三百七十四 二人と一匹、新たな道連れを得て辿り着く事
「良かったのかい? 馬鹿を一発殴ってからじゃなくて」
タイガードラゴンランドを離れそろそろ次の世界へと踏み込もうと言う頃、沙蘭はそんな事を言い出した。
「何を今更……あの手合には殴る価値すら無い、こっちの手が痛く成るだけ損だ」
対してそう返した俺の言葉は、別段強がりだとかそう言う類の言葉では無い。
謝罪と言う名の歓待は御免被ると明言していたにも関わらず『古き恩人を歓迎する宴』などと銘打った、沙蘭の存在を政治利用させろと言わんばかりの晩餐会が開催されると聞かされ、更には
「謝って欲しいと言うならば謝罪してやる事は吝かでは無いが、その分どんな見返りが有るのか?」
等と大真面目に口にしていたと言うのだ。
此処まで頭の構造が違う相手だと、これ以上関わり合いに成った所で馬鹿を見るとしか思えず、さっさと抜け出して来たので有る。
「威光兄ぃもいっつも偉そうだっただが……兄ぃはその分、文も武もきっちり頑張ってたなぁオラでも知ってるだからなぁ……ありゃぁ、おっとぅどころかオラにもおべっかばっか言っとった連中と同じ目をしてただよ」
蕾は俺達の中で唯一領主当人と顔を合わせていたのだが、幼いながらも王族として人の上に立つ者達の姿を多々見ていた彼女の目には小物としか言い様の無い男と映ったらしい。
「本当に……何処でどう育て方を間違えたのか……。旅猫様方は勿論、タイガードラゴンランドの歴史と伝統を築き上げてきたご先祖様方に……なんとお詫びすれば良いのやら……」
そして俺達の言葉にそんな感想を漏らすもう一人の同行者……仮称『吉八』さんだ。
何を言った所で自分の言を聞こうともせず、寧ろその苦言を厭い、穏当に済んでも押込、下手をすれば暗殺……と、不穏な事を考え始めていた実の息子から逃れる事を選択した男で有る。
そろそろ身辺に不安を覚えていたタイミングで俺達の一件が有った為、これ幸い……と言う訳では無いが、最低限度用意してあった旅の荷物を引っ掴んで共に脱出したのだ。
虎獣人は大枠としては猫族で有る為、年齢に関係無く『界渡り』に耐える事は出来るのだが、文化的な生活に慣れた虎人は余程『術』の類に長けた者でなければ裏道に入る事すら出来ず、自力でのソレは殆ど不可能なのだと言う。
「先祖代々築き上げてきた『安心』と『安全』の『信頼』ソレを切り売りする様な真似をすれば決して長くは続かぬと言うのに……本当にあの馬鹿息子は……」
タイガードラゴンランドは界渡りをする猫達が『安心』してその身を休める事が出来る宿場として成立し、世界を越えぬ者達にとっても魅力的な観光地として発展した。
長い時間を掛けて築き上げた信頼を悪用すれば、目先の利益など幾らでも稼ぐ事が出来る、偽ブランド品なんかが解り易い例だろう。
とは言え偽物は飽く迄偽物で有り、ソレが本物の信頼を棄損し兼ねない物で有る以上、本物はそれらを血眼に成って潰すのが当たり前の対応で有る。
だがその信頼を本物が悪用したならば?
