三百七十七 一人と二匹、仲間と別れ大作戦を決意する事
「ワテは川中嶋のおマエ、商人だす。気軽に『まーちゃん』でも尊敬を込めて『ま姉貴』でも好きに呼んでやー」
怒声の後、溜息を一つ吐いてからそう名乗った彼女は、おミヤの依頼でやって来た迎えの者だと言う。
火元国に本館を持つこの宿に様々な物を江戸から定期的に荷物を運び込む商家を営む化け猫らしい。
江戸と此処に定期便を敷いていると言うのだから、迎えとしてはこれ以上無い選択と言えるだろう、通常ならば……。
この長靴の国から世界樹の盆栽まで尋常な方法で移動すれば、かかる時間は大凡十日から二週間、旅慣れた猫又が全力を出したとしても一週間は、ぎりぎり切れるかどうかも怪しい所なのだと言う。
しかもソレは荷物や休憩と言った物を全て切り捨ててただ突っ走った場合の話で有り、複数の足手纏いを抱えてと言うのは、前提条件そのものが大きく違うのだ。
「っても、そりゃ安定した道順で通った時の話だろう? 多少危険でも最短距離を突っ切りゃ何とかなるんじゃねぇの?」
だからと言って諦めるのはまだ早いだろうと、そんな言葉を口したのは当然旅慣れた沙蘭だ。
「ソレに時間制限が有るのは坊主だけの事だし、他の連中は後からゆっくり安全な道を連れてきゃ良いだけの事った。荷物だって吉八にでも背負わせりゃ良いんだしな」
……言われて見れば、蕾は俺より一つ下の六歳で年が明けても、まだ界渡りが制限される事は無いし、沙蘭や吉八さんはそもそも自由にソレが出来る猫族だ、制限時間に縛られて居るのは俺だけである。
「無理は承知、危険覚悟や……言うんやったら、まぁ間に合わせる手が無い訳や無いけど……ワテがそんな危ない橋渡らなアカン理由も有りゃせぇへんのやで? 幾らおミヤはんの依頼やて言うても命まで張るにゃぁ……なぁ?」
何処から取り出したのか、算盤を弾きながらそう言うまーちゃん。
おミヤから約束された報酬は無事に連れ帰れば小判で百両。
決して少ない額面では無いが、命の代償と言われれば確かに少々安いかも知れない。
とは言え江戸で一般的な命掛けの仕事で有る、鬼斬でも余程の案件でなければ一回の仕事で百両もの報酬が出る事は無いだろう。
だがその表情を見れば、完全拒否では無くおミヤが約束した報酬とは別に危険手当を引き出そうとしているのは容易に想像出来る、何せ相手は銭の為なら親でも売り払うとまで言われる川中嶋の商人なのだ。
「……現生を直ぐにとは言えないけれども、此処までの道中で手に入れた珍しい宝は幾つか有る。帰還後分割払いって事にしてもらえるなら……相応の額面を約束する」
と成れば、彼女を動かす方法は極めて簡単な事、溜息を一つ吐いてそう言えば、
「毎度おおきに! 猪山の男児がそ~言うなら、取りっぱぐれは有りゃせぇへんわ! ソレにそちらさんが言いはる通り、鬼斬童子はんだけ連れて突っ走るなら何とか成らん事も無いわな! その代わり……」
猫の表情を読む技能など持ち合わせては居ない俺だが、それでも一発で解る様な良い笑顔でそう言い放ち一旦言葉を切り、
「本気で地獄見せたるさかいに覚悟しぃや?」
それから不穏な言葉を口にする。
「ガチの地獄を通って来たんだ……今更ビビってんじゃねぇぜ坊主?」
そしてソレを笑って流す沙蘭。
いや地獄も煉獄も自力突破では無いのだが……まぁ態々ソレを指摘する必要も無いだろう。
「これでも武勇に優れし猪山の男……あの世だろうと地獄だろうと怖じ気付く事など無い。何処からでも掛かってこい!」
少々芝居がかった物言いとは思うが、江戸の者が言いそうな台詞回しを考えそう返すのだった。
