三百六十一 『無題』
深く息を吐き、練り上げた氣を矢筈から篦を通し鏃へと行き渡るのを待って番え引き絞り、けれどもまだ狙いは付けず、引き切る事もせず六分目程度で押し留めた。
巨大な八脚の牛……牛鬼が酷く興奮した様子で此方へと真っ直ぐ突っ込んでくるが、私が撃ち放つのはまだ早い。
この矢は飽く迄も保険、後方に位置した僚友が撃ち放つ銃弾で仕留めきる事が出来れば、出る幕は無いのだ。
とは言え、銃は火薬の爆発力だけが頼りで氣の乗らない武器、ある程度以上の格の鬼や妖怪が相手では、無為に撃った所で一撃で倒し切るのは難しい。
今日は既に三体の牛鬼――名に『鬼』とは付くが分類的には妖怪の類――を仕留めているけれど、今の所その全てで私と更にもう一人が出張る必要が有った。
今までの三度とも、彼の打ち出した銃弾は牛鬼の頭を間違い無く捕らえて居た。
普通なら頭を撃ち抜けばそれで勝負は付くのに、牛鬼は江戸州一帯で狩る事の出来る妖怪の中でも特に頑強で、その分厚い頭蓋骨を貫く事が出来て居なかったのだ。
それでも完全に不意を打ち、向こうが此方に気が付く前の事ならば、殺しきれずとも意識を断ち切る事位は出来た筈で有る。
にも関わらず私の矢と、私の前で鍬を振り被るもう一人の僚友に出番が有ったのは、私達の索敵能力が敵のソレを下回っているからだ。
私達が子供の集まりにも関わらず、大きな戦果を上げ続ける事が出来たのは、今は居ないもう一人の友人の連れていた霊獣の猟犬の索敵能力の高さと、ソレ以上に彼の慎重さに助けられて居たのだと、彼が居なくなってから気が付かされた。
この江戸を灰燼と帰し兼ねない巨悪の陰謀を打ち払う為その身を挺した結果、彼は遥か遠い世界へと飛ばされたと聞く。
私達の中で一番年下の彼で有りながら誰よりも大人びた彼は、必ず帰って来ると皆信じている。
だからこそ三人共に都合が付けば、彼が居た時と変わらず鬼斬へと出るのだ。
幸い皆、再起不能に成る様な大怪我を負う事は無かったけれども、彼が居た時程順風満帆の狩りが出来た訳では無い。
先手を取られ近接戦闘を強いられたり、群れを相手に接敵前に殲滅しきる事が出来ず近接戦闘を強いられたり、今回の牛鬼の様に分厚い防御力で倒しきれず近接戦闘を強いられたり……と、間合いを詰められた事で後衛が危険に晒された事が何度も有ったのだ。
故に今回もまた……そう思っていたけれども……
乾いた火薬の弾ける音が響き渡り、直後牛鬼は片目が潰れ、ほんの僅かな血を流しながら、突っ込んできた勢いそのままに崩れ落ち、転がり倒れる。
今回は偶々なのかそれとも狙ってなのかは解らないが、眼球を撃ち抜き更にその奥へと突き抜けた弾が脳に達した様だ。
前衛を務める僚友は手にした鍬を大上段に構えたまま油断なく近づき、爪先で軽く突く事で生死を確かめる。
「……うん、間違い無く死んでる、今日初めての撃破だなりーち。しっかし七抜きで牛鬼はまだ一寸厳しかったんじゃないか?」
仕留めた獲物に回収用の呪符を貼り付けながら、前衛を務める僚友、野火平和――通称『ぴんふ』が、後衛を務める弟に笑い掛けながらそう言った。
今回の牛鬼狩りの仕事を提案してきたのはその弟、野火利市――通称『りーち』だったのだ。
彼らの長兄、野火清一の縁談に伴う結納品集めの為、家臣達と共に鬼斬に邁進した彼らは飛躍的に格を伸ばした。
けれども、大根流鍬術を収め氣の運用に長けるぴんふに対して、氣が乗る事の無い銃器を得物としているりーちはその攻撃力が頭打ちなのに悩んでいたらしい。
多くの鬼斬者や侍衆に銃器が『女子供の武器』と嘲笑われているのは、誰が持っても同じ程度に優れた、だがそれ以上には成らない固定威力だと言う事が原因で有る。
