三百五十八 志七郎、一騎打ちを見物し身を躱す事
「何故だ! 麻! 貴様は此方側だろ! 何故、糞親父に義理立てする!?」
『草原の虎』と言う遊牧民達には勿論、近隣諸国にすら響き渡る勇名を誇りながら、血族の姫を質に取られて居るが故に一族諸共屈服を強いられていた怒乱麻。
何時見てもその瞳には屈辱と怒り、そして野心が見え隠れしており、機会さえ有れば直ぐにでも反旗を翻すだろう、誰もがそう思っていた。
そして怒族の屈服の証とも言える蕾を、自ら手綱を取れる様に成ったとは言え未だ幼い彼女を、遠乗りと称し居留地から離れた場所へと誘いだしたのだから、その首を掲げて反乱を企てたのだろう。
そう判断した馬威光王子は、自身の守役で有る呉九龍と共に、鬱屈した物を抱えた若者達を率いて蜂起した。
そうすれば父王の支配から開放した者として自分に心服するだろう、と……。
だがそれに対して怒乱麻は、
「愚王に義理立てする心積もりは毛頭無い! だが貴様の様な外道に降る積りはそれ以上に無いわ! 戦場で戦士が死ぬるは当然の定め、成れど鎧う事も得物を手にしてすら居らぬ者を撫で斬りにするのは戦士の所業に非ず!」
反旗を翻す予定だったと言うのは間違い無いが、子供達を遠乗りへと連れ出したのは飽く迄も戦いに巻き込まぬ様避難させる為で有り、まかり間違っても無抵抗な子供達を惨殺する為等では無い、と激昂した様子で言い放つ。
ただ『子供を預かった、命が惜しくば正々堂々の決戦に応じろ』と身も蓋もない、要求を突き付ける積りだったのだそうだ。
しかし使者が見たのは、この燃え落ちる居留地の有様だった。
馬頼王は敵には容赦の無い性格では有ったが、降伏した者は己の配下として寛容に重用する、そんな典型的とも言える『強い指導者』らしく、外敵は勿論『面従腹背』の内憂も決して少なくなかったらしい。
内憂外患その何方かは知らないが、こうなってしまった以上、火事場泥棒の様な恥知らずな真似は出来ない、故に子供達の安全を確保した上で手勢を率いて救援に向かうのが戦士として誇りある所業。
そう判断し早速行動に移そうとした所で、子供の数が一人足りない事に気が付いた。
「しかもソレは我が可愛い可愛い姪っ子だったではないか!」
幼くも愛らしい姪っ子をどうやって守役達の視線を掻い潜り攫ったのか解らないが、ソレでも捨て置いて良い訳が無い。
だがだからと言って王の危急を知りながら、馳せ参じぬのも誇りに悖る……と、配下の者達に蕾の捜索を任せ、たった一人でこの場へと駆け付けたのだそうだ。
そうしてようやっと駆け付ければ、王の天幕は既に焼け落ち、妃達のソレもまた無事では無く、其処彼処で繰り広げられる乱暴狼藉の数々……。
それは決して誇りある戦士が行うべき所業では無かった。
けれどもソレは同時に、この悪辣な所業を成した者達が未だこの場に留まっていると言う事だ。
目に付く下衆共を片っ端から斬り捨てながらこの惨劇の首謀者を探し周り、道すがら馴れ馴れしく声を掛けてきた比較的まともな武具を纏った男には多少手こずったが切り伏せた。
そうして見付けたのが、体格からして子供……だがソレにしては纏う甲冑が少々……いや、大分不相応としか思えぬ代物に身を包み、圧倒的な多数に囲まれながらも臆する事無く戦う俺の姿だったのだそうだ。
「その小僧が外患かとも思ったが……斬り捨てた獣の中に呉族の下衆が居たのを思い出してな……故に誠の敵が誰だか知る事が出来たのだ。貴様も王族を名乗る者ならば手下にばかり戦わせず、その手でこの首を取って見せるが良い、そっちの小僧はその後だ!」
『草原の虎』の名に恥じぬ煌々たる氣を放ちながら怒乱麻が吠えれば、ソレだけで有象無象の雑魚は腰砕けへたり込む。
