三百八十二 志七郎、帰還と新年の祝を寿がれる事
「良くぞ無事戻った! 流石は猪山の鬼斬童子よ!」
新年を寿ぐ宴の席、大藩の大大名やら幕府の重臣やらを差し置いて、上様は先ず俺を名指しで目の前へと呼び寄せた。
「苦しゅう無い面をあげよ。其方がその身を張って忠勤を示さねば、この江戸に死が吹き荒れるのみならず、火元国が……いやさこの世界の全てが再び戦火に塗れた事は明白。その幼き身には困難すぎる旅路だったであろう事想像に難くは無い」
平伏した俺に向かって投げ掛けられたその言葉に従い頭をあげると、それに続いたのは褒め殺しと言う言葉がしっくり来る程の物であった。
しかし居並ぶ文武百官の口からはソレを否定する様な言葉何一つ漏れる事は無く、寧ろ賞賛と感嘆が篭った物と思われるざわめきがその場を支配している。
「彼の一件に置いては、帝からも公家の重鎮たる安倍家からも、其方の業績を称える感状と報奨の品が届いておる。無論幕府とて御主の功績に報いぬ等と言う馬鹿な話は有りえぬ」
名目上、幕府は朝廷の傘下に有る一機関で有り、その立場は他の朝廷直轄組織と同格とされている。
とは言え実情としては、各地の統治を武士で有る藩主や幕府の代官が行っている以上、朝廷には神々の指示に従い祭事を執り行ったりする程度の権限しか残されて居ない。
それ故、朝廷の財政は決して潤沢とは言えないのが実情であり、一寸やそっとの事では報奨等出される事は無いのだが、上様の言葉に応じて運び込まれた大小幾つもの葛籠を見る限り、かなり張り込んだ用意が為されている様に見える。
「しかし如何に功優れたとは言え、未だ幼く将来の有る子供に多大な財貨や武具を積み上げる様な真似をすれば、その後の成長の妨げと成るやも知れぬ。故に余からの褒美として『出入御免状』を授ける物としよう。皆の者、異論は無いな?」
この場に列席している大名や幕臣達を見回しながらのその言葉だったが、当然と言うべきか反論の声は上がらず、上様はその懐から三枚の書状を取り出し小姓を通して俺へと差し渡した。
「……恐れながら上様にお伺い致します、某寡聞ながら出入御免状成る物を存じ上げぬのですが、一体如何なる物に御座いましょう」
多分二通は朝廷と安倍家からの報奨品の目録で、最後のもう一通が件の御免状とやらなのだろう。
だがソレがどんな物かも知らずに受け取るのは色々と怖かった、持っているだけで他人の恨みや嫉妬を買う様な物だって世の中には存在しているのだ。
「相変わらず子供らしく無い、堅い物言いよな……」
俺の言葉に上様は笑いながらそんな事を言い放ち、それから御免状に付いての説明してくれる。
その話に拠れば『出入御免状』を持っている者は幕府の管轄下ならば、多少の例外は有れども何時如何なる場所でも自由に出入りする事が許されるのだと言う。
「本来、藩主の子は無許可で江戸州から出る事は出来ず、無断で他藩へと踏み入る事も許されない。だがその免状があらば、玄武、白虎の関を出入する事は勿論、他藩所領で有ろうと好きに出入して構わない」
また江戸市中には町と町を区切る『町木戸』と呼ばれる門有り、夜には防犯の為閉じられ其処を通るには木戸の番人から取調べを受ける事に成るのだが、その免状があれば何らかの事件でも起きていない限り自由に通り抜ける事が許される。
更には吉原の様な遊郭、江戸市中に点在する岡場所等、子供が立ち入るべきでは無いとされている場所にも、この免状さえ有れば止め立てされず立ち入る事が出来るのだと言う。
その他にも、俺が必要と判断したならば例えソレが商家の蔵だろうと、他藩屋敷の奥向きだろうと免状を掲げて押し入った所で、その事自体を咎め立てされる事は無いのだそうだ。
