三百五十五 志七郎、人の本質を知り人を助ける事
今まで全くと言って良い程に気にならなかった剣十郎と志七郎の差異。
偶に違和感を感じた事が無かったと言う訳では無いが、それも肉体が幼いが故の物と流していたが心身の成長を考えるならば、もっと深く考えるべき懸案なのかも知れない。
慣れない野宿と言う事も有ってか再び寝付く事が中々出来ず、横たわり瞳を閉じたまま、そんな事を考える。
この身体に生まれ変わって以来、隠神剣十郎と言う『完成した大人』が子供の身体に宿っていると信じていたが、前世の世界で前世の家族や友人達と再開しそこで経験した事を鑑みれば、自身は『未完成な大人のふりをした子供』に過ぎない事を思い知らされた。
けれどもソレは決して悪い事だけでは無いだろう。
『愚者は己を賢いと思うが、賢者は己が愚かなことを知っている』
己を賢いと思っている者は己を省みる事は無く成長の余地は無いが、己が愚かだと自覚している者は日々反省し成長する事が出来る、常に成長していく事こそが賢者が賢者たる所以で有り、ソレを辞めた者は誠の賢者とは言えない、そんな意味の言葉だったと思う。
誰がの言葉かは忘れたが、自身が『完成』と勘違いしていた今までの俺は正に『愚者』その物で有り、ソレを自覚する事が出来たこれからの俺は『賢者』とまで豪語する事は出来ずとも、『愚者』で有り続ける事は無い……筈だ。
肉体は勿論、精神も、武芸も成長する余地が有る事は十分以上に有ると理解したのだから、此処から経験する様々な事を糧にしていこう。
と、そう決意すると同時に、俺が俺で有ろうとする余り折角経験した様々な事を無駄にして来たのでは無いかと言う、何とも言えぬ不安が首を擡げて来る。
志七郎と言う子供にとって剣十郎と言う精神は邪魔な物だったのでは無かろうか。
とは言え、俺が只の子供だったならばこんな波乱万丈としか表現出来ない様々な経験は出来なかっただろうし、もしかすれば何処かで命を落としていた可能性も捨てきれない。
「考えるだけ無駄……かな」
だがしかし……と思考が無限回廊に堕ちかけた所で、そう呟き意識を切り替える。
「無駄に賢しいのも難儀な事やぁねぇ……まぁ、思い悩むなんてのは人間の特権みたいな物さね。んだから何処の世界でも人間が一等図抜けて発展すんだろうけど……」
俺の言葉を聞き、呆れた様な声でそんな言葉が投げ掛けられる。
数多存在する知性を持つ種族が全く『悩む』と言う事をしない訳では無い物の、やはり人間はその傾向が顕著であり、ソレこそが人間と言う種族が多くの世界で発展し……そして滅び逝く原因なのでは無かろうか……と、沙蘭はそう推測しているらしい。
当然ながら人間に類似する種族というのは、世界を渡れば幾らでも存在しているのだが、発展しやがて滅びるのは、何故か何時も何処でも決まって物理的に優れた能力を持つ訳でなく、思い悩むと言う能力を持った人間なのだと言う。
その論理で言うならば、氣と言う超常の能力を持つ俺達『武士』や本吉なんかは、人間では無いと言う事に成る様に思える。
だが氣は全ての種族が持ち得る魂の力で有り、種族としての特徴とは成り得ないのだそうで、本質的には妖怪の放つ妖気や霊獣や精霊の魔力等と変わらぬ物なのだそうだ。
『人は考える葦で有る』と言った思想家が前世の世界に居たが、沙蘭の言葉通りならば、これほど本質を突いた言葉も無いだろう。
猫は人間がいる世界ならば必ず共に居る物だとおミヤが言っていたが、旅猫として数多の世界を渡って来た沙蘭は、その世界の数だけ人間を見てきた筈だ。
その見識深い話に感心していたのだが……
