三百八十 志七郎、不幸に見舞われ辿り着く事
「走れ! 走れ! 兎に角走れ! 巻き込まれたらおっ死ぬぞ!」
「なんだって、安全圏からでた途端のあんなんに追われにゃならんのや! やっぱこの坊疫病神かなんかやろー!」
「そんなの俺が知るか! 無駄口叩か無いで走れー!」
水源の世界を旅立ち一時間程が経った頃だった、遥か星界の彼方から数えるのも馬鹿らしく成る程に大量の秋刀魚の群れが、砲弾もかくやと言わんばかりの速度で俺達目掛けて突っ込んで来たのだ。
無論それは只の秋刀魚では無い、その形状こそ俺が知る秋刀魚と瓜二つだが、その体躯は全長一間程と巨大で、鋭く尖った嘴は鎧う物の無い肉の身体を容易に貫き通すだろう。
時間に余裕が有れば返り討ちにしてお土産追加と言う選択肢も取れるのだが、如何せん今は一分一秒でも早く先に進まねば成らない。
俺だけならば多少食らっても鎧で受け止めるなり、刀で逸らすなり、幾らでも対処は出来るが、沙蘭やまーちゃんに流れ秋刀魚が被弾すれば其処で終了なのだ。
「怒畜生ー!! 何がムカつくって此奴らホンマ美味いねん! 一匹、二匹とっ捕まえるだけでも大儲けやっちゅーのに、宇宙クジラまで居んねん!」
心底口惜しいと吠えながら走るまーちゃん、
「安全確認もされてねぇ宙域を強引に押し通るんだから、この程度の事ぁ有って当たり前だろうよ。蛸神とその子供達じゃねぇだけマシって物さね」
ソレに対して『旅猫』の異名を持つまでに旅慣れた沙蘭は、全力で走りつつもこの程度ならば何時もの事と言わんばかりに落ち着いた声でそう返す。
「■■■■■■ォォォヲヲヲ!」
と、その時だ、秋刀魚の群れの更に向こうから俺達……いや、秋刀魚の群れを喰らおうと迫っていた宇宙クジラが凄まじい咆哮を上げて速度を落とした。
「げ! この呆け婆ぁ! 余計な事言いおってからに! ホンマにタコ共が来たやないか! 坊! 向こう向いたらアカンで! ワテら猫と違うて、おどれが見たらSAN値直葬されてまうで!」
産地直送……? 言葉の意味は良く解らないが、兎に角ヤバイ事は伝わってくる。
まーちゃんの言葉に拠れば、地上のクジラより何十倍も巨大なソレを更に巨大な触手の塊――通称『蛸神』と呼ばれる『外なる神』が捕食する為に襲い掛かっているらしい。
秋刀魚の群れごと俺達を喰らい兼ねない宇宙クジラが蛸神とやらにくわれてしまえば、俺達の安全を確保出来るのではないか?
「何処か隠れる場所を探さねぇとヤベェ……彼奴等は美食家じゃない、生有るモノなら何でも食い尽くすからな、ったく時間が無ぇってのに勘弁してくれよ」
……どうやらそんな生易しい物では無いらしい。
「それよか左にちっとだけ方向修正や! ワテの気が確かなら、この先に亜空間ウツボの巣が有った筈や、彼処なら蛸も追って来ぃへん! そのまま突っ切れば何とかなるハズや」
全力で逃げながらもこの状況に対する打開策を提示したのは、当然ながらこの辺りに詳しいまーちゃんだ。
海のギャングと恐れられるウツボは、クジラを喰らう様な大蛸にとっても天敵なのは変わらないらしい。
「下手な近づき方すりゃ、儂等がパクっと喰われる奴じゃねぇか……。まぁソレでもただ無策に振り切ろうとするよか、目は有るか……? んじゃその手で行くぞ! 手前ぇら遅れんじゃねぇぞ!」
特定自由業の若頭か、はたまた海賊の頭領か……そんな雰囲気で決断を下した沙蘭に、
「「あらほらさっさ!」」
思わず何処ぞの家臣達が言いそうな台詞が、俺達の口を突いて出たのだった。
「ふぅ……どうやら無事やり過ごせたらしいな……」
その一つ一つが『世界』だと言われても納得出来そうな程に大きなウツボの巣穴が集まる場所を、息を潜めて通り過ぎ振り返った沙蘭は、疲れを隠すこと無く大きな溜息と共にそう言った。
