三百七十二 二人と一匹、再会し怒り心頭に発する事
「拐われた娘は先程目を覚ましましたので、今は湯殿で身を清めております。本来ならば夫が直接謝罪の言葉をお掛けするのが筋目なのですが……何分迂闊に他者へと頭を下げる事等出来ぬ身分……どうかご容赦を」
土下座と言う文化がこの地に有ったならば、きっとこれ以上無い程に平べったく成っているだろう、見ていて可哀想に思える程の恐縮っぷりで、当代領主の妻だと言う女虎人は謝罪の言葉で俺達を迎えてくれた。
領主である以上は貴族的な立場なのだろう、如何に己自身の不徳が為した事だとしても、その当主が俺達の様な子供に公の場で頭を下げる様な事は出来はしない。
そんな姿を下の者に見られれば面子が潰れ、そうなれば下が上に従う理由の一つである『権威』が失墜しかねないのだ。
しかもソレが昨夜未明に起きた事件に関する事と成れば、既に決まっていたであろう今日の公務を中止してと言う事に成れば、それを知った下々がどう考えるか……。
『申し訳ありません』『いえいえ此方こそ』とお互いに謝罪から関係を始めるのが当たり前な火元人ならば、己の非を素直に認める事で懐の深さを示す事も出来るだろうが、残念ながら世の大半は『謝罪したんだからお前が全て悪い』と言う文化が占めている。
そして『強い王』ですら、隙を見せれば喰われるのが世の常だ。
弱腰と映る様な態度を、俺達の様な何処の馬の骨とも知らない『子供』に対して行えば、先ず間違い無く下克上の嵐が吹き荒れる事だろう。
こうして内々に秘めたる形とは言え、領主の父と妻が謝意を示している事すら、タイガードラゴンランドに対して大恩有る『沙蘭』が居るからこその話で、これが全く縁もゆかりも無い猫又と子供達だったなら、恐らく俺達はまだ牢の中に居た筈だ。
「いえ……俺も国元へ帰れば統治の側に座る者ですのでお言葉ご理解致します。それに悪いのは御領主様では無くその目を盗んで悪事を働く輩です故、俺達の様な子供相手にそう縮こまらないで下さい」
警察官をしていれば犯罪者本人からでは無く、その身内――両親や、配偶者、時には教師や上司等――から謝辞の言葉が掛けられる事は決して少なく無いが、その度に『馬鹿をやらかした身内の為に大変だな』としか思えなかったし、今回も殆ど感想は変わらない。
まぁその手の謝罪すら無く、逮捕した事を逆恨みして罵倒を浴びせて来る様な身内しか居ない様な奴も中には居たが……そんな真似をして刑事が怯えて手心を加える様な事をすると思うのだろうか?
兎角、後者の態度で接してきたので無いならば、実行犯以外を殊更に責める心算は毛頭無い。
とは言えそれは蕾が無事に救出された、と聞かされているから言える話では有るが……
何とも言えない気持ちでお互いに気を使い合い、気不味い空気がその場を支配しかけたその時だ、
「でっけぇ風呂、気ン持ち良がったでよ。あんなでっけぇ風呂さお湯入れんの大変だぁなぁ! オラびっくりしちまっただよ!」
俺達の心情を他所にそんな呑気なセリフを吐きながら、青と白のエプロンドレスの様な服を着た蕾が姿を現したのだった。
「知んねぇ。起きたら此処に居ただよ。んで身体中えらい臭ぇもんだから、此処の侍女に頼んでお湯さ貰おうと思ったら、風呂さ入れって言われただよ」
誘拐の被害にあったばかりだと言うのに、然程ショックを受けた様子の無い蕾に詳しい話を聞けば、返って来たのはそんな要領を得ない応えだった。
……うん、まぁ多分、彼女と出会った時同様、寝惚けたまま用足しに出掛け、その最中にあの鼠人達に拐われたんだろうと言うのは想像に難くは無い。
とは言え、がっつり拐われた上に粗相をブチかまし、それで汚れた衣服を剥ぎ取られても、起きる事無くその記憶も全く無いと言うのは、この先色々と心配に成る……。
