三百四十二 志七郎、故人の冥福に安堵し冥土に慄く事
「報告通り、生身の子供んちょ一人に、猫コロ一匹っと……。お前等は完全に包囲されてる、猫の子どころか鼠一匹這い出る隙間もねぇぞ。神妙にお縄を頂戴しろや」
押っ取り刀で駆けつけた……と言うには少々余裕が有りすぎる、鞘に入った刀で己の肩を叩くという態度を取り、その言葉とは余りにも裏腹な悪戯心に溢れた笑み浮かべた彼は、逆手で見覚えの有る手帳の様な物を突き出して居た。
其処には『死神No.4649隠神剣五郎』と言う文字と、俺がこの身体に生まれ変わってからの時間よりもずっと長く見ていた筈の顔と寸分違わぬ様に見える写真が並んでいる。
「……知り合いかぃ?」
何も返せずに居る俺に対して、油断なく煙管を構えながらそう問う沙蘭。
「ああ……前世の死んだ曾祖父さん……だと思う」
視線を曾祖父さんらしい人物から切る事無く、なんとかそう返す。
「いやぁー、流石に任官直後に任された河岸警備の仕事だからな、そう簡単に無断通行させてやる訳にも行かねぇ訳よ。まぁ此奴等の練度強化とがばがば過ぎる労務管理の見直しにゃぁ丁度良かったのも事実だけどな」
と、曾祖父さんは、此方を本気に成って力尽くで捕縛するつもりは無いと言わんばかりに、そんな生臭い内情をぶち撒けた。
その言に拠れば、基本的に常にあの世は人手不足で有り上級職員達は皆、限界近い仕事を抱えているのだと言う。
故にという訳では無いだろうが、新人の教育にすら人員を割く余裕も無く、となれば当然下級職員に対する教育も……労務管理すらもが適当なぁなぁで済まされていたのだそうだ。
上級職員は様々な功績を成した者がスカウトされたり、そうなるべく養育された者なので、いきなり現場に放り込まれても、まぁ何とか成る。
だが訓練どころか碌な研修すらも受けていない彼らに、高いモチベーションと練度を持って仕事をしろと言っても土台無理な話だ。
かと言って、経験を積んだ先輩に現場で指導しろと言った所で、人員に埋没せず指導力を発揮出来る様な才能が有る者は、上に目を着けられて死神へと異動に成る。
更にはタイムカードも無ければ、残業代なんて上等な物も無く、遅刻やサボタージュも常態化していた彼らは、日々の仕事時間すらもが曖昧な物なり。
河の向こう側ならば上司の目が有る為まだマシなのだが、此方側には彼らを管理する様な死神も居らず、言われた事を言われた通りに……いやソレすらもが難しい様な集団へと長い永い時間を掛けて零落れていったのだそうだ。
本当に偶々、死神に成る手続きをする為橋を渡って泰山府へと行く途中、サボッてる彼らを見付けた曾祖父さんは、自身の最初の仕事として彼らへの訓練と、労務管理の徹底を申し出たのだ。
「唯でさえ、神の手も足りず人の手どころか猫の手も借りたい状況だってぇのに、下で腐ってる連中が多いってのは、本末顛倒としか言い様がねぇからな。それにきっちりシフトを組んできっちり仕事すりゃ、なぁなぁでやるよかずっと効率が良いやね」
深い深い溜息を吐きながら肩に鞘を打ち付けるその様子は、折角全盛期を取り戻したと言うのに歳相応の心底疲れきった老人の姿にしか見えない物だった。
「お前の事ぁ儂の曾孫ってなだけじゃ無く3776先輩からも、儂の直上長の666番冥土長からもサクッと通しちまうよう言われてっからな。本当に見付からずに抜けられなくて良かったぜ」
曾祖父さん率いる獄卒軍団に囲まれて俺達は、舟を待たせていると言う桟橋を目指し歩きだしていた。
道すがら聞いた話では、俺達を捕捉したのは結局はあの馬鹿話で盛り上がっていた三匹の鬼達で、功を焦り自力で捕まえようとせず先ずは報告連絡相談! と口酸っぱく彼らには言い聞かせて居たのだと言う。
