三十二 志七郎、戦場の倣いを知り、因縁を付けられる事
「お、気がついたでござるか」
どれ位の時間が経ったのだろうか、目を覚ますと俺は兄上に担ぎ上げられ運ばれていた。
「氣の使い過ぎでござるな。まぁ初めての事故、制御しきれぬのは当然であろうが」
意識を失ったことすら自覚はなかったが、こうして運ばれている以上そういうことなのだろう。
「よく勝ったの。五分の勝負と見ていたのでござるが……」
氣功無しであれば五分、それは兄上の見立て通りだろう、だがそれでも腑に落ちない物はある。
「五分の、勝負に、命を賭けたんですか……?」
精も根も尽き果てるとはこの様な状態を指すのだろう、口を開くのも億劫だがそれでも俺はそう問いかけた。
「氣功は心身そのどちらかが十分であれば、あとは何らかの切っ掛けで開くことも多い。お主は過去世の記憶故、心力はそれに足るものと思えたからな。命を賭けた勝負とあらば切っ掛けとしても十分、さすればお主の勝ちは揺るがぬと考えたのだ」
だが、と言葉を継ぐ。
「いくら大鬼とは言え、氣功の使い手とは思わなんだ。それも事前に感じ取る事も出来ぬほどに見事な氣殺とは」
兄上曰く上位種である大鬼でも、元が小鬼や犬鬼のような低レベルの鬼であれば、氣を発するのに足るだけの心身を持つことはまず無いことであり、他の氣功使いが感じ取れないほどに氣を抑える『氣殺』の様な上級技術まで身に着けているのは更に稀だと言う。
そういう奴は往々にしてかなりの被害が出てから認知され、噂が広まり懸賞金すら懸けられる事もあるという。
前世の言葉で解りやすく言うならば二つ名持ちの魔物と言った所だろうか?
「あれ程の武士然とした小鬼など噂でも聞いたことは無い。恐らくはこの地に湧いたばかりの所に居合わせたのでござろう、お主は運が良いのか悪いのか……」
「もしも氣功が使えると解っていればどうしましたか?」
ふと、湧いた疑問にそう軽い気持ちで問いかけると。
「どちらにせよお主が一騎打ちをせねばお主は生きておらぬ」
返って来たのは予想だにしないものだった。
「それがしが戦うと有らば奴の言う通り一鬼残らず討ち果たすしか無かったであろう、だがその場合にはそれがしは兎も角お主は生きて居らぬ」
あれほどに数が違いすぎれば、守り切るのは不可能だと言うのだ。
鬼達は自分達を狩り尽くす為に兄上が来たと判断していた以上、引くことは考えづらくあの一手しか俺が生き残る残る道は無かったということらしい。
本当にこの兄上は、思慮深いのか脳筋馬鹿なのか評価に困る、深く考えての事ではなく本能で嗅ぎとっている様な節もあるし……。
「首桶が無かった故、御首は手拭いで包んで持ってきておるが、小鬼の角は捨て置いてきた。銭は稼げぬが武名を上げた分儲けだと思っておくべきでござるな」
言われるまで忘れていたが、お金を稼ぐために鬼斬りへとやって来たのだった。
武名というのがどれほどの価値が有るのかは、まだ解らないが今日の所は俺の、兄上の、そして子供達の命が有ったことを喜ぶとしよう……。
「やいやいやい! よくもまぁ、余計な真似し腐りやがったなぁ!」
兄上に担がれたまま広場へと戻って来ると、俺達をそんな怒鳴り声が迎え入れた。
顔が兄上側を向いている体勢なので、誰が言っているのかは解らないが、明らかにこちらへと向けられたものであることは感じられた。
「はて? 余計な真似とは何のことでござろうか?」
足を止めわざわざ振り返り相手に背を晒し、ヒョイと音がするほど簡単に片手で俺をつまみ上げると、静かに地面へと降ろされた。
どうやら、そんな見え見えの誘いに乗るほど相手も馬鹿では無いようで、刀に手を掛けては居るがまだ鯉口を切っている様子もない。