幸い今回は犯人達が本吉の同類では無かったから良かったが、下手をすれば眠っている内に取り返しの付かない事に成っていた可能性も無い訳では無い。
「……取り敢えず、向こうに着くまでは嬢ちゃんが夜中に便所行く時にゃぁ儂か、坊主が付いていく様にしないと駄目だぁね。そっちに付いたなら面倒を見てくれる人位用意出来るんだろ?」
「まぁ……大丈夫だとは思う。猪山藩は情に厚い人多いから」
少なくとも母上は彼女の身の上を知った上で『拾った所に捨ててらっしゃい』なんて事は言わないだろう。
受け入れた上で、彼女にとっての最良を模索しつつも、損得勘定も忘れない……ソレが江戸一番の女博打打ち『暴君』お清と言う人である。
きっと彼女を何処に出しても恥ずかしくない淑女として育てた上で、上手く政略と彼女の幸せの両取りが出来る様、縁談を纏める筈だ。
……今一瞬、何故か智香子姉上の笑顔が脳裏を過った気がするが、きっと気の所為だろう。
「んで、嬢ちゃん。どっか痛い所とか無ぇのかい? 出来りゃ日が高い内に次の場所まで行きたい所なんだがね。たぁ言え、無理させるのは儂も本意じゃねぇからね。気になる所が有るならちゃっちゃと言いな」
謎の感覚に俺が一瞬黙り込んだのを横目に見ながら、沙蘭がそう問い掛けた。
「!? お待ち下さい!『旅猫』様! このまま御方々を旅立たせてはタイガードラゴンランドの……いえ、我がハルビニア家の沽券に関わります! せめて数日なりともお詫びを兼ねて歓待させてくださいまし!」
しかしソレに蕾が応えるよりも早く、領主夫人が慌てた様子で声を上げる。
「いや、儂等にゃ儂等の都合が有る訳よ。そんな悠長に歓待とか受けてる時間無いんだわ。つかその辺の事お前の旦那に話、通ってんのかい? ちゃんとしてるんならルシウスの坊やが馬鹿息子呼ばわりしねぇんじゃねぇの?」
何処からか煙管を取り出し、煙草を詰めながら苛ついた様子でそう言い返す……と、夫人は一瞬肩を震わせ押し黙った。
……ああ、そう言う事か。
この謝罪、今の段階で領主本人の意思は介在して居ないのだ。
大恩有る……いや、複数世界にネットワークを持つ旅猫一党が、事件に巻き込まれた事で、この街が出来た時の様な勢いでネガティブキャンペーンを展開されては、この地が誇ってきた『安心』と『安全』と言う評判は地に落ちる。
暴力で黙らせるは万が一逃げられた時の事を考えれば、ソレを選ぶのは馬鹿の所業だが、謝罪の言葉を尽くすなり、財貨を積み上げ賠償の意を示すなり、黙らせる方法は幾らでも有る筈だ。
にも関わらず彼女が俺達を歓待と言う名の檻に閉じ込め、時間を掛けて悪感情を解き解そうとしているのは、現当主とやらは余程先の見えない愚か者だという事だろうか?
「お嬢さんを危険に晒した根底には、ウチの馬鹿旦那が少なからず関係しているんです……」
俺達の表情を見て言い逃れは出来ないと考えたのだろう、一瞬の躊躇いの後、夫人は苦虫を噛み潰した様な声でそう話始めた。
此処最近噂に成っている『子供の誘拐事件』それは領主主導の人身売買なのだと言う。
世界を渡る猫族以外にもこの世界からも決して少なくない者達が此処へと訪れる。
その大半は、世間ずれして居ない言わば『お上りさん』ばかりで、彼らから財貨を騙し取るのは然程難しい事では無い。
最近では持ち込まれた金品を巻き上げるだけでは飽き足らず、イカサマ賭博で借金を背負わせ子供を形に取り、捕らえた子供を他所へと売り飛ばす……そんな事をしているのだと言う。
そうして出来上がった奴隷市場を目当てに暴走した馬鹿が、マイケル達と言う訳だ。
「こんな下衆な真似をしなくても、健全な運営をしていれば決して損は無いと言うのに、あの人は何でこんな馬鹿な事を……」
そう言いながら泣き崩れる夫人の姿を見て、俺は取り敢えず領主を一発殴る事を心に決め、拳に力を込めるのだった。




