三百六十五 二人と一匹、街を知り札手にする事
「ほぁー……すんげぇだなぁ……。木の一本どころか草一つ生えてねぇだ……コレ全部石で出来てるだか?」
城壁の巨大さに比して余りにもちっぽけな城門を越えた俺達が目にしたのは、彼女の言葉通り石畳に覆われた地面と其処に並ぶ石造りや煉瓦造りの家が立ち並び『自然』が欠片も――それこそ街路樹の一本すらも――見受けられない、そんな街の姿だった。
だが正門から続く目抜き通りと呼ぶに相応しい大通りには多くの店が立ち並び、それらを目当てにしているだろう人々の往来も多く、沙蘭に聞いていた以上の賑わいを感じる事が出来る。
そして何よりも印象的なのは、門を潜ったばかりの……街の端っこからでも見える高い高い尖塔を有する城の姿だろう。
「全部が全部って訳じゃぁねぇさ、丁度中心に有るあの城を挟んで反対、東側の方はバカでっかい農場が広がっててな、此処の食い物の大半はそっちで造られてるんだわ」
蕾の言葉にそう返しながら沙蘭は、門から然程離れていない場所に建てられた看板へと歩み寄る。
其処にはこの街の地図が描かれており、ソレに拠れば、中心に建てられた城から放射状に広がった道で幾つかの街区に区切られ、それぞれがそれぞれ完全に役割毎に別けられている様だ。
今俺達の居る西側正門前区画は飲食店や土産物屋が立ち並ぶ地区の様で、北側の歓楽街と合わせて観光エリアを形成し、南側の工業地区と東側の農業地区の生産エリアは基本的に観光客の立入りが禁止されているらしい。
無論、上記に上げたのは極めて大雑把な区画別けで、西区画にも飲み屋は有るし、北区画にも商店の類は当然有る様だが、生産エリアに関してはただそれらしい図柄と区画名が書き記されているだけだ。
「んー。良くもまぁこんな訳解んねぇ絵を見ただけで、そったら事解るだなぁ……。字が読める様に成りゃオラにも解る様になるんか?」
沙蘭に掛けてもらっている『選文妖語』の術に依り、俺には看板に書かれた文字が日本語に見えるのだが、そもそも文字を学んですら居なかったらしい蕾には理解できる形には映っていない様だ。
「地図を見るのも、ソレを理解するにも文字が必須って訳じゃぁ無いけれど、覚えておいて損が有る物じゃ無い。まぁ向こうに付いたら向こうの言葉を勉強する必要が有るだろうし、追々覚えて行けば良いんじゃないか?」
今の所は沙蘭がほぼ常に一緒に居るから不自由は無いが、向こうに付いて彼女が自分の人生を歩み初めた時、何時までも術の力を借り続けると言う訳にも行かないだろう。
と成れば、彼女自身が火元語を覚える必要が有る、ソレと合わせて読み書き算盤を習えば良い。きっとお花さん辺りならばソレら纏めて教授する事も出来ると思う。
まぁ最悪、沙蘭が居らずとも猪河家の女中達ならば『選文妖語』も使える筈だし先送りにしても問題には成らないだろう。
そう考え口にした俺の言葉に、蕾が納得の表情を浮かべたのを確認してから、
「取り敢えず、俺としては何をするにも宿を取って荷物を下ろしたい所だけれども、沙蘭の事だから此処にも顔馴染みの宿が有るんだろ?」
移動を促す言葉を口にした。
「ああ、有るよ。だが申し訳無いけれど、まずは両替商に行くのが先だよ。此処じゃぁ物々交換は割に合わないからね」
嫌な事を思い出した……と言わんばかりに肩を竦め、そう返答を返した沙蘭に続いて然程遠くない店の扉を潜ったのだった。
『安心と安全こそが何よりの売り物』
この街を表現したその言葉とは裏腹に、薄暗い店内には鉄格子で守られた小さなカウンター。
俺の感覚からすれば海外の……特に治安の悪い地域に有る両替商の姿が其処には有った。
ご丁寧に鉄格子の奥にはカーテンが引かれており、金品をやり取りする為に置かれているらしい会計盆と呼鈴以外には、待合の椅子すら置かれていない。
