三百七十九 一人と二匹、一風呂浴びて全力突破を決意する事
「ぜひゅ~……ぜひゅ~……」
「はひぃ~……はひぃ~……」
「おー、お前等生きてるかー?」
「「な、何とか生きてる……」」
水道管の中は一応、メンテナンス等の事を考えて造られた足場が有り、其処を通れば濡れるのは最小限で移動出来る作りには成っていたのだが……如何せん空気が悪すぎた。
当初は鼻を摘んで口呼吸で進んで居たのだが、ソレが油断以外の何物でも無かった事を思い知らされたのは、二時間程進んだ頃だっただろうか。
智香子姉上が作ってくれた体調の変化を視覚的に映し出す眼鏡に状態変化『毒』を示す紫色の毒々しい色合いの球体が表示されたのだ。
とは言えそれも一瞬の事、自動印籠に格納されたほぼ全ての毒を即座に中和してくれる霊薬『破毒丹』が効果を現し、自覚症状が出る前に中和してくれる。
だが其処に居たのは俺だけではない、己の肉体構造を好きに変化させる事でどんな環境にでも適応出来る大猫又の沙蘭は兎も角、化け猫として比較的格の低いらしいまーちゃんは自力でこの毒を無毒化する事は出来なかったのだ。
即死する程凶悪な毒では無いとは言え、手持ちの霊薬にも限りが有り随時回復しながらと言う選択は下策である。
かと言って放置して置けば、何時かは命を落とす結果しか見えない。
こんな危険な道を選択したのは時間が足りないからだ、戻ると言う選択は有りえず、一旦破毒丹を飲ませ解毒した後、俺達は息を止めての全力疾走を選択せざるを得なかった。
流石に無呼吸で走り続ける様な事は出来ないが、時折有る外装点検用の扉を利用し、兎に角最小限の息継ぎで出口を目指し……結果冒頭の台詞の通り何とか水源へと辿り着いたのだ。
大きな湖とソレを取り囲む深い深い森、そして水道管に水を取り込む為の巨大な水車だけが其処には有った。
ちなみに水道管の上を走ると言う選択をしなかったのは、この辺一帯が『外なる神』が彷徨いている危険地域の為、下手に外へと出れば発狂不可避だかららしい。
「ふひぃ~……空気が美味いってぇのはこう言うの事を言うんやろなぁ……。っても、早う身体洗いたいわぁ……毛皮に臭いが染み付いてる気がするねん」
そんなまーちゃんの言葉通り、この場所では水道管の中に漂っていた悪臭は無く、新鮮で清浄な空気が満ちているのが良く分かる。
「……完全に水道管のメンテナンス不足が原因だな。毒ガスまで発生する様な状態なんだ皮膚病で済んでるのが御の字って所だろう」
道中受けた毒がどんな物かはハッキリとはしないが……アレだけ黴が大繁殖し、空気が淀んで居ればマトモな呼吸など出来ない、そんな場所を流れていく水が清浄で有り続ける訳も無く、汚染された水で何時死者が出ても奇怪しくは無いのでは無かろうか。
「取り敢えず、この世界に有るんだろ? 源泉。急ぐにしたって一風呂浴びてからでも悪くねぇんじゃねぇか? 臭いもそーだが、病気持って行きゃ向こうに迷惑だからな」
沙蘭も自分の身体の臭いを嗅ぎ、それから嫌そうに鼻を摘みながら、そんな提案を口にする。
ソレに反対の意を示す者は俺を含め誰一人として居ないのだった。
「ぷはぁ……サッパリ……。同じ臭いちゅーても、コッチの方がナンボかマシやねホンマに」
然程遠くない場所に『猫屋別館、湯元本店』と別館なのか本店なのかハッキリしない看板を掲げた、源泉掛け流しの露天風呂がちゃんと整備された状態で有った。
温泉を通す管は水道管以上に劣化が激しいのと、定期的に清掃しなければ所謂湯の華で詰まってしまう為、此方側にも整備担当者が常駐しているらしい。
とは言え、旅の猫が普段から行き交う場所と言う訳でも無いそうで『店』とは名ばかりの、小さな脱衣所兼駐在員宿舎が有るだけの場所だ。
