三百四十八 志七郎、契約を結び氷河越える事
俺には武士として……警察官としての矜持が有る、故に誰に見られようと恥じる事の無い生活を送っているつもりでは有る。
だが流石に便所や、今はまだ無いが夜の性活等、四六時中覗かれては憚りの有る事が将来に渡って全く無いとは断言する事は出来ない。
「流石に年から年中ずっと覗かれると言うのは、勘弁して欲しいのですが……」
率直に俺が口にした言葉に対して
「「……ぷっ! あははは! な、何を今更!」」
女公爵と……尻尾にぶら下がり激しく振り回されていた沙蘭までもが、一瞬の沈黙の後、声を揃えて爆笑する。
曰く、人間の生き様は全て魂に記録され、ソレを閲覧する権能を持つ神や悪魔には隠す事は出来無いのだそうだ。
とは言え、後から見られるのとリアルタイムに覗かれるのは話が違うだろう。
「ソレに天使やら三尸やら、監視するモノは幾らでも居るわ。最近の人間はそんな事すら忘れちゃったのかしら?」
俺の内心を見透かした様に、女公爵が更にそう言い放つ。
その話に拠れば人間……だけで無く『魂』を持つモノは産まれ出たその瞬間から、何らかの形で監視されているのだと言う。
しかもソレは一人につき一体とは限らず、何らかの波乱を起こす様な者にはより多くの目が注がれているものらしい。
「んー……君の場合は今の時点で二千六百九十……って所かしら? 今更十や二十増えた所で誤差よ、誤差」
「多っ!?」
あっけらかんととした笑い声を上げながらそう言われた所で、知らなきゃ良かったとしか思えない。
「とは言え、私達の方は年から年中、ずっと君だけを注視して居る訳では無いわ。他にも見たい子も居れば、遠くの世界へと喚ばれる事もあるしね」
流石の大悪魔と言えども意識を割いて見れる数には限りが有り、特に直接意識が繋がった分身を操作しなければ成らない状況では、他所を気にする余裕はほぼ無くなるらしい。
「安心して良いと思うぜ? お前さんが行く場所は幾らなんでも遠すぎる。殆ど無限世界の端と端じゃぁ、その能力どころか存在その物を封じられた状態では、言う程じっくり見る事ぁ出来ねぇ筈だぜ」
と、しっかりした口調で沙蘭がそう言った時、俺の知る全ての馬は勿論いや並の自動車でも追い付けぬだろう速さで疾走っていた駱駝は足を緩めていた。
何処までも続く果てしない大雪原の……その終わりが見えたのだ。
とは言えそれは視線の遙か先に見えたと言うだけで、辿り着くにはまだまだ時間が掛かるだろう。
しかし此処まで自力で歩いて来たのであれば、軽く千倍は時間が掛かっただろう事は間違いない。
いや……それは飽く迄も俺の体感に過ぎなかった様だ、何故ソレが解ったかと言えば……
「いやー、まさかほんの数時間で四千kmを踏破出来るたぁ思わなかったね。最短ルートを通っても南極を横断するのと変わらねぇ距離が有るんだからな。ぶっちゃけソレを一月ってのも随分と無茶なスケジュールだと思ってたんだけどな!」
揺れが収まり余裕が出来たらしい沙蘭が、悪びれる様子も無くそんなとんでもない数字を口にしたからだった。
ちょ……四千って……、ソレじゃぁこの駱駝時速二百kmどころじゃない速さで走ってたって事か!? 幾らなんでも、盛り過ぎだろう……
一瞬そんな風にも思えたが、相手は超常の存在の中でも最上位に近い大悪魔で有る、ソレくらい出ていても可怪しくは無いかも知れない。
「ソレでも炎の源泉の領主に比べれば、大分時間が掛かった方よ? 彼なら殆ど一瞬だしね」
終わりが見えたからか、ソレまでとは比べるまでも無くゆったりとした速度で進みながら、女領主が笑いを含んだ声でそう言う。
「いや、そりゃ比べる相手が悪すぎる。彼奴は瞬間移動の権能を持ってる奴じゃねぇの」
と、沙蘭は呆れ混じりの声でそう返すのだった。
