三百六十六 二人と一匹、安心安全を疑い濡れ衣着る事
薄くツルリとした紙にその名の通り喉元が大きく膨れた鳥と、額面だけが簡単に印刷されたソレは、俺の感覚からすれば紙幣と言うよりはもっと安っぽい……商品券や地域振興券、若しくは何か催し物のチケットの様にすら見える。
「こったら紙切れに価値が有るなんて……オラには全く理解出来ねぇだよ……コレも字が読める様に成りゃ解る物なんか?」
積もる話も有るだろう沙蘭を置いて店を出た俺は、日の光の下で一枚紙幣を財布から取り出しソレを改めて見ていたのだが、すると蕾が興味津々と言った様子で手元を覗き込みそう言った。
「その物に価値が有るって訳じゃぁ無い、コレを発行している者……王なのか、領主なのか……それとも別の誰かかは知らないけれども、兎に角偉い人がその額面を保証しているから、額面通りの買い物が出来る……って事かな?」
貨幣経済が発達しておらず、物々交換が主だった場所で生きてきた彼女には、この安っぽい紙幣が記載された額面通りの価値を持つ、と説明されても今ひとつ理解出来ないのは当然だろう。
江戸で流通している小判や豆銀、銭と言った物だって、其処に使用されている鉱物の価値が有るからこそ通貨として流通しているのだ。
経済には然程明るく無いが、昔の紙幣は米や金と言った担保足り得る物の『引換券』で、時代が進んでやっと『国の信用』が担保と成ったのだと言う事位は知っている。
だが逆に言えば担保と成る『信用』さえ有れば、その規模を兎も角とするなら紙幣を運用するのは然程難しい話では無い。
実際、火元国でも特定の藩の中だけで通用する『藩札』と呼ばれる紙幣が流通していたりもする。
我が猪山藩はコレを『実態の無い嵩増しで借財と何が違う』と古来より発行を禁じてきた。
逆に河中嶋藩や千田院藩の様な経済に強い藩では、積極的にソレを利用していると聞いた覚えが有る。
コレもそう言った小規模通貨……もっと言ってしまえば『商店街限定商品券』レベルの物と考えれば、別段可怪しい話でも無い。
けれどもそれを子供にでも解る様に説明しろと言われると、正直な所困ってしまう。
蕾になんと説明するべきか……ソレを考えようと一瞬口籠ったその時だった、
「お!? ガキが随分と羽振り良さそうじゃぁねぇの! おい! そのペリカン倍にしてやるよ!」
酒を呑むにはまだ日が高い時間だと言うのに、出来上がった赤ら顔の男三人組が俺達へと歩み寄り、その内の一人がそんな言葉を吐きながら、俺が手にしているのとはデザインが違うペリカンを二枚差し出した。
……幾ら何でも子供騙し過ぎる詐欺、俺が手にしている物に書かれている額面は一万、対して向こうが差し出しているのは百が二枚で有る。
両替詐欺や釣銭詐欺ですら無い、数字が読めず通貨の価値を理解して居ない、本当に子供を騙す事しか出来ない様な低レベルな物だ。
見る限り人間以外の種族で有る事を示す様な特徴も無く、この世界の住人で有る事は間違い無い。
事前に聞いていた『虎人』と『竜人』が主だった住人だと言う情報から察するに、恐らくはこの街に滞在する観光客と言った所だろう。
「何バカな事言ってるだよ。オラ達が可愛いから小遣いやるちゅうならまだしも、交換で倍に……なんて字の解らんオラでもお前さん達が禄でもねぇ事考えてるの丸わかりだでよ」
普通の子供で有れば、大人が子供を騙す筈が無い……疑う事すら難しいだろうが、残念ながら蕾は幼いとは言え『王』の血を引く者、幼い頃から表面上は彼女を持ち上げ裏で陰口を叩く……そんな者達は幾らでも居た。
それどころか彼女自身に悪意ある言葉を吹き込む様な女官すら周りに居たのだから、他人を疑うのが習い性成っていても奇怪しくは無い。
にも関わらず、撚た子に成らず真っ直ぐな質に見えるのは、彼女の心が強い証と言えるだろう。