「な、無礼るな! 俺は『草原の王』馬威光王だ! 多少出来るとは言え、有象無象の木っ端共と一緒にするでないわ!」
圧倒的な強者を前にしてそれでも強がり吠え返し、怯える馬を制して打ち掛かる。
こうして俺を蚊帳の外に起き、両雄の一騎打ちが始まったのだった。
「脆い、遅い、弱い! 貴様、その程度で……その為体で草原一億の民を統べる心算とは片腹痛いわ!」
二合撃……三合撃と、鉾を打ち合わせるその姿は正しく『三国志』にでも出て来る武将同士の一騎打ちだ……が、その実力差は明白。
打ち掛かって居るはずの威光の方が、ただ受け止め往なして居るだけの乱麻に押されている。
「くっ! 何故! 何故だ! 何故俺が……王で有る俺が気圧される!」
最早技も何も有った物では無い、破れかぶれに繰り出された力任せの一撃を、乱麻は態々丁寧に受け止める。
「何故? そんな事は解りきっている。貴様は誇りある戦士では無く、親の七光りに驕り高ぶっただけの若造に過ぎぬからよ」
そして弱い者虐め等戦士のする事では無い……と言わんばかりの口ぶりで言い放ち、それから得物を回して切っ先では無く石突の一撃で馬から叩き落とす。
「この程度の……愚か者にしてやられるとは……騏驎も老いては駑馬に劣る……か。頼王も老いと親子の情には勝てなんだか」
乱麻は命を奪おうと思えば何時でもそうする事が出来ただろう。
だが勝負の決したこの瞬間、この時を迎えても、殺害する意図の有る一撃を振り下ろす事をしなかった。
「……俺に情けを掛ける積りか! 其処まで俺を下に見るというのか!」
辛うじて受け身を取る事に成功し、それでも強かに背を打ち動けぬ威光が、即座に来る筈の死が何時までも訪れぬ事に訝しみ、そして動ける様に成って激しい声を上げた。
「情けを掛ける? 冗談では無い……今のお前には斬る価値も無い、ただソレだけだ」
が、吐き捨てる様にそう言うと、手綱を手にする事も無く馬の首を巡らせ、此方へと向き直る。
「……此処で見逃した事、必ず後悔させてやる」
完全に実力差を見せつけられ、その背に打ち掛かったとしても返り討ちに合う、と強制的に理解させられた威光は、悔しそうに吐き捨てながら逃げの体勢へと入った。
……此処で外道死すべし、とその後頭部に銃弾を叩き込む事は簡単だったが、ソレをすればまず間違い無く乱麻は俺を斬り捨てるだろう事は想像に難くない。
事実、此方を見据えるその目は『良い獲物を見付けた、お前は俺を楽しませてくれるんだろうな?』と雄弁に語っているのだ。
「随分と待たせたな小僧。如何なる故にてこの場に居るかは知らぬ。だが畜生共に与する輩では無い事だけは間違い無かろう。その背に負う荷を見る限りは旅商かとも思ったが……ソレにしては身に付けたる武具は一介の商人如きが手にする事も出来ぬ物、何者ぞ?」
完全に戦闘狂の……いや戦闘中毒の理性等かなぐり捨てた目で見据えておきながら、戦う理由が無ければ見逃すと言わんばかりの物言いで有る。
……ああ違う、逆だな。
彼が度々口にする『戦士の誇り』とやらを守る為に、戦う理由が欲しいんだ。
己の欲望に任せてただ戦いたいのに、ソレに蓋をして一族とか戦士の誇りとか、そう言う建前を前面に押し出し自重する辺り、義二郎兄上の同類なのだろう。
「貴方の姪御さん、怒蕾王女は俺達が保護してます。今は俺の手の者が近くで匿っている筈です。俺達には戦う理由は有りません。俺達は拾った彼女を送ってきただけですので」
ならば俺が取るべき行動は一つ、全力で戦いを回避するだけだ。
その言葉を聞いて残念そうに溜息を付く姿を見れば、その選択が正しかったと思わざるを得ないのだった。




