受け取る事に葛藤が有るらしい。
「それぞれに相応しいと思う石と文様で揃えてるから、普通に受け取って欲しい。それに向こうでは決して目玉の飛び出る様な価値の有る物って訳でもないからね」
とは言え、一般的な子供の小遣いの範疇とまではいかないが、其処は口を噤んで良いだろう。
俺の言葉に暫く唸った後、ぴんふは小さく溜息を付いて不器用な笑みを浮かべて御礼の言葉を返すのだった。
その日の夕食の席、俺は持ち帰った土産物を皆に配る事にした。
「しかし良くもまぁコレだけの物を背負って、厳しい界渡りを越えてきたのぅ……我が子ながら無茶をし過ぎじゃろ……」
家族向けの品までは喜び興味深そうに見ていた父上だったが、家臣の皆にもステンレスのショットグラスを配るのを見て、呆れた様にそう言った。
一個一個は小さく然程の重さでも無いが、流石に百個以上も有ればその総重量は二貫に少々届かぬ位……その他荷物も含めて考えれば、確かに子供が背負って歩く範疇は軽く越えている。
猪山の家臣は国元に居る者も含めて百人に届かず、全員に配るとしても余りが出るのだが、元家老の笹葉や一郎翁等、員外の者に渡す分も考えれば、正味ギリギリと言った所だろう。
大量購入した品だと言うのに、この場に居て俺自身が手渡しした者達は皆揃って
「家宝として末代まで伝えます」
そんな判を押した様な反応をしたので、
「実用品だから、遠慮せず使う様に」
と言っても即座に納得せず、一人ひとり一々説得するのに苦労した位である。
それに対して一品物を用意した家族と言えば、父上には良く解らない物をと怪訝そうに見られ、品質の差こそ有れど同じ品を贈った酒好きを通りこして酒狂いの気が有る長兄は、ソレが何かを知っていたらしく中身が入って居ない事に落胆していた。
友人達と同じく秘石の腕輪を渡した長姉は嬉しそうにソレを腕に通して婚約者に感想を聞き、大量の香草とソレを用いた魔女の秘薬を記したレシピを受け取った次姉は食事そっちのけで読み耽る。
同じく香草の一部と保温弁当箱や魔法瓶の水筒を受け取った末姉は、次姉が母上に叱られるのを見て食事を優先しはしたが『大事に使って貰うニャ』と作った弁当を誰かに渡す算段をしている様だった。
そして釣り竿を渡した末兄は一瞬ソレが何か解らない様な表情を浮かべた後、
「そう言えば暫く釣り等して居らなんだ。久し振りにこの竿で釣り糸を垂らすでおじゃる。明日の晩飯は期待しておじゃれ」
と、忘れていた何かを思い出したと言わんばかりの笑みで遠回しな礼の言葉を口にした。
最後に渡したのは、色々と壊れ気味の母上だ。
俺の記憶に有るままの彼女であれば、どんな状況でも自制を忘れる事無く優雅な物腰で受け取ってくれたと思うのだが、帰って来てから此方の色々とぶっ飛んだ母上の様子を見ると、趣味の品を渡された時の反応が予想出来ず怖かったからで有る。
結果は、やはり予想外の物だった。
差し出したカジノゲームセットを受け取る事もせず、母上は表情を変える事無く無言のままポロポロと涙を流し声を上げず泣き始め、土産の品では無く俺へと手を伸ばし力一杯抱きしめたのだ。
……無意識に氣を纏う癖が付いて無ければ色々とやばかった。
精神的に大分追い詰められていたらしい母上の手加減と言う言葉を何処かに置き忘れしまったそれは、親愛の抱擁では無く完全に熊の抱擁若しくは鯖折りと呼ばれる殺し技に他ならない。
そのままガブリと齧られたならば命は無いだろうが、流石にそんな事は無いだろうと歯を食い縛って耐える……愛が痛い。
「お清、その辺にして置け……如何な文字通り地獄を潜り抜けて来た志七郎でも、御主の全力を受け続けては潰れてしまうぞ……」
そう制止の言葉を掛ける父上も少々腰が引けている様子を見る限り、俺が居ない間暴走した母上の被害を必死で食い止めていたのは想像に難く無い。
……うん、父上にはもっと色々と孝行しないと駄目だな、取り敢えずは土産のスキットルに詰める良いウイスキーの一本でも何とか手配しよう、そう心に決めたのだった。