「とぼけた事吐かしやがる、例え目の前でくたばりそうな者が居ようとも請われぬ限り助けない、それが戦場の倣いだろうが! 勝手やらかしたガキが生きて帰れば、俺達を侮る様になるじゃねぇか!」
見ればそう絡んで来たのは例の初陣徒党、その引率と思わしき男達だった。
「それに霊薬なんか使いやがって! どこのお大尽かは知らねぇが、町人のガキはそんな銭は持ってねぇんだ。一々俺達が薬を使うと思われたらどうしてくれる!」
彼らの言いたい事はなんとなく理解はできるのだが、それで子供が死ぬ事を受け入れることなど俺には出来ない。
未だ力戻らぬ身体を気力で動かし立ち上がろうとしたのだが、兄上は背を向けたまま手のひらを広げ制止する。
「いやはや、其方らのご説ご尤もと言ったところでござろうか? だが戦場の倣いとはあくまでも侍が堂々と戦うその覚悟を示す物、其方ら町人上がりの鬼切りには該当せぬ物であろう?」
嘲る様にそう言う様子は、今まで見てきた兄上とは明らかに違い、表情こそ見えぬ物の押し殺した怒りのような物を感じた。
「それとも何か? 其方らの統率力が無い事を棚に上げ、仮にも大名家の子弟にあやを付けようと?」
あやを付ける、それはヤクザ流の物言いで因縁やいちゃもんを付けると言うことだが、武士が使う言葉ではない。
明らかな恫喝とも取れるその物言いは逆に兄上が彼らに因縁をつけているようにすら見える。
「な、なんだと! 俺達が悪いってのか!」
「てめぇ! 侍だからって下手に出てりゃ付け上がりやがって!」
討てば響くと言わんばかりの彼らの様子も突っ込み所が満載だ……、どう聴いてもこれっぽっちも下手に出ている様子は無かった。
「……其方ら本当に鬼切り者か? 食い詰め浪人でもまだ品があるぞ? まぁ、要石を使って居る以上は手形は持っている様だが、子供らを連れて来る程の手練とは思えぬがな」
そんな彼らを鼻で笑い馬鹿にするかの様な兄上の態度に、怒りのあまりか刀に掛けた手がカタカタと音がするほどに震えているのが見て取れた。
確かにそれなりに腕に覚えは有りそうに見えるが、それでも如何にも強者でございと言わんばかりの体躯を持つ兄上より格上には決して見えない。
「はん! 大名の子弟と言ったところで未だガキじゃねぇか、ガキの威を借るたぁ大したタマじゃねぇなぉ、おい!」
震える声を押し殺してそう言う男達、どうやら俺達が兄弟とは思わず、大名の子である俺とその護衛に雇われた男、そう思っているらしい。
確かに見た目だけを考えれば甲冑フル装備の俺に対し、兄上は虎皮のジャケットを羽織った傾奇者スタイル、大名の子のそれには見えないかも知れない。
けれど武士の子が初陣を飾る場合には、その付添は家中から出すのが習わしだと聞いた、ならば兄弟とは思わずとも家臣である、すなわち武士である事は容易に想像できるはずだ。
「……で、そうやってそれがし達に絡むのは良いが、何をして欲しいのだ? 銭か? それとも詫びをいれろとでも? 侍であるそれがし達が町人風情に?」
それでも尚、挑発的な態度を取り続けるには何か考えが有るのだろう、そう思っていた時だった。
「くたばりゃぁぁぁぁ!」
兄上の言葉の何処かが忌諱に触れたようで、先頭に立っていた男は鯉口を切るとそのまま斬りつけた。
だが俺の目から見ても抜く手も見せぬとは決して言いがたい程度の速さで放たれた抜き打ちでは、兄上には掠りもしないだろう。
そう思っていたのだが、なんと兄上は避ける事すらせず、その一撃をあっさりと掴みとっていた。
それも柄を抑えるような常識的な方法ではなく、その刃先をしっかりと握りしめてだ。
例えなまくら刀でもそんな真似をすれば指が落ちるだろう。
だが、兄上の手から血の一滴すら落ちては居ない。
「氣の一つも纏えぬ雑魚が侍に刀を向けるとは、其方余程の田舎者と見える」
その言葉と共に、男の刀は甲高い音とともに握りつぶされ、そして砕け散った。