「……随分と殺風景な店だなぁ」
思わず漏れたそんな感想に、他の店を知らない筈の蕾ですら頻りに頷き同意を示す。
「ウチは此処がこんな大きな街に成る前からやってるからね。昔々、大昔、其処の化け猫がまだこの辺を旅してた頃よりももっと大昔、儂の七代前からやってるんだよ坊や達……にしてもお見限りだったじゃないか沙蘭よぉ?」
と店の者が俺の言葉を聞き咎めたらく、そんな言葉と共にカーテンが開かれ、その奥に座っている角と鱗に覆われた竜人が顔を見せた。
「おやまぁ……まだ生きてたかい。前に来た時にゃぁ息子に店を譲るなんて言ってたから、もうとっくにくたばってるとばかり思ってたよ! 本当に久し振りだねぇ」
「そりゃこっちの台詞だよ。弟子が育ったから引退するなんて言ったっきり音沙汰も無いもんだからとっくにくたばってるとばかり思ってたが、真逆こんな可愛らしい子供達を連れて来るなんてねぇ」
どうやら古い馴染みの様でお互い憎まれ口を叩きつつも、朗らかな笑い声を上げている。
「なぁに、この子を目的地に送り届けたら今度こそ楽隠居の予定さね。そう言うアンタこそ、何だって未だに其処に座ってんだい? 本当ならお前さんの息子が座ってる場所だろうさ?」
だが沙蘭がその言葉を口した瞬間、店主の笑い声が止まった。
「あの馬鹿とは縁を切ったよ……この歴史有る『縞柄竜の両替所』をブチ壊して土地を売っ払うなんてバカな事を抜かしやがるんだから……」
沙蘭がこの辺を旅していた頃には既に出来上がりつつ有ったこの街だが、この店は更に古くソレこそ城壁が出来るよりも遥か昔から此処で商いをしていたのだと言う。
物々しい鉄格子は古い時代の名残で、今では周りにはこの店以外にも幾つもの両替商が軒を連ねているそうだ。
だがこうして街が発展し城門前の一等地と言って良い場所で有るが故に、この店がある土地には目玉が飛び出る程の値付けがされているのだそうで、後を継がせようとした息子は嫁に言われるまま店を売り払う話を持ち込んだらしい。
その話では三代遊んで暮らせる程の価格で買い取ると言われたのだそうだが、その数字は飽く迄も並の寿命しか持たない種族の話、長命種族で有る竜人に取っては約百五十年分の稼ぎなど、屁の突っ張り程度の金額でしか無い。
「高々その程度の金額で先祖代々、ソレこそ千年を軽く超えるこの店の歴史と誇りを売っ払うなんて出来る訳が無いさね。まぁ今日初めてで多分最後の客だ、思い切り……とは言えないが多少は色付けてやるよ。懐かしい顔にも会えた事だしね」
とは言っても、周辺の治安も雰囲気も大きく変わり、ぱっと見る限りあからさまに閉鎖的な雰囲気を醸し出すこの店は、他の店に客を奪われ決して行先が明るいとは言えない状況らしい。
「……取り敢えず今の相場で三人が二日滞在できる程度の金額に成るよう頼もうかね。相変わらず逆交換は禁止されてるんだろ?」
外から持ち込まれた貴金属や通貨で『ペリカン』と言う商品券の様なチケットを買う事は出来るのだが余ったペリカンは他の通貨に交換する事は禁止されているのだそうだ。
勿論ペリカンを使って宝飾品の店で貴金属を買い求める事は出来なくは無いが、換金の手数料を考えると、間違い無く大きな損益と成るのだと言う。
「ああ、本当に馬鹿みたいな取り決めだよ。幾らペリカンを稼いでも外では使えないんだから……ほら此奴はオマケだ、札入れなんて持ってやしないだろ?」
沙蘭に促され俺が取り出した数枚の銀貨は、一束の紙幣と成って戻って来る。
この世界の中でもこの街以外では『ケツを拭く紙にも成りゃしねぇ』と笑われるのだと言う、その札束をオマケとして貰った財布へとしまうのだった。




