三百六十九 一人と一匹、踏み込んで打ち倒す事
「取り敢えず裏口なんかが無いか確認してくるから、坊主は此処で張ってな。まぁ……随分と盛り上がってる様子だし、下手な事しなけりゃ見つかりゃしないたぁ思うが、気ぃ付けなよ」
と沙蘭は潜めた声でそう言って、建物と建物の間へと飛び込んで行った。
ぱっと見る限り周りは倉庫街、それもかなり安普請の上に大半はそろそろ耐用年数を過ぎているだろう建物が並んでいる、関係者でも用が無ければ誰も足を運ばないそんな立地だ。
酒場の看板を掲げている建物とてソレは変わらず、隙間の多い板壁では大した遮音性は期待できず、中で交わされる会話は殆ど素通しに近いレベルで聞き取る事が出来る。
「しっかし兄貴、こんな小便臭ぇ雌子供掻っ攫って来て本当に儲かるんですかい? 奴隷にすんなら使い出の有る男の方が高いのが普通ですぜ?」
……深く探るまでも無く、此処が犯人の隠れ家だと割れた、しかしこの世界には奴隷なんてのが普通に居るのだろうか?
「馬っ馬、お前が言ってるのは労働用の奴隷だろ? こんだけ綺麗な面してる上に、角の有る子供なんてこの辺じゃぁ見かけねぇ、珍しい物は高く売れるのが道理ってもんだ」
兄貴と呼ばれた――恐らくはリーダー格らしい男は、諭す様な口調で手下を窘める。
「態々他所に売りに行かねぇでも、身代金を取るんでも良いんじゃねぇです? 連中あの店で両替した分以外にもお宝たんまり背負ってたのは間違い無いんでがしょ?」
と、先程とは別の手下が続けて疑問の声を上げれば、
「ど阿呆、この子供共連れた猫ぁ、あの両替屋の糞親父と昔馴染みらしいからな。ただの猫人じゃぁ其処まで長く生きる筈もねぇ……ありゃ化物の類だろうさ。さっさととんずらして売り払うなら兎も角、化物相手に交渉なんて危ない橋を渡るのは俺は御免だぜ」
言いながら頭でも小突いたのだろう、硬いものが打つかる音をさせながら、そう返答を返した。
「またまたー、兄貴の能力がありゃ、あんな小汚ねぇ猫の一匹や二匹目じゃねぇでがしょ? この間だって兄貴が一寸何か言っただけで警備隊の糞虎、血相変えて逃げてったじゃねぇですか」
しかしソレを謙遜と取ったのか、またまた別の手下らしい男の声が聞こえる。
「本っ当に大間抜けばっかかよ、お前等。良いか……低能は相手を侮るから最後にゃ必ず痛い目を見る。けどな……俺は侮らねぇ、此奴だってあの猫が馬鹿みたいな勢いで呑んでたから決行したんだ、幾ら化物でも潰れてちゃぁ気付く事すら出来ねぇからな」
……酒では無く自分に酔っているのだろうか、含み笑いを堪える様な口ぶりでそう言い放つ。
「チチチチッ! 流石はマイケルの兄貴、厄介な化け猫が起きた頃にゃぁ俺達ゃもう街を出てる……って寸法ですかい」
更に別の男が心底嬉しそうに笑えば、
「おう、そう言うこった。つ~訳で今呑んでんので最後にしとけよ! 悠長に潰れてる様な頓痴気野郎は置いてっからな! 此処の連中外まで追ってくる事ぁ無ぇが、中でとっ捕まったら一生農奴だぞ! 折角ご先祖が逃げたってのにソレをパァにするんじゃねぇぞ」
此方も勝負は付いたと思い込んでいるのだろう『侮らない』等と本の数秒前に口にしたばかりだと言うのに、釘を刺す声は明るく、油断仕切って居るのが丸解りだった。
短い会話を盗み聞いただけだが色々と解った事は有る。
犯人グループは少なくとも五人以上。
営利目的で誘拐で彼女を売り払う積りである以上、今の所彼女が無事である事は間違い無い。
そして奴等の素性……恐らくはタイガードラゴンランドが成立した時に、この地を去ったと言う獣人の類だろう、そしてリーダーの名はマイケル。
裏取りをする余裕は無いが、警備隊に情報提供すれば、捕らえる事は出来ずとも、再び馬鹿をやる余裕は無く成るだろう。
最優先は飽く迄蕾の救出で有って、犯人確保は俺達の仕事では無い。
と俺が一人そう結論付けた時だった。