「いやぁ……此方にお客さんが、ソレもマ姉貴が来てくれるなんて……、土管の掃除にゃぁ此方にも人員が必要だってなぁ解っちゃ居るんだけど……暇で暇で」
この風呂場自体、客が利用する為と言うよりは駐在員の福利厚生施設と言う意味合いが強いらしく比較的小さな岩風呂が一つ有っただけだが、それでも俺達が入浴する事に難色は示さず、むしろ風呂上がりに瓶詰めの牛乳を勧めてくれる程の歓迎ぶりだった。
何せこの世界に居るのは此処に常駐している二匹の猫だけだそうで、定期清掃以外にはやる事は無く、一月毎の交代では有るが此処に配属されるのは、半ば罰ゲーム扱いなのだと言う。
水道管伝いでは無く正規のルートで移動するならば長靴の国から此処まで一週間は掛かるそうで、唯でさえ食糧事情の宜しくない本国から運ばれてくる、然程質の良くない保存食を食べる事しか許されず、極めてストレスの貯まる職場らしい。
これだけ自然豊かな場所ならば、幾らでも野生動物なり山菜なり幾らでも手に入る様に思えるのだが、水源と湯元の環境保護と言う名目でソレらに手を出す事が禁止されているのだそうだ。
「取り敢えず一週間の道のりを一日で突破出来たなら、大分余裕が出来た……と思って良いのか?」
予備として持ってきた残り少ないトランクス一丁で、フルーツ牛乳を飲み干し、二人にそう問い掛ける。
「いや余裕ちゅーほどやあらへんよ。最短距離を突っ切るなら此処は経由せぇへん方が近いしなー。ソレでも絶対無理から、何とか成るかも知れへんって所までは来てる筈やけどな」
此処からならば無理をしなくても後三日で辿り着けるとの事、
「此処から先は儂じゃぁ経路設定が出来ねぇからな、先導は頼むぜまー公」
そう言う沙蘭では有るが、世界と世界の間を繋ぐ『雲の道』を長い事編み続ける程の妖力はまーちゃんには無く、全力で突破していくには彼女の協力が不可欠で有る。
「んー、今から出立やと今夜の宿が丁度良く取れそうな所はあらへんなぁ。この辺は此処が例外なだけで、殆どは化物が跳梁跋扈する危ない世界が多いさかい」
「するってーと、今夜は此処で一泊して、明日の朝早くに出発すんのも一つの手って事か」
小さな建物とは言え、俺達一人と二匹が一泊する程度で有れば何ら問題は無い、と此処の住人も許可を出してくれた。
気は焦るが、安心して休める場所が無い状況で進み続けるのは、二人の言う通り自殺行為だろう。
「急いては事を仕損じる、急がば回れ……って事ならば、仕様が無いんでしょうね」
そう考え、誰に言うでも無く、そんな言葉を呟いたその時だった。
腰に吊るした『手形』が急に急も大きな音を立てて震えだした。
はて、何事か……と手形を手にとって見る。
すると残り二十三時間○○秒と、一日を割り込んだ時間が表示されていた。
「え? おい! まだ十日位有る筈じゃ無かったのか? 残り時間一日未満ってどう言う事だよ!」
慌てて、そう叫ぶと、
「え? どういう事だ? 時間短縮で一気超えじゃなかったのかよ!?」
「悠長に風呂なんか入ってる場合じゃぁあらへんやないか! 此処から一日って……」
その言葉の意味を悟り、揃って絶望的な叫び声が返って来た。
「……どんなに危険でも仕方が無い……直線距離を全力でかっ飛ばして行くしか無さそうだな」
よくよく見て見みると、カウントダウンの速度は一定では無く、早く成ったり遅くなったりが目まぐるしく切り替わっている。
「うわ……マジか……坊主は本当に色々と持ってるのぅ……兎角、休んでる暇は無い、全力で行くしか無ぇって事じゃねぇの……」
「ホンマの残り時間が足りない言うても、なぁ……本当に運が良いのか悪いのか……」
此処まで来たらやるしか無いそう考えた俺は、多少の危険は踏み潰す積りで、ただ只管に一気に突っ切る選択をするのだった。