「へぇお連れ様は次の定期便と一緒にお連れするから、それまで逗留してもらうって事ですにゃ? 此方は商売ですんで全く問題にゃーですにゃ。ご無事のご帰還をお祈りしてますにゃ」
蕾と吉八さんを残し即時出発を決定した事を伝えると、小竜は胸を叩きながら二人の事を請け負ってくれた。
「んだば、オラとおっちゃんは此処で一旦お別れだぁな? ちゃんと着けると良いだな」
「この子の面倒は儂が見る故、安心して突っ走って下され。無事に再会出来る事を祈っておりますぞ」
二人も此処に残る事に異議を唱える事は無く、快く俺達を送り出す言葉を口にする。
沙蘭が提案した通り吉八さんには荷物もお願いする事に成ったが、それに対しても丸っと承諾してくれた。
「ほな行きまひょか。本気で無理無茶無謀の最短距離を突っ切るんやったら挨拶せなアカンお猫が居りますさかいにちゃっちゃとな」
送り出してくれた者達を振り返る事無く歩き出したまーちゃんが、早速危険な道へと向かうのかと思えば、その前に寄る所が有ると言い出した。
「急がねぇといけねぇってのに、態々面を出さねぇと成らん相手って誰だよ? 此処の猫王か? それとも別の誰かかね?」
先導して歩くまーちゃんの足を止めさせる事無く沙蘭が問い掛ける。
猫又や化け猫、猫妖精等の猫族幻想種とでも言うべき連中が居れば、それらを統率する猫の王は各世界に最低一匹は居るのだと言う。
猫王はそれぞれの世界の猫達の頂点で、界を渡った別世界の猫王とは常に同格なのだが、全ての猫達の本拠地で有る此処『長靴の国』だけは例外で、此処を統べる猫王は他所より一段格上と扱われるのだそうだ。
「これから会わなアカンのは、此処では猫王の次かその次位の権力を持つ御方ですわ。今の長靴の国の経済と全ての猫の生活を支えていると言っても過言や無いからなぁ」
そう答えながら彼女が指差した先は長靴の遥か高み、超高層エリアに築かれた黄金色の毳々しい悪趣味極まりない建物だった。
「……彼処には誰が?」
そう問えば、
「長靴の水道王、ガルビー閣下の御屋敷でんがな」
端的にそんな答えが返って来た。
曰く、この長靴の国に幾つものパイプラインを引き、水道だけで無くガスやその他インフラを作り上げ牛耳って居る男だそうだ。
と、其処まで聞けば、彼女が何処を通ろうと考えているのか、何となくでは有るが想像が付いて来る。
何が通っている物かは知らないが、何処かのパイプラインを利用しようと言う事なのだろう。
だがソレが繋がっているのは、飽く迄も此処から然程離れていない別世界まで……だと言う話では無かっただろうか?
「此処だけの話……管の内の一本は世界樹の盆栽のかなり近くまで繋がってるちゅー話しやねん。ソレがどの管かはワテも知らんけど、ガルビー閣下の御助力が有りゃ……それでもギリギリやろけどなー」
言っている間に、壁際に設けられた人力エレベーターにたどり着き、上までの料金を支払い乗り込む。
歯車と歯車が擦れ合う音を響かせながらゆっくり、ゆっくりと登って行く。
「閣下は金銭より人の為民の為っちゅーお題目が大好きな御方や、袖の下とかその手の物も毛嫌いしとるさかい、言動にゃぁ注意したってな」
悪い人では無いが清濁併せ呑めないタイプの、政治には向かないタイプでも有るらしい。
程なくしてエレベーターが目的の階に到着し、眩しく輝く悪趣味な邸宅へと辿り着く。
「お? 商売人が我が家を訪ねてくるとは、今日は雨でも振るのかな? とは言え、態々訪ねて来た人間なんて珍しいお客さんを何時までもまたしておく訳にも行かないね。ようこそ我が新たなる祖国へ、新たなる幼き友よ」
其処で俺達をそう言いながら迎え入れたのは、細身のロシアンブルーなのだった。




