三百八十一 『帰還』
思い返せば、昨年は色々と有った物だ……。
新年早々の動乱で末の子が何処とも知れぬ遥か彼方の世界へと飛ばされ、次男は他家へと婿に出ると同時に海の向こうへと旅立って行き。
今年も優駿を乗った長男は馬の出来が今一つだった様で八着と惨敗に終わり祝言の日をまた先延ばしとした。
戦場通いを続けていた三男は、油断からかそれとも慢心からか、危うく命を落としかねない大傷を負い、欲していた武名はまた届かぬ物としてしまう。
結納を済ませた長女も末弟の帰還までは祝言を上げる事は出来ぬと、婚約者を放り出して野良仕事に精を出し、次女も様々な伝手や賂を駆使して何とか見合いまで漕ぎ着けた縁談五つを、揃って相手に『勘弁してください』と頭を下げさせる結果と成った。
それに対して、内向きの仕事を好み未だ幼く出会い等無いはずの三女は、儂や女房が知らぬうちに何処の馬のとも解らぬ町人の若造と親しく成り、将来は其奴の下へ嫁に行く等と言い出す始末……。
荒れた女房が賭場を喰い荒らしソレで食い扶持を失った博徒連中が徒党を組み山賊化した結果、幾つもの農村に被害を出したその責任を被害藩から追求される様な事も有った。
まぁ、他藩で出た被害に関しては防衛出来なかった藩主の責任なので『知らんわ』と言ってやったが……。
兎角、今年は何かに憑かれて居るのではないかと思う程に悪い事ばかりが有った様に思える。
けれども慶事が全く無かった訳でも無い、婿に出た次男の所に子が出来たと言う知らせが海の向こうから届いたのだから。
しかも我が藩が誇る最強産婆から届いた続報に拠れば、少なくと双子……若しかすれば三つ子、四つ子以上の可能性すら有ると言う。
多産は出産時の事故が起こりやすいと言われ、忌み嫌う場所も有るらしいが、死んでさえ居なければ何とで成ると豪語する無敵産婆のお陰も有って、少なくとも我が藩では瑞祥として扱われている。
とは言え、母体への負担が大きいのは間違い無い事で有るが故、彼女には無事出産が終わるまで出張してもらう事とした……まぁ、彼女の力を借りたいと言う他所からの要請を断るのが少々骨と言えば骨では有るが、初孫の命には代えられまい。
無双産婆程では無いとは言え、彼女の薫陶を受けた弟子は我が家だけでも三人も居り、他所で奉公している者も江戸には数え切れぬ程居るのだから、そうそう大事には成らぬだろう。
他にも笹葉の引退に伴う代替わりや、矢田が揚屋の遊女に入れ込んで見受けの為に無茶な鬼斬をしたり、今と大羅が一人の娘を取り合って決闘したり、口入れ屋で手習いの師の仕事を取ってきた名村が教え子に手を付けたり……と本当に色々と有りすぎた一年だった。
だが何よりも印象深かったのは昨夜……即ち大晦日だろう。
何せ皆が年末恒例の取り立て仕事から帰り、そろそろ年越し蕎麦の準備を始めるかと言う段に成っても、志七郎は未だ帰還していなかったのだ。
流石に戻る戻らぬ等と直接的な事を口にする様な者は居なかったが、諦めを感じさせる溜息を付いたり、不安を忘れようとするかの様に大酒を煽ったりと、その雰囲気は決して良いものでは無かった。
当然と言うかなんというか、その雰囲気を作り出していた大本は我が妻で有る。
手負いの虎か、餓えた狼か、はたまた冬眠し損ねた熊の如く、不機嫌丸出しの……正に『暴君』の名に相応しい下手に近づけば喰われるであろう、そんな剣呑な氣を無意識に纏い、儂ですら側に寄るのを躊躇わせる様な状態だったのだ。
いや……まぁ、我が子が手元に戻るかどうかの瀬戸際で、しかも自身では何をする事も出来ぬ遠くの出来事と成れば、母熊……母親が冷静では居られぬのは当然の事では有る。
それでも昨夜のお清は浮気がバレた時以上の迫力を放って居たのだ、家臣や子供達が恐れ慄くなと言っても土台無理な話しだ。
そして響いて来た除夜の鐘……流石にもう駄目だと誰もが思った事だろう。
しかしそんな雰囲気をぶち破るかの様に、庭に放された犬達が騒ぎ始めたのだ。
