三百六十 志七郎、財宝と新たな道連れを得る事
否と言う事は許さないと言わんばかりの怒乱麻が向ける射殺す様な視線も、俺の助け舟を求めるソレもあっさりと受け流しながら分厚い肉を噛み千切る。
「……何だってまぁ、好き好んで余計な重石を背負い込むかねぇ。まぁ一番きっつい所は抜けたし、時間も想定してたよりも大分余裕が有る。坊主が構わねぇってんなら良いけどよ、ただそのまんまの格好で足手纏に成りに来るってんなら御免被るぜ?」
行儀悪く咀嚼しながらそう言い放ち、改めて自分の顔ほども有る大きな肉へと手を伸ばし齧り付き、言われた側の蕾は無言で己の出立ちを見下ろす。
俺が彼女を拾った時には、寝間着だったのだろう白い毛織物の着物――浴衣の様な物しか身に着けておらず、しかも全身ズブ濡れで血の気が引いた真っ青な顔色で、乱れた髪の毛も相俟って容姿をどうこう言う様な状態では無かった。
なんというか『呪われたビデオ』から這い出て来た子供……とでも表現すれば想像し易いだろうか? 兎角そんな有様だったのだ。
それが湯浴みをし髪の毛を櫛り、緋色を基調とし金糸や銀糸で彩られた絹織物の上着に動きやすそうなズボンを穿き、翡翠や珊瑚と思しき宝石類が飾られた丸い帽子を被った、その姿は王女の称号に相応しい物に見えた。
着物の緋に負けぬ紅の髪の毛は元々癖がある毛質なのだろう、軽くうねりながら背中の中ほどまで届き、泣いていた時には頼りなさげに揺れていた瞳も、覚悟を決めた今は生来の勝ち気さを示す彼の様に強い意思が宿っている事を示している。
少女と呼ぶには未だ幼いながらも、その面立ちは整っており、長ずれば美人に成るで有ろう事は今の段階でも見て取れた。
俺の見立てでは、瞳義姉上や千代女義姉上の様な男を惑わす『傾国』の方向とは丸で反対で、歌や智香子姉上の様に己の力で自立する女性……と言う風に育つ様に思える。
まぁ……今の段階では、本吉好みの美少……美幼女と言った所だろうか?
と、其処まで見て沙蘭が言いたい事が理解出来た、唯でさえ俺が運んでいる荷物は物取りに狙われるのだ、其処に彼女の様な獲物が追加されたなら、余計なトラブルが一桁増える事は想像に難く無い。
とは言え、俺自身その手の変質者に狙われる可能性は十分に有るのだから今更の話だが……。
流石に大名家の子で有る俺を直接どうこうと言う事は無かったが、江戸の……特に一部のには『衆道は武士の嗜み』と明言して憚らない勢力が少なからず存在する。
そしてそう言う連中の中には、俺のような幼い癖に強い子供を力尽くで手折るのが何よりも良い……等と言い放つ、吐き気を催す様なゲロ以下の外道なんてのも居ると言う噂だった。
当然と言うかなんというか、変態と言うのは何処の『世界』にでも居るのは間違いない訳で、用心するに越したことは無い。
そんな旅路の中に、御姫様然とした装いの彼女を連れて行くのは、沙蘭の言う通り無謀を通り越して愚か者の所業だろう。
「それは道理だ。小僧の武具も目を引くが、ソレを見て侮り獲物と目する様な連中は、見る目の無い只の雑魚。だが今の我が姪は只の美味しそうな獲物に過ぎぬ。だがコレでも獅子姫と呼ばれた姉上の娘、相応の得物を持たせれば足を引っ張りはしない……筈だ」
曰く、草原の民に弓や剣、戟に鞭……と馬の手綱を取りながら武器が扱えぬ者は居ない。
殊更訓練して身に着ける様な事はしないが生活の一部で有る以上、出来なければ草原で生きていく事は出来ない。
そして常に民を導く立場で有る王族で有る以上、それら全てに秀でていなければ産まれ無かった事にすらされかねないのだそうだ。