「……それでも少しでも早く必要な素材を集めないと、武器が更新出来ない。七が戻って来るまで時間が無いんだ。氣功銃は新兵器だから……失敗する可能性も考えれば、多分ギリギリ間に合うかどうか……」
その解決方法をりーちは以前仕事を共にした『花火』と言う女性が使っていた『抱え大筒』と言う武器に見出していた。
世間一般では『抱え大筒』と言えば、大柄な角力取りがやっと抱えられる程の大きな鉄砲の事を指すのだが、彼女の持っていたソレは莫大な氣の運用を可能にする『裸身氣昂法』と呼ばれる流派の者だけが使える氣功砲で有る。
とは言え一族相伝のその流派に入門したと言う訳では無く、阿呆程の氣を圧縮し打ち出すと言うその運用方法に目を付け、火薬の変わりに氣で鉛弾を飛ばすと言う発想に至ったのだった。
「今回の『牛鬼の角』八本で取り敢えず、試作分は集まるのでしょう? 倒しきれぬ相手と言う訳でも無いですし、サクッと仕留めてしまいましょう。と言うか、本採用の得物なら兎も角、試作分の材料は銭で買い集めても良かったんじゃないですか?」
そのまま兄弟喧嘩に突入しそうな雰囲気を感じた私は、二人の間に割って入りつつ、疑問の言葉を口にする。
浅雀藩は大藩で有り、その藩主家で有る野火家は江戸を――火元国中を見回しても上から数えた方が早い程度には裕福な家柄だ。
しかもりーちの御母堂の父親、つまり祖父はその大藩の御用商人を務める豪商なのだから、銭で買える物ならば手に入らない物は無いだろう。
にも関わらず、何故態々自分の手で素材集めなんて面倒な事をしているのか……。
それは鬼斬者達の不文律とでも言うべき『己の武具の素材は己で集める』に従っての事だろう。
とは言え、ソレは絶対に守らねば許されない事柄とまで厳しい物では無い、実際私が使っている『樹木子の弓』も『銀虫の甲冑』も全てはお兄様が狩って来てくれた物だ。
「七の新しい鎧は、手前達と一緒に倒した鬼亀の甲羅で作った物、得物は従兄殿と狩って来た牙を使った物。ソレに比べて手前等は防具も武器も銭にあかせてってんでは、鬼斬者は名乗れやしませんよ。せめて武器ぐらいは自分で用意しませんと……」
彼ら兄弟の身に纏う着物の材料――『真の銀の糸』を織り上げた反物は、防具の素材としてこれ以上無い最高級品で、ソレが家にたんまりと有るので彼らは防具には困らないのだそうだ。
それに対して、今此処に居ないもう一人の友人、猪河志七郎――七は武器も防具も自分の力で手に入れた素材で新たに作った物で有る。
自分と彼を比べ引け目を感じるのは鬼斬者として当然の感情なのだろう。
私自身、この甲冑を着続けるのもそう長い事では無く、鬼亀の甲羅を使った新しい鎧の発注を予定しているのだ。
「……ソレを言ってしまうと、俺の立つ瀬が無いんだよなぁ。武器も防具も新しくする予定が無い訳だし」
気まずそうに己の頬を掻きながら、ぴんふが言う。
鍬と言う、火元国中何処でも簡単に手に入る農具を得物としている彼は、簡単に手に入るが故に得物を使い捨てにする事に躊躇が無い。
一応『名鍬』とでも言うべき物を持っては居るが例の鬼亀との戦い以来、切り札として温存する様にしているのだ。
何せその名鍬の鍬平は浅雀藩が取り得る全ての伝手を使い尽くし、天目山に住まう鍛冶の神直々に打って貰った物なのである、それ以上の物を作れる職人など火元国中どころか世界中を見回しても居よう筈が無い。
と言うか、神造武器だからこそ、打ち砕ける物無し等と言われる鬼亀の甲羅を叩き割って刃こぼれ一つしなかったのだろう……人の手に依る柄は保たなかった訳では有るが。
「何方にせよ、お話はこの辺だね、おかわりが来た。アレを仕留めたら今日は終わりにしよう。手前の得物の為に手伝って貰って本当に悪いね、この返礼は何時か必ず……」
そう言ってりーちは、遠くから土煙を上げ此方へと駆けてくる牛鬼へと向き直り、手にした銃を構えるのだった。