すわ曲者か! と、おっとり刀で飛び出していった家臣達だったが、その大半は危急の事体に対する物と言うよりは、殺気にも似た物を纏い始めた妻から逃げたと言うのが正解だったのではないかと思う。
無論、儂自身もソレに続いて庭へと出たのは言うまでも無い。
して其処には曲者の姿等影も形も無く、ただ天を見つめ遠吠えを上げる志七郎の霊獣と、ソレに追従するかの様に吠え続ける仁一郎の飼い犬達が居た。
「なんだ……何も居ないでは無いか……」
「仁一郎様が居られれば、此奴等が何を言っているのか解るのだが」
「祝言前から完全に尻に敷かれて居るからのう……」
我先にと外へ飛び出した者達の中で、誰とも無くそんな言葉が飛び出したのは、何時に成ったら祝言を挙げられるのか……と常々言っている川中嶋にせめてもの誠意と言う事で年越し謝罪に行っているからである。
儂自身同じ理由でお清を行き遅れにしかけた過去が有る故、奴の拘りは理解出来るが、藩主として父親として考えるならば巫山戯るなとぶん殴りたく成る気持ちも解る。
睦を誑し込んだあの小僧も、彼女と同い年の子供で無ければ間違い無く殴り殺して居た筈だ……。
幼いとは言え根性の据わった見所の有る男だったので猶予は与えたが、果たして長じた時にどう育つか?
何方にせよ我が娘を泣かす様な事をすれば、儂自ら手打ちにしてやるがな!
と、話が逸れた……。
天を見上げ吠え続ける犬達の姿に釣られ空を見上げた儂等が見たのは、巨大な箒星が天を貫き、それに撃ち落とされる彼の様に無数の星が流れ落ちる姿だった。
色とりどりに輝きながら翔ける箒星は一見しただけならば、見る者の魂すらも掴み取る様な輝きを示していたが、見る者が見れば其処に禍々しいまでの破壊と破滅が宿っている事に気が付いた筈だ。
それは決して吉兆などでは無くこの上無き凶兆だと言う事は、武勇に優れし猪山の者成らば例え学問に注力して居ない若手の愚か者だとしても一目で感じ取れた事だろう。
事実、四馬鹿の中でも最も学の無い矢田ですら、その光景に畏怖にも似た感情を懐いた様で刀に手を掛けたままその身を震わせている。
「来年は荒れるやも知れぬな……」
そう呟いたのは誰だったか、はっきりとは解らないが恐らく皆が皆同じ気持ちを持った事は間違い無い。
ゆっくりと流れ行く箒星と、鳴り続ける除夜の鐘。
犬達が吠えるのは、その常らなぬ状況に中てられたが故とそう判断し踵を返そうとしたその時だった。
丸で禍津星に立ち向かう様に二つの星が大きく瞬き、それから一つの星が零れ落ち……そして辺りが昼間の様な明るさに包まれる。
その輝きは流れ落ちた星が真っ直ぐ此方に向かって来たが故の事だと誰が理解出来ただろうか?
一瞬の沈黙の後……巻き起こる轟音と立ち上がる水柱。
星が庭の池に落ちたのだと直感的にそれを理解するが、話に聞いた精霊魔法の秘奥『星落としの法』とやらに比べ余りにも被害が小さい事に、逆の意味で驚きを禁じ得ない。
「皆! 無事か!? 被害状況を調べよ!」
即座にそう叫ぶ事が出来たのは、小なりとは言え大名としての矜持故の事だろう。
実力ある精霊魔法使いの星落としは街を一つ消し飛ばして余りある程の大魔法、ソレが使われたのであればそうして声を上げる事等出来なかった筈だ。
儂の叫びに弾かれた様に動き出した家臣達、幸いというか当然と言うか誰一人としてかすり傷すら負った者は居なかった。
「しーちゃん!?」
そんな儂等男衆の動きを他所に、お清は半狂乱としか思えぬ様子で叫び声を上げながら誰よりも先に池へと飛び込んだ。
空から落ちてきた星……それは遥か彼方の世界から我が家へと舞い戻った志七郎本人だったのだ。
コレにて『大江戸? 転生録』第二部、界渡り編無事完結に御座います。
次回より舞台は再び江戸へと戻りまして、武士の学び舎へと向かう志七郎、その活躍にご期待下さい。
今後共お楽しみ頂ければ幸いです。