「儂等、猫にゃぁ幾ら修行を積んだとしても絶対手に入らねぇ能力では有らぁな……面倒臭ぇし……」
沙蘭はそんな感慨をぶち壊す様な言葉で話を締めくくった。
……ソレが人間以外、数多の種族の代弁と言う事は無い筈……で有る、多分、きっと、恐らく、めいびー。
『……っ……けて…………れか』
薪が弾け焼け落ちる音に混ざり、はっきりとした物では無いが、でも確かに意思が込められた『言葉』が聞こえた気がして再び目を覚ます。
氣を意識的に耳に集めれば、風に揺られる草のざわめきが、虫達の鳴き声が、何処に有るかも解らぬ川の細流が……その他、数えるのも馬鹿らしくなる数多の音が耳に付く。
尋常な人間の耳ならば聞き分ける事等出来ぬだろうソレらの中から必要な物を取捨選択する。
『……だれか……たすけて……、ここどこぉ……おっとぉ……おっかぁ……』
氣で増幅された俺の聴覚は、ソレが聞き間違いでは無かった事を確かに教えてくれた。
「誰か泣いてる! 間違いない!」
慌てて飛び起きそう言えば、
「あん……別に子供の一匹や二匹居るだろうよ。人が住める世界なら何処に居たっておかしかねぇよ……」
焚き火の側に座りゆっくりと舟を漕いでいた沙蘭は、大きく欠伸をしながらそう言い放つ。
「いや、そう言う問題じゃないだろ? てか、聞こえてるなら助けに行けよ!」
目の前に居ない、気付く事すら出来ぬ者を助け様とは思わない、だが手が届く範疇に居る者を助けないと言うのは間違えている筈だ。
俺がその声がする方へと押っ取り刀で駆け出した。
「なんで、まぁ面倒事に自分から頭突っ込むかねぇ……儂ゃ荷物を見張ってるから、さっさと戻ってこいよ」
そんな事を言う沙蘭を横目で確認すれば、消えかけた焚き火に薪を足して居るのが見えた。
子供を囮に使った物取りと言う線が無いとは限らないだろうが、ソレを疑って人助けを躊躇うのでは武士の名折れだろう。
それは剣十郎も志七郎も間違い無く一致した思いだった。
疎らに生えた木々の間をすり抜けながら、全力で声のする方向へと走って行くと、然程行かずとも川の細流と泣き声が聞こえてくる。
その声を頼りに辺りを探せば、微かな星の明かりに照らされた川辺りに、ずぶ濡れの布服を纏った子供の……頭頂部から一本の角が突き出た子鬼の姿が有った。
人間じゃない!?
いや親が恋しく泣きじゃくって居るのだ、鬼であろうと妖怪であろうと、ソレを助けないと言う選択は無い。
「……どうしたんだい? 何処か痛い所は無いかい?」
交番勤務時代、迷子の保護をした時の事を思い出しながら、そう声を掛ける。
あの時は出来る限り優しい表情と声色を心掛けたのだが、唯でさえ泣いていた子供が一瞬黙った後更に大きな声を上げ泣き出した物だ。
今思えば、後に捜査四課に配属され『泣く子も黙る』と恐れられる事になる強面が声を掛けりゃ、そうなるのも当然の事と言えるだろうが……。
と、前世の事は置いておいて、今はこの子の保護に全力を尽くそう。
「……ひっ!? だ、誰!?」
幸いと言って良いのかどうか判らないが、同年代程度の子供に声を掛けられた事に驚く様子こそ有った物の、怯えたり泣いたりする事無くそう答えた。
「通りすがりの旅人だ。君が泣く声が聞こえて来てね。濡れっぱなしじゃぁ風邪を引く、取り敢えず身体を拭いて火に当たろう、向こうで連れが火の番をしてる」
言いながら手を差し出せば、余程心細かったのか迷う事無くソレを取る。
冷え切ったその手の冷たさに驚き、然程変わらぬ大きさのその子を抱き上げ走り出す。
丸で誘拐犯だな……そんな風に思いながら。




