三百七十八 一人と二匹、交渉し病原を勝ち取る事
「つまり君達は我らが宝物たる水道管に入り込み、水場を通り抜け、盆栽まで至りたいと……ふむ、それに対して如何なる利益が齎されるのかね?」
まーちゃんの話をソファーに腰掛け聞いたガルビーは、悠然と足を組み替えながらそう言い放つ。
言葉だけを聞けば利に敏い商人のそれなのだが、その目は個人の利益では無く公共の利益を追求する為政者の物に見える。
口には出していないが、その端々に『我が祖国』と言う言葉が挿入されるだろう事は容易に想像が付いた。
成金趣味その物の極めて悪趣味な外観に対して、一歩踏み込めば調度品は地味ながらも確りとした作りの品の良い調度品が並んでいる。
その様子から察するならば彼自身の好みは内装通りの物で、建物は有り物を流用しているのだろう。
「勿論無料なんてセコい事ぁよう言いまへんわ。ボンの所は良え肉の産地ですねん、此処で恩を売っておけば美味い物が増えまっせ?」
……確かに猪山は『熊』に『鹿』『猪』『狢』に『兎』と、野生動物の宝庫で有りソレを狩る猟師も多いと話には聞いて居るが、輸出に回せる程大量に取れるのだろうか?
「ソレを運び込むのは貴女の商会の定期便で……でしょう? 結局儲けるのは貴女で有って我らでは無い。個人の利益では無く公共の利益を提示したまえ」
だが肩を竦め溜息を一つ吐き話に成らないと首を振る、その態度には『コレだから商人は……』と言う言葉が見え隠れしている。
……うん、言葉の端々から赤い思想が溢れているのがハッキリと感じられる。
恐らくは彼の出身地だと言う崩壊した『祖国』と言うのは前世の『あの国』か、若しくは類似世界の似たような国なのだろう。
「……勿論、私個人に対する賄賂等と言う下衆極まりない手段は受け付けない。貴殿ら商人が利益を得る事に血道を上げる事自体を邪魔する積りは無いが、ね……」
清い流れの中で生きる事こそを至上とし清濁併せ呑まないと断言するその姿勢は、個人的には極めて好感が持てるが、その協力を取り付けたい今の状況では少々頭が痛いのも事実で有る。
「個人の利益を否定してる割には、えらく高い水道料金を取ってるって話じゃねぇの。色々と矛盾してるんじゃねぇ?」
頼む側の立場だと言うのに、そんな揶揄するような発言をしたのは当然ながら無頼漢を気取る沙蘭だ。
「ふむ……誤解がある様だから説明させてもらうが、水道の利用料は私個人の懐に入れている訳では無い。私がテコ入れしなければ余りに酷い財政赤字垂れ流しの運営で、国家崩壊まで秒読段階だったのだ」
それに激昂する様な事も無く静かにそう反論しつつ、猫に政治は向かないのだろう、と再び溜息を吐く。
個人の資質も有るだろうが、基本的に自由な生活を好む猫達の多くは真面目にやるなら重い責任がのしかかり激務となるのが基本となる『政治家』への適正は低いかもしれない。
っと!? 待てよ……彼は『官側』としての滅私奉公が確かに染み付いている様だが、彼の下に居る者達にもソレが徹底されているのだろうか?