幸いと言って良いのか亜空間ウツボ達は俺達には目もくれず、秋刀魚を喰らうのに夢中だったので、想像していたよりも大分楽に突破する事が出来たが、大分時間を食ったのも事実で有る。
「残り二時間を切った……間に合いそうか?」
手形に表示された残り時間はあと僅か、此処まで来て間に合わないと言うのは勘弁して欲しい。
「これまでの流れと場所から考えて……このままやとギリギリ間に合わへんな。せやけど此処らにゃぁ人が住める世界は有りゃしまへん。疲れとんのは解るんやけど休まんと進まなな……」
沙蘭程年季が入っていないとは言え、旅慣れた化け猫のまーちゃんは、周辺の星を見回し星図も見ずに現在位置を割り出すと、自身も疲れているのだろう足を引きずる様にして前へと進みながらそう言った。
「此方の方角で間違い無いんだな? もうちっと進みゃぁ見えてくるんだろうが……此処で間違うと洒落に成らねぇぜ?」
そんな憎まれ口を叩きながらも沙蘭は、まーちゃんが指し示した方向を見据え妖気の道を伸ばしていく、間に合わないと言われた事などお構い無しだ。
「此処ら辺りはもうワテの縄張りでんがな。それに幾ら化けた言うてもワテかて猫やで、帰巣本能は未だ腐っちゃおらへんわ」
二足歩行を維持するのもそろそろ限界らしく、まーちゃんはそう言い返しながら只猫の様に四足で駆け出した。
「坊主! 小娘! 儂の背中に乗れ! 絶対に間に合わせてやる! 旅猫沙蘭! 一世一代の走りを見せたらぁ!」
同じく二足歩行から四足走行へと移行しつつ、全身の毛を逆立てた沙蘭は一瞬にして牛程の大きさに膨れ上がる。
「解った! 世話に成る」
言われた通り、まーちゃんの襟首を引っ掴み沙蘭の背に飛び乗る。
「って、そんなん出来るなら最初からそーしときゃ良かったんちゃうか!?」
煉獄を駆け抜ける駱駝の如く加速し始めた沙蘭に、そんな事を言えば、
「馬っ鹿野郎! 歳を考えろ! こんなの長い事やってられっか! 儂ゃ本来隠居の老人だぞ、お前ぇの修行が足りてりゃ儂が無理する必要はねぇんだ! おら! 飛ばずそ! 歯ぁ食いしばれ!」
と、二本の尻尾を揺らしながら更に加速する。
「見えた! アレが……世界樹の盆栽」
言われた通り歯を食いしばり背中の毛にしがみ付き、走り続ける事大凡一時間。
氣で強化した視界の先に、一本の木が突き出した四角いお盆が見えた。
道中散々『盆栽』と形容されていたので、鉢植えの様な物をイメージしていたのだが、実際に見たその姿は破滅の言葉を唱えた後の空飛ぶ城の様に見える。
「坊主! 残り時間は!」
「後二十分! このままなら十分間に合いそうだな……」
沙蘭の問いに手形を確認し、安堵する……
「いや……そう簡単にゃぁ行かへんみたいやで。坊は見たらあかんで、旅猫はん右斜め前や、あの蛸どないやってもワテらを喰いたいらしいわ……」
だが丁度俺達の進路と交差する様に一度は撒いた筈の蛸神が突き進んで居るのだと言う。
「アレを迂回してちゃぁ間に合わねぇな。仕様がねぇ……坊主、ぶん投げるぞ! 落ちる所を意識しろ! 運が良けりゃ生きて辿り着く! 儂等がアレを引き付けてやらぁ!」
運が良ければ……って、此処最近の立て続けに起きているトラブルを考えれば、自分には悪運は有れども幸運は無い様にしか思えない。
「え!? ワテもでっか!? ワテは只の商人やってん、囮とかようできひんで!」
まーちゃんが騒いでいるが、沙蘭は既に巨大な姿のまま立ち上がり俺を大きく振りかぶって……投げた!
「ぐっ……!」
歯を食いしばり真横に落ちる違和感を堪えながら、江戸の猪山屋敷を強く強く思い描く。
そして……どれ程の時間が経っただろう。
気が付いた時には新年を告げる鐘の音が俺の耳に確かに聞こえたのだった。