「……裏口は一箇所有ったが、ちょいと弄ってみた感じ、中にゃぁ荷物が積み上がってて開きそうに無いね。コッチから火でも放ちゃ逃げ場無く丸焼きの出来上がりって所さね。ったく、儂を梅干し呼ばわりしたり酒乱呼ばわりしたり……本気で火付けたろかね」
物騒な台詞を吐きながら、行った時とは反対側から沙蘭が戻ってきた……どうやら相当腹に据え兼ねて居るらしい。
「……俺達の目的は蕾の救出、馬鹿の始末にまで手を出してる余裕は無い。てか……放火は無関係な者を巻き込むから絶対却下だ」
脱出路が無いならば追い詰める事で、人質が危険に晒される可能性は高まってしまう。
逆に逃げるチャンスを与えてやれば、馬車や自動車の様な足がなければ、態々邪魔に成る人質を連れて行く事は無いだろう。
そんな判断の下俺は安っぽい木製の扉を蹴り開け中に踊り込み、そして……。
「とっ捕まえる積りなんて無かったのに……何でこんな弱い癖に逃げないで立ち向かってくるんだよ……」
意識加速を最大にして室内を見回し、ボロ布に包まれた姿で眠っている蕾を見つけ、縮地で即座に彼女を確保したのだが……問題は彼我の実力差も理解出来ない程度のチンピラ以下の三下揃いだった事だろう。
沙蘭も態々入り口から壁際を回り込む様にして移動し、逃げる余地を残してやったと言うのに誰一人と逃げようとはせず、ド素人丸出しのすっとろい動きで殴りかかって来やがったのだ。
当然、態々仕掛けて来た奴らを逃してやる様な事はせず、きっちり一人ずつ顎を掌底で打ち抜き沈めていった。
せめて複数で囲むなり、同時に仕掛けて来るなりすれば良い物を、近くに居たものから順次飛び掛かってくるのだから、カウンターを取ってくれと言われてる様にしか思えない。
「……ちょ! お、お前等! 化け猫なら兎も角、何でガキ一匹に全員伸されやがんだよ!」
いや一人だけ残っていた……黄ばんだ薄汚いボロ布を身に纏ったその男が、恐らくはリーダー格のマイケルなのだろう。
魚河岸の鮪の様に床に横たわった者達も服装こそ同じでは有るが、その男が着ている物は一寸比べ物に成らない程に汚れていた。
「糞! なんだよ! ガキが……ガキがこんな強いなんて、理不尽だろうが!」
完全に気圧された様子でボロボロと涙を流しながら、吐き捨てる様な口振りでそんな言葉を吐く。
「しかも出口を固めねぇって事ぁ、偉そうに逃げても良いですよ~……てな訳か! ああ! ガキが調子に乗ってんじゃねぇぞ! いいさ! 良いさ! 全部ぶっ壊してやんよ! 化け猫ぉ! 手前ぇも纏めて食い殺してやらぁ!」
全部俺達が悪い! と言いたげな咆哮と共に奴の足元から黒い物が湧き出し溢れてくる。
床板を食い破り出て来たのは……黒い鼠の群れだった。
「折角、良い土地を馬鹿な奴から買い叩く準備が出来て、ご先祖様が追い出されたこの街でデカイ面してる連中に一泡吹かせてやる手段を手に入れて……やっとこれからって時だったのによぉ!」
吹き出して来た鼠の群れは丸で一匹の蛇の様に連なってうねり、俺を食い殺さんと鎌首を擡げる。
「クヒ……クヒ……クヒヒッ……まだ間に合うよな! お前等食い殺してから逃げりゃ……呆け虎共にとっ捕まる事ぁねぇ……。おう……俺を本気にさせるとか……お前等本当に運がねぇよなぁ……」
引き付けを起こした様な笑い声を漏らしながら、マイケルは丸で自分に言い聞かせる様にそんな言葉を口にした。
恐らくは『鼠を操る』のが奴の能力なのだろう、数が揃えばソレは確かに十分脅威と言える。
目の前に居るソレも数えるのも馬鹿らしい程で、装備の無い今の俺が単独で対処しなければ成らないのであれば、骨も残らないだろう。
だが今は恐れる必要など無い。
「ーーー!!」
人の耳には聞こえぬ咆哮が沙蘭の口から放たれる。
例えソレが超常の能力で操られた物とは言え所詮は鼠、たっぷりと妖気が練り込まれた天敵の咆哮を受け、逃げ出さないはずが無いのだ。
「高々ネズ公の分際で、良くもまぁ儂のツレに手を出しやがったもんだわなぁ……」
『窮鼠』は追い詰められているからこそ猫を噛むのだ、逃げ場の有る状況ならばソレは当然の結果だった。