あの馬威光王子も俺が相手し斬り捨てた雑魚達に比べれば、十分秀でていると言って良いレベルでは有った、ただ相手が悪すぎたと言うだけである。
「オラ、弓の腕なら兄貴達にも負けねぇだ! 剣だって使える、そんでも足手纏に成るなら……途中で捨ててったって構わねぇ、別の世界だってんなら其処できっちり伸し上がってやる。けど……兄貴達と殺し合うのは御免だでよ」
居場所が無い此処からただ逃げたい、と言うだけで無く、権力闘争の中で兄弟と争う事を厭うその言葉に、俺も沙蘭も否と言う言葉を取り上げられた思いで、ただ黙って溜息を吐くのだった。
装飾過多だった先程までの服装とは打って変わって、戦装束とも旅装束とも言える様な馬革の鎧を身に纏い、髪は邪魔にならぬ様一本三つ編みにして肩越しに前へと垂らしている。
腰には小振りながら反りのある短刀と矢筒を佩き、肩には弦を外した小振りな複合弓を二本、革製のケースに入れて担いでいた。
鎧や短刀と弓の一本は普段から彼女自身が身に付けている使い慣れた物だが、もう一本の弓は怒族の秘宝とも言える名弓だそうで、以前は彼女の母が使っていたのだが馬頼王に捕らわれた時に奪われ、そのまま宝物として死蔵されていた物だと言う。
何故そんな物を彼女が持っているかと言えば、俺達が飯を食っている間に怒乱麻は配下の者を居留地へと派遣し、生存者の確認と合わせて再利用出来る物の回収を命じていたのだ。
多くは威光の手の者が持ち去って行った様で、金銭的な意味合いで価値の有る様な財宝はほぼ残って居なかったが、各部族から取り上げた様な財貨に変えられぬ秘宝の類は幾つか残されていたらしい。
とは言え、炎の中で灰燼に帰したと思われる物もかなりの数に成る事も間違い無い。
「乱……いや……叔父ちゃん。これオラが持ってって良いんか……オラもう二度と……」
そんな中で奇跡的にも完全な形で取り戻す事が出来たその宝弓を、二度と戻る事叶わぬ界渡りの旅路へと出る者に持たせても良いのだろうか? そんな疑問を抱いたのだろう、消え入りそうな声で蕾がそう問い掛ける。
「……それは姉上の形見とでも言える物、その娘が持っていくのになんの問題が有ろうか。ソレに幾ら名弓とは言え強弓の類では無い、俺が引けばまず間違い無く壊れる」
対して返って来たのは、そんな気遣いの言葉。
屈強な草原の戦士の中でも無双の力を誇る怒乱麻ではソレを扱うのにかなりの手加減が必要で、かと言って一族の秘宝と言う格が有る以上、一介の戦士に使わせる訳にも行かない。
だからと言って死蔵するのでは、武具の意味が無い。
「なれば一度は馬頼王に奪われたのだ、戻って来なかったと考えれば辻褄は合う。それに今回の一件で取り戻せた秘宝はそれだけではないからな。一族の者達にも文句は言わせんよ、遠慮などせず持って行け」
言いながら、どんな表情を作れば良いのか解らない様で、妙に強張った表情で怒乱麻は蕾の頭をそっと撫でる。
「……弱すぎるっても、今のオラでは引く事なんざぁ出来やしねぇだ。何時かきっと……この弓に相応しいだけの力を付けて見せるだぁよ……」
俯き震える声でそう言う彼女の顔は、俺の位置からでははっきりと見えないが、きっと涙を堪える様な表情をしている事だろう。
「うむ……達者でな……。っと忘れて居った! 姪子を託すのに無料でと言うのは怒族の……ひいては草原の民の恥。 お前達にもしっかりと報酬の前渡しをせねばな! 金が良いか? 宝石の方が良いか? どうせ我らは食えぬ財宝に興味は無いからな!」
そのまま終われば感動の別れと言った場面だと言うのに、出て来たのは酷く生臭い言葉……色々と台無しだった。