此処に来てから聞いた温泉が繁盛している理由……皮膚病が流行していると言う話だったが、その原因が水道か若しくは水源に有る可能性は皆無では無いだろう。
「……水道管、及び水源の衛生状態の確認を兼ねると言うのはどうでしょう? 皮膚病の原因が特定出来たならばソレは十分公共の利益に叶うのでは?」
駄目で元々、通ったら儲けもの、その程度の甘い考えでそんな言葉を口にして見る。
「ふむ、有り……ですね。それに加えて先程の話に出ていた食材の入手も有り得るのであれば、我が国に対する貢献としては十分……と言えるでしょう」
と、多少なりとも彼の心に響く物が有ったのか、不敵な笑みを浮かべ、快諾の言葉を放つのだった。
緑色の……恐らくは青銅製と思われる大きな大きな土管。
大の大人ならば、立って入るのは難しいサイズでは有るが、俺や猫の二匹ならば駆け抜ける事も難しくは無さそうだ。
そのメンテナンス用ハッチまで自ら案内してくれたガルビーは、手にした大きなソレこそ猫の身では自らの身長と変わらぬ程に巨大な金色に輝く鍵を、ハッチの鍵穴に突き刺し回す。
金属が擦れ合う嫌な金属音を響かせながら開かれたハッチの奥からは、緑青と黴が入り混じった何とも言い難いエゲツない悪臭が鼻を付く。
「……長い事メンテナンスされてないんじゃないか? 開けただけでコレだけ臭うって事は、最低限の掃除すら碌にされていない様に思えるんだが……」
この中を通って行くのか? そう思うと、俺は自らの提案に後悔し始めていた。
と言うか考えてみれば、この中の水が皮膚病の原因だと言うのであれば、その中を突っ切る俺達はほぼ確実に感染する事になるんじゃないのか?
江戸では将軍家の者は勿論、大名も旗本も御家人も、大店の商人達もその日暮らしの一般町民までも、頻度の差はあれど全く風呂に入らぬ者は居ない。
とは言え、個人用の風呂を持つ者など上様ぐらいで、基本は複数人が纏めて入れる様な共同浴場だ。
猪山藩の江戸屋敷でも、大名一族も家臣達も使う時間は別けられてはいるが、同じ風呂場を使っている事に違いは無い。
しかも日によっては社交やその他の理由で、屋敷の風呂を使わず銭湯を利用する事すら有るのだ。
そんな生活の中で感染性の皮膚病なんぞ持ち込めば、あっと言う間に感染拡大を起こす事は想像に難くない。
ソレを解っていて病気を持ち込む様な真似はしたくは無いが……他の選択肢はもう無いのだろう。
人の身ですら色々と覚悟を決めないといけないレベルの臭いに恐れ慄いて居ると、当然人間よりも鼻の効く三人は俺以上に腰が引けている。
「……貴君らの献身、真に感謝する。無事本拠に辿り着ける事を祈って置こう……担当者は雪原送りだ……」
想像以上の難関だとガルビーもが認識したらしく、気の毒そうな目で此方を見つめ、それから不穏な言葉を口走る。
「ほ……ほな行きまひょか……こらワテも向こう着いたら念入りに洗わなアカンなぁ……」
「……坊主、氣を身体の表面に巡らせとけ、気休め程度にしかならねぇだろうがな。あと向こうに着いたら暫くは銭湯やら家族風呂やらは辞めて置いた方が良いんじゃねぇか? どっか良い温泉が有りゃそっちを紹介してくれや……」
氣を感染予防策に割くのであれば、目に氣を回す余裕は無いだろう。
そう考え、リュックの中から手回し充電式懐中電灯を取り出す、コレは電灯としてだけで無く、パソコンや携帯電話等の手回し充電器としても使える便利な奴だ。
少しの間ハンドルを回し、ソレからスイッチを入れると、問題無く煌々とした光を放ち始める。
恐る恐る、中の空気を深く吸わない様に注意しながら水道管の中身を覗き込んで見れば、其処に広がるのは、赤黒緑と色とりどりの黴が隙間なく大繁殖しているのが一目で見て取れた。
「コレ……調査するまでもなく此処の汚染が皮膚病の原因だろ……、一年や其処らじゃぁ流石に此処まで汚れねぇぞ……どんだけ長い事放置してたんだか……」
沙蘭が言う通り、此処まであからさま薄汚れたこの水道管の水を、碌な浄水施設も無しに飲用やら入浴やらに使えば、病気に成らない方が奇怪しいレベルである。
「定期検査に定期清掃の報告書は上がっていたのだが、この分だと完全に偽装だな……官側の腐敗は国家を滅ぼす悪徳だと言うのに……」
呆然と呟くガルビーの姿を尻目に俺達は薄汚……激しく汚い水道管へと踏み込んで行くのだった。