だがその真っ直ぐ過ぎる気質は余計なトラブルを呼び込む原因にも成り兼ねない。
「……ガキが調子付いてんじゃねぇぞ? 黙って大人の言うとおりにすりゃ良いんだ!」
事実、酔っぱらいは彼女の言葉に激昂し、怒声を上げて腕を振り上げ……たが、ソレが振り下ろされる事はなかった。
何故ならば……
「「「スタァァアアアップ!」」」
と、そんな叫び声を上げ、男達を容赦なく捻じ伏せる虎人達が現れたからだった。
「詐欺、恐喝、強盗、傷害未遂で合計千四百万ペリカンの罰金だ! 即時支払えない場合には強制労働所で罰金分働いて貰う!」
城門でも見た深緑の貫頭衣を纏った虎人達に、振り上げた腕を捻り上げられ力尽くで地面に押し倒された男達を、一人だけ金糸と銀糸で飾られた服を纏った虎人は、丸でゴミでも見るような目で見下ろしながらそう言い放つ。
「まっ! 待ってくれ! 俺達は悪く無い! 其処の餓鬼共が高額紙幣何ぞ見せびらかしてるから、何処から盗んだんだと問い詰め様としただけだ!」
組み伏せられ少し苦しげな様子で、必死に言い逃れの言葉を一人が吐けば、
「そ、そうだ! 俺達が此処に入る為に丸一年貯めて十万にしか成らなかったんだ! こんなガキがそんな大金を持てる筈がねぇ。此奴等は手癖の悪い掏摸が盗人に決まってる!」
仲間がソレに便乗し騒ぎ立てる。
曰く宿無し子が、掏摸か空き巣か……その手の犯罪を犯し大金が入った財布を手に入れ、その中身を二人で確認している、そんな姿を目撃したので善意で俺達を捕えようとした……等と意味不明な供述をブチかます
「俺達はもう明日には帰ら無きゃ成らねぇんだ! 頼む勘弁してくれ!」
最後の一人は流石にそんな与太話は無理筋だと理解しているらしく、情けない声を上げて哀れみを乞う。
「全く馬鹿な事をした物だ。このタイガードラゴンランドの安全と安心を脅かすとは……そもそもこの街に素性のハッキリしない子供等一人も居ない、そしてその手の犯罪等有り得ない! 何故なら此処は安心と安全のタイガードラゴンランドだからだ」
しかしそんな男達の言葉を理由にも成らない言葉で、あっさりと斬って捨て……
「大丈夫かい? 怖かっただろう? でももう大丈夫だよ。悪い小父さん達は仕舞っちゃうからね。ただ君達もこんな所で財布を広げる様な真似をしちゃ駄目だよ。外から来た者の中には、此奴等見たいな不埒者が居ないとも限らないんだ」
態々片膝を付いて俺達と目線を合わせてから、安心させるよう優しいそうな声で、そう注意の言葉を口にした。
「はい、御免なさい」
「すまねぇだよ……ってオラの所為じゃねぇけどな」
幾ら治安が良いと言っても、それなりに人がいる所で万札をひらひらさせるのは、確かに不用心が過ぎた行為だった。
それ故俺達は素直に謝罪の言葉を口にした……蕾は小声で余計な一言を付け加えて居たが、取り敢えずソレを咎める様な事も無く、
「さて……君達の保護者は何処だい? 迷子なら家なり宿なりまで送っていくよ? 流石に君達二人だけで此処に来た訳じゃぁ無いだろう?」
と、まぁ当然と言えば当然の言葉を言い放ったその時で有る。
「いったい何が有ったってんだい騒がしいね……と、おや警備隊の皆さんご苦労様です……で、儂のツレが何か粗相でもやらかしましたかね?」
騒ぎを聞きつけたらしい沙蘭が、さも面倒臭そうな素振りで扉を開き姿を現したのだ。
すると俺達に応対してくれていた階級が上らしい虎人は、驚いた様に大きく目を剥いて沙蘭と此方の間で視線を彷徨わせ……
「……誘拐の現行犯だ、確保しろ!」
どう言う思考の結果その結論に達したのか、とんでもない濡れ衣が沙蘭に覆い被さり、
「「「いやいやいや! 違いますから!!」」」
俺達は慌ててソレを否定するのだった。