向こうの世界でも、老舗料亭や大手ホテルが食品偽装やら食材の使い回しやらをやっていた事例が有ったが、ソレが明るみに出た時には決して小さくない問題と成り、長い年月を掛けて築き上げた信頼は一瞬で瓦解した。
それを考えればきっとあの街はもう長くは保たないだろう。
「まぁ……今更どうこう言った所で、取り返しは付きはしない……儂は儂でこれからをどう生きるかの心配をするべきであろうかの……」
深い深い溜息に篭っているのは、後悔と絶望と……そして諦めの色。
「何処まで着いてくるかは知らねぇけどよ……こちとら時間が無ぇんだ、落ち込むなら長靴の国に着いてからにしてくんな……彼処まで行きゃお前さんならどうとでも生きていけるだろうよ……」
そんな吉八さんに沙蘭は面倒臭そうに深い深い溜息を吐きながら、そう言い放つのだった。
旅は道連れ世は情け、とは言う物の吉八さんを加えた旅路はソレまでと比べ圧倒的に楽な物に成った。
子供と猫だけの……しかも大量の荷物を背負った一行は不埒な考えを持つ者からすれば、襲って下さいと言わんばかりの美味しそうな得物で有る。
其処に老齢とは言え屈強な虎人の保護者が参加すれば、悪党共も二の足を踏むのは当然の事だろう。
亀の甲より年の功と言う訳では無いが、交渉やら何やらの場馴れと言う意味ではやはり沙蘭の方が一日の長は有るのだが、残念ながらパッと見小さな猫にしか見えない以上、第一印象の時点でインパクトが違いすぎる。
「いやぁ……真逆、予定じゃぁ二週間は掛かると思ってたのが、たった三分の一の時間で此処まで進めるたぁ……揉め事が無いって素晴らしいやぁねぇ……」
むしろ三日に一回は襲撃されていた今までが余りにも悪党ホイホイ過ぎたのだ。
トラブルが有れば即日その世界を旅立つ事が出来ず、数日足止めと言う事も決して少なくは無い。
ソレが全く無いと言うだけで、沙蘭の言う通り順調過ぎる位の勢いで旅程が消化されていた。
「して……旅猫様、件の長靴の国とやらには後どれ程で付くのですかな? 界渡りをする猫達が集うタイガードラゴンランド以上の拠点と言うのは、この老骨に取っても大いに興味が湧く所で有りますし……この大荷物は中々腰に来ますしのう……」
大きな皮の背嚢を背負直しながら、吉八さんがそう問い掛ける。
彼が背負って居るのは今まで俺が背負ってきた荷物の一部、行商の糧とする為に買い入れた様々な乾燥食品等々だ。
本当に最低限度の旅支度しか出来ていなかった吉八さんの旅費やら追加の旅装やらなんやらを買い入れる費用は、当初俺が出す積りだったのだが『子供に集るのは流石に……』と遠慮された。
其処で取り敢えずは『貸付』と言う事にしておいて、手っ取り早く稼ぎつつ先に進む為、商売っ気の有る荷物を背負って貰っていると言う訳だ。
「そーいや、その長靴の国って所さ着いたら、沙蘭たぁお別れなのけ? 前に聞いた話じゃぁ、其処で迎えが待ってだよな?」
蕾も最低限とは言え自分の荷物は自分で背負っては居るが、俺や吉八さんに比べれば殆ど無いにも等しいレベルだ。
「いや、流石に迎えにお前さん達を引き渡してサヨナラ……って訳にも行くめぇさ。儂も長靴の国までなら兎も角、世界樹の盆栽までは一度は行ってみたいと思ってたからね。吉八がどうするかは知らねぇけどよ」
もっともほんの小さな風呂敷包みを棒にぶら下げただけの殆ど手ぶらと変わらない沙蘭に比べれば十分大荷物と言える範疇では有るが。
「長靴の国の事は知らないけど、少なくとも江戸まで来れば生きる術は幾らでも有りますよ。江戸は万年人手不足ですから……」
老い先短い……と言ってしまえば失礼に成るだろうが、ソレでも寄る辺の無い老人一人を見ず知らずの場所に放り出して行くと言うのは気が引ける。
猪山藩で面倒を見る、とまでは言わずとも口にしたとおり、江戸には常に様々な口入れ仕事が有り『宵越しの銭は持たねぇぜ!』と言う様な生活は決して不可能な話では無い。
「何方にせよ、先ずは迎えだって連中と合流するのが先だぁねぇ。ほれ……次に踏み込む先が見えてきた……アレが長靴の国……だぜ?」
俺達の会話を聞き流し沙蘭が指し示したその先には、今まで見てきた『球体の世界』では無く、空き瓶の中に収まった大きなボロボロの長靴が浮かんで居たのだった。