「だからと言って、悪用等すれば家名に傷が付く程度では済まされぬ。この免状は儂から其方への信頼の証と心得よ。ソレを用いて其方が何を為すか、全ては誇りと信念の下に
判断を付けねば成らぬのだ」
つまりは裁判所の判断を待たない『捜査令状』の様な物か、これはこれで扱いが困りそうでは有るが、かと言って断るのも上様の面子を潰しかねない代物だな。
「……お心遣い誠有難く、猪山藩猪河家と上様の名に恥じぬ様、精進させて頂きます」
……受け取るだけ受け取って塩漬けにして置くのが良さそうだ。
そう思いながら三通を纏めて受け取ったのだった。
「此度は無事の帰還お目出度く、御方のお陰を持って我が子も無事で済み申した。改めて御礼を申し上げたく……」
「我が娘もあの戦いで無事手柄を上げたとの事、それも一重に御方のお陰で御座候」
「当家の娘は御方と年回りも近く、一度席を設けたく存じ上げるのだが如何で御座ろうか?」
「ささ、一献。一年近くもの長旅、それも伝説でしか語られぬ界渡りとも成ればお疲れで御座ろう。我が家の氏神様より賜った御神酒に御座る、コレで疲れを癒やして下され」
新年の挨拶も一通り終わり場が宴の席へと移行すると、列席する御偉方が我先にと声を掛けてきた。
「……子の恩人故、御礼に逸るのは解るが、それでも此奴は八つに成ったばかりの小僧。ソレに対して慇懃に振る舞うのは如何な物で御座らぬか? しかも当主で有る拙者の頭越しに縁談を持ち掛ける等言語道断であろう」
が、俺がどうこう言うよりも早く、父上が不快感も顕にそう言い返す。
御礼の為にと言うのは決して嘘では無いだろうが、それ以上に俺が成したと言う功績を政治利用しようと言う気持ちが有るのは馬鹿じゃ成れば容易に想像が付く。
と成れば、御神酒にも手を付けないのが無難だろうか?
「それに対して流石は滝川殿……態々我が子の為に貴重な御神酒をお持ち頂けるとは、この四十郎感謝の念に耐えぬ次第、改めて御礼申し上げる。志七郎、其方も御礼を述べて有難く頂くと良い」
そう思って父上の表情を伺うと、ツマミが並んだ御膳の上に置かれた盃に目をやり、ソレから小さく頷いて許諾の意を示す。
後から聞いた話だが、神のみが作る事の出来る御神酒を騙る様な事をすれば、罰が当るのは間違い無いらしく、しかも氏神と言ったからにはソレが偽りだったりすれば、家名の存続すら危ぶまれる様な事体に成ると言う話だ。
神々の方から授けられるならば兎も角、人の方から望んで得るには膨大な『功績点』が必要な為、人の世に流通する事は無く、極めて貴重な物で有る。
以前、神々に歓待を受けた時にも呑んだ事は有るが、普通の酒とは違い子供の身体にも悪影響を及ぼす事は無く、寧ろ身体に溜まった疲れを回復してくれる物で有る事は間違い無い。
安心して盃に注がれたソレに口を付ければ、芳醇な果実の様な香りと微かな甘味が口一杯に広がり、嚥下すれば後を引く事無く爽やかに消えて行く。
滝川家は上様に献上される酒を管理する比較的大身の御旗本だという。
よくよく思い出してみれば、父上からの書状を届けに行った事のある幾つかの家の一つだった……様な気がする。
と言う事は、猪河家と滝川家は以前から付き合いの有ると言う事では無かろうか?
「ふむ……中々の呑みっぷり、ささもう一献。それにしても大変ですなぁ、尚武の気風強き猪山の子ですから練武館は問題無いでしょうが、志学館に一年近くも遅れての入門とは……何か困り事があれば我が子に相談して下され、先輩として必ず助けに成りましょう」
空いた盃に御神酒をもう一杯注ぎながら、そう言う滝川様の表情は身内の子供を心配しつつ自らの子を自慢する、そんな親戚の小父さんの風情だった。