彼らは俺達を見失ったフリをしてやり過ごし、応援を求めて屯所へと走り、その報告を受けた曾祖父さんが勤務中の獄卒達を率いてやって来たのだそうだ。
恐らく曾祖父さんが来る前だったならば、俺達の姿を見付けた時点で強引に捕えよう追い掛け、管轄外に逃げ込まれる事に成ったのだろう。
ソレこそが沙蘭の知る本来の状況なのだが、ソレも結局の所『管轄外』と言う言い訳を付けただけのサボタージュの結果に因る物と言い切られてしまっては沙蘭も形無しで有る。
「……にしたって、包囲されるまで儂が気付けねぇってのは腑に落ちねぇ話だ」
それでも自身の『旅猫』としての自尊心故なのか、歩き煙管を燻らせながらそう言えば
「てやんでぇ、今までの此奴等は確かに弱卒だったがよ……ソレを兵に化けさせるのが率いる者の仕事だろうがよ。伊達に叩き上げで警視まで登り詰めちゃ居ねぇよ」
と、自身の手腕に依るものと誇らしげな笑みを浮かべそう返す。
「んだんだ、ヨロシクさんが来てから、ちゃんと毎日家に帰れる様に成っただよ」
「そそ、今までは帰ろうと思えばサボるかずるけるかトンズラするか……兎角、真面目な奴程休めねぇで仕事押し付けられて壊されるだけだったからの。本にヨロシクさんは俺達下っ端に取っちゃぁ神様見てぇな方だわ」
「そりゃ、人間出身つったって死神様なんだから、神様だろうよ」
曾祖父さんらしからぬ、己の手柄を誇る様なその言葉だったが、俺達を最初に見付けた三匹組が軽い調子で、だが其処には確かな尊敬と敬意が感じられるそんな口振りで同意の言葉を発する。
自分が頭を張る事で、落ち零れ撚た者達でも一端の獄卒として機能しているのだ、と曾祖父さんはそう言いたいのだろう。
そして彼らも曾祖父さんの指揮指導に従った結果、目に見える手柄を上げる事が出来た事が嬉しいのだろう。
そんな彼らと曾祖父さんのやり取りを目にし、暗い冥土に有ってもその先には幸福が待っている、そんな風に思え一寸だけ安心し、
「……それにしてもヨロシクさんってのは、酷い渾名ですね」
小さく笑いながら、嘲る様な言葉を口にしてみる。
「死神No.ってのは登録順に付けられる物らしいからな、選べる物じゃねぇんだから仕様がねぇだろ。もちっとくたばるのが遅くなって4989だの5963だのに成るよりゃマシだろ、マシ」
そう言われる事自体は容認して居る物の、それは飽く迄も例に上げた様な者よりはマシと言うだけの事の様で、言い返すその口振りは、むしろ自分に言い聞かせている様にも見えた。
「それに儂も一応は神の末席を汚す立場に成ったからな、神の真名は軽々しく口にする物んじゃねぇんだとよ。だから儂も先輩方の名前を口にする様な事はねぇし、此奴等も基本的には渾名か番号で呼ぶんだよ」
人の理では無く神の理なんだとよ、とさも面倒臭そうに言い捨てる曾祖父さんの言葉を聞き、俺は世界樹で会った浅間様から命じられた事を思い出す。
死神さんの真名を探す、ソレは向こうの世界を旅して欠片をかき集め成す事だと言われたが、此方で――誰かに聞いても答えてはくれないだろうが――それでも直接聞く事が出来れば話は極めて簡単に済んでしまうのではなかろうか?
人生の……今生の……大目的の一つをあっさりとクリアする千載一遇の好機を目の前に、俺は思わず喉を鳴らす
「さ……見えてきたぜ? お前の事ぁ態々冥土長が舟を出してくれるってんだから、これ程安心出来る旅程はねぇぞ、まぁその分3776先輩が仕事肩代わりして死にかけてるんだけどな」
が、即座にその希望を叩き潰され気を落とし、更に桟橋に繋がれた舟に立つ船頭の姿に俺は思わずズッコケる。
なにせ舟の上には肩も顕な極めて丈の短い……フレンチメイド服を纏った老婆が佇んで居たのだった。
せめて英国式ならマシだったのに……。