それから更に数時間――常に暗い雲に覆われていながら、一定の明かりを保ち続ける空の様子からは正確な時間帯は解らないが、恐らく昨夜寝たのと同じ頃合いには氷河の端へと辿り着く。
「いやー、遊んだ遊んだ! こんだけ遊んで、その上で更に波乱万丈な人生を覗けるたぁ、俺っちは本当に『持ってる』よなぁ!」
他の悪魔達が続々と集まってくる中、最後の最後に弾丸の様な速度で飛んで来た青い太陽は、丁度駱駝から下ろして貰った俺の背を叩きながらそんな事を曰った。
彼は白熱しすぎた雪合戦に惹かれ出て来た、比較的理性の薄く好戦的な悪魔――と言うよりは殆ど魔獣の類――を相手に殿を務め、ソレら全てを叩きのめしてから全力で飛んで来たのだと言う。
その戦いを含めて『良い遊び』と言い切れる所を見る限り、かなりの戦闘狂なのだと思わざるを得ない。
かと言って、圧倒的な暴力に偏った存在と言う訳でも無い様で、俺を叩く力は決して強すぎたりはせず、繊細な力加減も出来るのだと良く分かる。
「女公爵が約束した通り、俺っち達も能力を貸してやるぜ! つっても直接どうこうすっと、そっちの世界の神相手の喧嘩に成るかも知れねぇからなぁ……
ソレはソレで面白そうだけど、ソレで終わらせるにゃぁ勿体ねぇよなぁ……」
ただ俺の生活を覗き見るだけならば兎も角、向こうの世界に戻った後に彼らが干渉すると成れば、世界樹の神々が黙っては居ないだろう、と青い太陽は楽しそうに笑う。
だがそうなれば彼らは兎も角、俺がサクッと消滅させられるのは馬鹿でも解る話だ。
千里眼の様な権能を持たない彼では、近隣世界を覗くにも分身を飛ばさねば成らず、ましてや最も遠い場所に有ると言っても過言ではない『世界樹の盆栽』を覗くのはそう簡単な事では無いらしい。
俺との契約を結ぶ事でその縛りを可能な限り緩める事が出来るのに、彼曰く『波乱万丈な人生』が約束された俺を潰すのは余りにも惜しいのだそうだ。
それにしても女公爵も青い太陽も未来を予知し予言する能力が有るらしいが、その両方から『大賢者まっしぐら』だの『波乱万丈』だの言われるとは俺の運命と言う奴はどれ程の厄いのか……
まぁこうして、あの世の果てまで行ったり来たりしてる時点で『お察しください』と言うレベルなのだろうが。
けれども地獄を死神達の協力でスキップし、永遠の氷河も悪魔達の協力であっさりと突破してしまった。
ソレを考えれば、平坦では無くとも不幸のドン底を行く様な悲劇的運命と言う程では無いと言えるのではなかろうか?
「よし! 俺っちの身体の一部をくれてやる、ソレで装備を誂えな! そーすりゃ俺っちはお前の戦いを特等席で見る事が出来るし、それ以外の見せたくない所はスキップ出来るし、WIN-WINって奴だよな!」
そんな俺の考えを他所に青い太陽は自身の身体を弄り、何処から抜いたのか青い鳥の羽の様な物を差し出した。
「お前さんの纏ってるその鎧、多分何かの妖怪の身体を加工した物だろ? そーいう使い方でも良いし、そのまま羽飾りにでもしても良い。どれ程の力に成るかは俺っちも知らねぇけどな!」
悪魔の中でも最上級に近しい存在だと言う彼の素材を用いた装備とも成れば、ソレがどれ程の力を持つかは解らないが、少なくとも今の俺が使って良い物とは思えない。
装備の力に頼る様に成ってはその後の成長は見込めない、と向こうで散々言われて来た事だ。
「折角ですが……自力で手に入れた素材以上の物を使うのは、命を縮める堕落に繋がると戒められてますから……」
その事を素直に口にし詫びる……すると、
「何も今日明日使えって話じゃねぇさ! どうせ人間の人生なんて俺達に取っちゃぁ一日みたいな物だ! 乾坤一擲の大勝負用に使えば良いさ、ソレくらいの大勝負じゃねぇとつまりゃしねぇぜ!」
サムズアップの拳を突き出しながらそう言い、俺にソレを押し付ける。
どうやら俺には断る自由は無い様だった。




